第三部『聖アージェンティウム共和国 ― 白環の響解 ―』:第二章「破綻する都-蠢く真実-」:二
夜が、更けていた。
聖都の闇は、いつもより一層濃い。
だが、その闇の底で――何かが、蠢いていた。
◆
『偽りの聖水』の真実が、〈見窓志端〉を通じて――
共和国内に急速に広まっていた。
静かに、しかし確実に。革命の火種として。
工房から各地へ送り出された端末は――
真実を求める人々の手から手へと渡っていく。
瞬く間に、その衝撃的な内容が伝播していった。
そして、その火種に――
奏真の《調律》の音楽という燃料が、投下された。
聖都の夜は、もはや《静寂》ではなかった。
その響きは、凍てついた民の心を融かし――
聖都の堅牢な秩序を、根底から揺るがし始めた。
◆
下層の国民たちは、長年感じていた。
聖水を飲むたびに、何か――
言葉にできない《違和感》を。
だが、それが何なのか、分からなかった。
疑問を持つことすら、《混沌》として禁じられていたから。
今、彼らは知った。
あの違和感は、確かな《欺瞞》だったことを。
抑圧されていた感情が、一気に噴き出した。
まさに、堰を切ったように。
「我々は……騙されていたのか?」
最初は、囁きだった。
地下採掘場の隅で、こっそりと交わされる言葉。
「《聖水》は……毒だと?」
囁きは、徐々に大きくなっていく。
「《静寂》は偽りだ!」
やがて、それは叫びへと変わった。
◆
聖都の下層、霊窟孔の採掘場。
各衛星都市の労働区画。
保護国民の居住区。
共和国のあらゆる場所で――
小さなデモが、同時多発的に勃発し始めた。
街を行き交う人々の顔が、変わっていく。
これまで見られなかった怒り、悲しみ、困惑の表情。
静かだった通りは、次第にざわめきと怒号に包まれていった。
その先頭に、一人の女性が立っていた。
リラ・テトラ。元保護国民。
彼女の周りには、同じく保護国民だった仲間たちが集まっていた。
奴隷の首輪から解放された、自由を知る者たち。
「私たちは、もう二度と騙されない!」
リラは、拳を掲げた。
その瞳には、かつての奴隷としての苦しみと――
今まさに掴み取ろうとする未来への強い希望が、炎のように混じり合っていた。
「自由を! 真実を!」
リラの声が、響く。
「そして――尊厳を取り戻せ!」
群衆が、呼応した。
声が、一つになっていく。
「自由を!」
「真実を!」
「尊厳を!」
◆
工匠奉都では、ラカンとアキが人々を鼓舞していた。
「聞いてくれ!」
ラカンの虎人族としての野太い声が、工房街に響く。
「俺たちゃ、ただの《器》じゃねぇ! 魂を持った生きた存在だ!」
拳が、高く掲げられる。
アキは、隣で頷いた。
「奏真さんの音楽を思い出して。あの響きこそが、本当の自由よ」
彼女の声が、優しく響く。
職人たちが、次々と工具を手に立ち上がった。
彼らの目には、新たな決意が宿っている。
「革命だ!」
「自由を!」
工匠奉都も、動き始めた。
◆
共和国全土に広がる、《静寂》を破る調べ。
それは、長きにわたる精神支配の鎖を断ち切り――
人々の内なる《音》を目覚めさせる、希望に満ちた解放の序曲。
聖アージェンティウムに《響解》をもたらす――
その最初の雄叫びが、今、聖都の空に響き渡った。
静寂は、崩れ始めている。
共和国は、変わろうとしている。
そして、もう誰にも――この流れは、止められない。
◆
聖都の上層、ミラルジャン家の執務室。
シルヴァンは、窓から下層を見下ろしていた。
通りに溢れる人々、掲げられる拳、響く怒号。
(これが――)
シルヴァンの拳が、震える。
(これが、自分が統治してきた共和国の姿なのか……?)
(完璧だったはずの秩序が――)
(崩れていく……)
いや――違う。
シルヴァンは首を振った。
(これは一時的な混乱だ)
(すぐに鎮圧できる)
(必ず――)
「許さん……!」
彼は拳で窓枠を叩いた。
ガラスが、ひび割れる。
「情報漏洩は断じて許されん! 全ては異端者の扇動だ!」
シルヴァンの声が、怒りに震える。
振り返り、部屋に控える幹部たちを睨みつける。
「この《混沌》を、速やかに鎮圧せよ!」
拳が、強く握られる。
その怒声は、廊下を震わせ――
周囲の者たちを、震え上がらせた。
壁にかけられた地図には、不穏なマークが――
既に共和国全土に、広がっていた。
◆
ダミアン衛士総監の指揮の下、衛士庁と静謐維持局は必死に動いた。
監視烏が、数を増す。
空を埋め尽くすように飛び交い、不穏な動きを監視する。
完全武装した衛士が、常時巡回。
不審者は、即座に拘束。
訓練された衛士犬が、咆哮を上げて群衆を威嚇する。
聖都の空気は、かつてないほどの緊張と恐怖に満ちた。
人々の自由な表情が、再び影に怯えようとしていた。
だが――
「総監! 『静謐の環』が起動しません!」
衛士の一人が、駆け込んでくる。
「何だと!?」
ダミアンの顔が、歪む。
「監視烏の報告が、めちゃくちゃです!」
別の衛士が、叫ぶ。
「『白環門』が……閉まりません!」
次々と入る、想定外の報告。
ダミアンの顔が、青ざめた。
「なぜだ……!」
ダミアンの指揮は、ことごとく裏目に出た。
それは――偶然ではない。
◆
工匠奉都の秘密工房では、理奈が端末を操作している。
「『静謐の環』の起動術を反転無効化――
監視烏の座標情報にノイズを混入――
『白環門』の開閉機構、ロック完了」
指が、画面を滑る。
レイモンドが、感嘆の声を上げた。
「見事だ……共和国の技術を、共和国自身に向けるとは」
その目には、驚きと尊敬が混じっている。
理奈は、冷静に答えた。
「システムの弱点は、開発者が一番よく知っているものよ」
理奈とレイモンドの技術が、アージェンティウムの霊法インフラの《裏側》を――
的確に、突いていた。
画面に映る、混乱する鎮圧部隊。
右往左往する衛士たち。
機能しないシステム。
彼らの焦燥感が、統制すべきはずの街に伝播していく。
「完璧ね」
理奈は、静かに微笑んだ。
共和国の ”秩序“ が――
今、
内側から、
崩壊し始めていた。




