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第三部『聖アージェンティウム共和国 ― 白環の響解 ―』:第一章「潜流の都-蠢く予感-」:一

アノンノアの天蓋の下――

風は常に、柔らかな音を奏でていた。


魂が自由に形を変え、世界と響き合う――

生命の旋律。


奏真は、自身のカリンバが――

その調律の助力をしていると、日々深く実感していた。


だが、その穏やかさの裏で――


かつて彼を縛った《静寂》の鎖。

聖アージェンティウム共和国の冷たい影が、

薄氷のように、心の底に残っている。



煉鱗皇国での大いなる使命を終え――

アノンノアに戻った奏真は、

カシアンから送られてきた暗号に満ちたメッセージの意味を、

深く考えていた。


〈奏真。君の調律は、新たな世界を拓いた。だが、凍てついた静寂の奥底で、忘れ去られた旋律が息を潜めている。その響きを再びこの地へ届けるため、天蓋の光を映す鏡を求む。凍土に蒔かれた種が芽吹くには、幾千の雫が必要なれば、汝の許しを請う――〉


奏真は、その難解なメッセージを解き明かそうとしていた。


理奈、そして信頼を置く律紀――

三人で、何度も読み返した。


言葉の裏に隠された、カシアンの切迫した願い。

それを読み取ろうと、三人の知恵と経験を結集させた。



「《凍てついた静寂の奥底》……」


理奈が呟く。

指で、画面をなぞる。


「奏真が囚われていた、あの国のこと以外に考えられないわ」


その表情は、謎を解く科学者の鋭さに満ちている。


一呼吸。


「《忘れ去られた旋律》は――

共和国で抑圧されている人々の感情、

そして奏真の音楽そのものを指しているのでしょう」


律紀が深く頷いた。


「《天蓋の光を映す鏡》とは、我々アノンノアの持つ情報――

すなわち《真の調律》の理念と、自由な世界の姿」


その声は、確信に満ちている。


「そして《幾千の雫》とは、その情報を届けるための媒体」


律紀の視線が、二人を見渡す。


「つまり、小型〈見窓志盤〉の大量供給を求めていると見るべきだ」


奏真は、カリンバを優しく撫でた。


彼の瞳には、カシアンの苦悩が映し出される。

そして、共和国の友や人々の無音が。


「カシアンは――

俺の音楽、そしてアノンノアの知を」


拳が、握りしめられる。


「共和国の民に届ける手段を求めているんだ……」


三人の視線が――交わった。


そして、同時に頷く。


答えが、見えた。


カシアンが求めているのは――

奏真の音楽と、共和国の固く閉ざされた情報統制を打ち破るための《鏡》。


すなわち、小型〈見窓志盤〉の大量供給。


「これですね」


律紀が、静かに告げた。



この重大な結論は、直ちに――

アノンノア機構の〈公開掲示板〉へ、議題として上げられた。


アノンノアの未来、そして理念の行く末を左右する――

重大な議論の始まりだった。


〈議題:聖アージェンティウム共和国への介入是非/小型〈見窓志盤〉援助〉


掲示板に、次々と意見が投稿される。


〈[慎重]「国家としての介入は不可。共和国の厳重な監視体制下で、市民の安全確保は困難。情報援助も個人行動扱いに限定すべきである」〉


〈[賛成]「弾圧下の市民に届くのは、光を映す《窓》だけだ。その窓は武器ではない、絶望と希望を繋ぐ《橋》となる!」〉


〈[現場]「受け側の安全確保(受領→隠匿→再配布)を設計し、確実に機能する見込みが立ってからでも遅くはない。まずは実現可能性の検討を」〉


賛成票と慎重票が――拮抗する。

画面上の数字が、刻一刻と変動していく。


志行邦民たちによる議論は、白熱した。


共和国の厳重な監視体制、そして《静寂=善》という絶対的な教義――

それらは、アノンノアの《調律=調和》の思想と真っ向から対立する。


軽率な介入は、全面戦争に発展しかねない。

慎重論が多数を占めた。


掲示板は、激しい意見の応酬で溢れていた。



「しかし――」


理奈が、〈公開掲示板〉に意見を投稿する。


〈カシアンは奏真の命を救った恩人です〉


その言葉には、論理だけでなく――

恩義と人道的な感情が込められている。


〈そして、彼が求めるのは、共和国の人々を真の《調和》へと導く手助けだ〉


〈私たちの思想と技術が、今こそ必要とされています〉


理奈の指が、〈志盤〉を撫でる。


〈無音に閉じ込められた魂を見捨てるわけにはいきません!〉



議論が続く。


賛成、慎重、反対――

様々な意見が交錯する。


そして――


可決ラインを越えた瞬間。

投票バーが、静かに満ちた。


熱烈な議論の末、アノンノアの意志が固まったのだ。


それは、全面的な武力介入ではなく――

あくまで《知と調和の理念》を広めるという、

アノンノアの信念に基づいた、ぎりぎりの選択だった。


だが――


決定には、まだ何かが足りなかった。


邦民の心を動かす、最後の一押しが。



そして、奏真自身もまた――

〈公開掲示板〉を通じて、自らの決意を表明した。


〈俺が旧アルマティア協商連邦や煉鱗皇国で、そしてアノンノアで学んだことは、個の魂の音が世界を変えうるということでした〉


〈それぞれの魂には、自分だけの音がある〉


〈聖アージェンティウム共和国の人々も、きっと自分だけの音を持っている〉


〈それを、取り戻す手助けをしたい〉


〈カシアンは俺を救ってくれた〉


〈今度は俺が、彼と、共和国の人々を救う番だ〉


カシアンへの恩義、そして人々を救うという奏真自身の決意――


その表明が、アノンノアの総意を固める最後の一押しとなった。

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