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第三部『聖アージェンティウム共和国 ― 白環の響解 ―』:第二章「破綻する都-蠢く真実-」:二

夜が、更けていた。

聖都の闇は、いつもより一層濃い。


だが、その闇の底で――何かが、蠢いていた。



『偽りの聖水』の真実が、〈見窓志端〉を通じて――

共和国内に急速に広まっていた。


静かに、しかし確実に。革命の火種として。


工房から各地へ送り出された端末は――

真実を求める人々の手から手へと渡っていく。


瞬く間に、その衝撃的な内容が伝播していった。


そして、その火種に――

奏真の《調律》の音楽という燃料が、投下された。


聖都の夜は、もはや《静寂》ではなかった。


その響きは、凍てついた民の心を融かし――

聖都の堅牢な秩序を、根底から揺るがし始めた。



下層の国民たちは、長年感じていた。


聖水を飲むたびに、何か――

言葉にできない《違和感》を。


だが、それが何なのか、分からなかった。

疑問を持つことすら、《混沌》として禁じられていたから。


今、彼らは知った。


あの違和感は、確かな《欺瞞》だったことを。


抑圧されていた感情が、一気に噴き出した。

まさに、堰を切ったように。


「我々は……騙されていたのか?」


最初は、囁きだった。

地下採掘場の隅で、こっそりと交わされる言葉。


「《聖水》は……毒だと?」


囁きは、徐々に大きくなっていく。


「《静寂》は偽りだ!」


やがて、それは叫びへと変わった。



聖都の下層、霊窟孔の採掘場。

各衛星都市の労働区画。

保護国民の居住区。


共和国のあらゆる場所で――

小さなデモが、同時多発的に勃発し始めた。


街を行き交う人々の顔が、変わっていく。

これまで見られなかった怒り、悲しみ、困惑の表情。


静かだった通りは、次第にざわめきと怒号に包まれていった。


その先頭に、一人の女性が立っていた。


リラ・テトラ。元保護国民。


彼女の周りには、同じく保護国民だった仲間たちが集まっていた。

奴隷の首輪から解放された、自由を知る者たち。


「私たちは、もう二度と騙されない!」


リラは、拳を掲げた。


その瞳には、かつての奴隷としての苦しみと――

今まさに掴み取ろうとする未来への強い希望が、炎のように混じり合っていた。


「自由を! 真実を!」


リラの声が、響く。


「そして――尊厳を取り戻せ!」


群衆が、呼応した。

声が、一つになっていく。


「自由を!」

「真実を!」

「尊厳を!」



工匠奉都では、ラカンとアキが人々を鼓舞していた。


「聞いてくれ!」


ラカンの虎人族としての野太い声が、工房街に響く。


「俺たちゃ、ただの《器》じゃねぇ! 魂を持った生きた存在だ!」


拳が、高く掲げられる。


アキは、隣で頷いた。


「奏真さんの音楽を思い出して。あの響きこそが、本当の自由よ」


彼女の声が、優しく響く。


職人たちが、次々と工具を手に立ち上がった。

彼らの目には、新たな決意が宿っている。


「革命だ!」

「自由を!」


工匠奉都も、動き始めた。



共和国全土に広がる、《静寂》を破る調べ。


それは、長きにわたる精神支配の鎖を断ち切り――

人々の内なる《音》を目覚めさせる、希望に満ちた解放の序曲。


聖アージェンティウムに《響解》をもたらす――

その最初の雄叫びが、今、聖都の空に響き渡った。


静寂は、崩れ始めている。

共和国は、変わろうとしている。


そして、もう誰にも――この流れは、止められない。



聖都の上層、ミラルジャン家の執務室。


シルヴァンは、窓から下層を見下ろしていた。


通りに溢れる人々、掲げられる拳、響く怒号。


(これが――)


シルヴァンの拳が、震える。


(これが、自分が統治してきた共和国の姿なのか……?)


(完璧だったはずの秩序が――)


(崩れていく……)


いや――違う。


シルヴァンは首を振った。


(これは一時的な混乱だ)


(すぐに鎮圧できる)


(必ず――)


「許さん……!」


彼は拳で窓枠を叩いた。

ガラスが、ひび割れる。


「情報漏洩は断じて許されん! 全ては異端者の扇動だ!」


シルヴァンの声が、怒りに震える。


振り返り、部屋に控える幹部たちを睨みつける。


「この《混沌》を、速やかに鎮圧せよ!」


拳が、強く握られる。


その怒声は、廊下を震わせ――

周囲の者たちを、震え上がらせた。


壁にかけられた地図には、不穏なマークが――

既に共和国全土に、広がっていた。



ダミアン衛士総監の指揮の下、衛士庁と静謐維持局は必死に動いた。


監視烏が、数を増す。

空を埋め尽くすように飛び交い、不穏な動きを監視する。


完全武装した衛士が、常時巡回。

不審者は、即座に拘束。


訓練された衛士犬が、咆哮を上げて群衆を威嚇する。


聖都の空気は、かつてないほどの緊張と恐怖に満ちた。

人々の自由な表情が、再び影に怯えようとしていた。


だが――


「総監! 『静謐の環』が起動しません!」


衛士の一人が、駆け込んでくる。


「何だと!?」


ダミアンの顔が、歪む。


「監視烏の報告が、めちゃくちゃです!」


別の衛士が、叫ぶ。


「『白環門』が……閉まりません!」


次々と入る、想定外の報告。


ダミアンの顔が、青ざめた。


「なぜだ……!」


ダミアンの指揮は、ことごとく裏目に出た。


それは――偶然ではない。



工匠奉都の秘密工房では、理奈が端末を操作している。


「『静謐の環』の起動術を反転無効化――

監視烏の座標情報にノイズを混入――

『白環門』の開閉機構、ロック完了」


指が、画面を滑る。


レイモンドが、感嘆の声を上げた。


「見事だ……共和国の技術を、共和国自身に向けるとは」


その目には、驚きと尊敬が混じっている。


理奈は、冷静に答えた。


「システムの弱点は、開発者が一番よく知っているものよ」


理奈とレイモンドの技術が、アージェンティウムの霊法インフラの《裏側》を――

的確に、突いていた。


画面に映る、混乱する鎮圧部隊。

右往左往する衛士たち。

機能しないシステム。


彼らの焦燥感が、統制すべきはずの街に伝播していく。


「完璧ね」


理奈は、静かに微笑んだ。


共和国の ”秩序“ が――


今、


内側から、


崩壊し始めていた。

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