第二部『煉鱗皇国 ― 咆哮と調律 ―』:第二章「護域の都-知と武の協奏-」:一
煉鱗皇国からアノンノアへの救援要請――
それから、数日後。
◆
炎龍城の空に――
見慣れぬ影が、現れた。
〈律霊飛空艇〉『ハルモニア』。
分厚い紅の城壁に囲まれた都へ――
それは、鐘の音も揺らさぬ静けさで、
降りていく。
金属の巨体が――
空気を震わせることなく、
着地した。
城壁上の弓楼には――
鱗衛が列をなしている。
槍の穂先は――
礼の角度を保ちながらも。
その目には――
未知への警戒と、
不信の色が、
深く宿っていた。
城門前の広場には――
すでに数千の民が、集まっていた。
頬に――瘴灼けの斑を宿した者。
布で口元を覆う――咳き込む者。
子を抱きしめる――母親。
皆が――
空を仰いでいる。
見慣れぬ、異邦の船を。
その視線には――
救いへの、希い。
そして――
剣なき者への、懐疑。
その二つが――
同じだけ、
揺れていた。
やがて――
飛空艇のハッチが、開いた。
しゅう――
空気が抜ける音。
そして――
一人の女性が、姿を現した。
律紀。
アノンノア代表兼技術主任。
その横には――
カリンバを携えた、若い男。
奏真。
そして――
機巧の道具を抱えた、若い女性。
理奈。
彼らの背後には――
様々な機材を携えた、
技術者たちが続く。
民衆が――息を呑む。
(これが――調律師……?)
誰かが、呟いた。
(こんな若者たちが――我らを救うというのか)
ざわめきが――広がっていく。
彼らを迎え入れたのは――
鱗衛省の兵士たちだ。
その眼差しは――
技術者たちではなく。
奏真の、カリンバに。
注がれていた。
一人の兵士が――小声で呟く。
「楽器……?」
別の兵士が――眉をひそめる。
「あれで、戦うというのか」
嘲笑。
困惑。
そして――屈辱。
異邦の楽士が――
この国の危機を、救うという。
彼らの武の誇りが――
静かに、しかし深く、
傷つけられていた。
一行は――
厳重な護衛のもと、
城内へと案内された。
◆
謁見の間――
そこは、武の威容を誇る空間だった。
重厚な龍の彫刻。
燃え盛る炎を象った装飾。
壁という壁が――
この国の力を、
誇示している。
その荘厳な空間の中央に――
龍帝ホヒトが、
玉座に座していた。
堂々たる威容。
圧倒的な存在感。
その両脇には――
武骨な鎧に身を包んだ、
獅子族将軍ガザン。
冷静な眼差しの、
狐人族の参謀ビャクロク。
そして――
後方には、
梟人族の長フシルの姿も。
奏真は――
その光景を、見つめた。
(これが――煉鱗皇国)
胸に――
静かな緊張が、
走る。
「アノンノアからの使者たちよ」
ホヒトの声が――
広間を満たした。
その声は――
石を震わせる響き。
「よくぞ、参った」
律紀が――一歩、進み出る。
膝を折るでもなく。
胸を張るでもなく。
ただ――
まっすぐに、言葉を置く。
「アノンノア代表・技術主任の律紀と申します」
その声音は――
丁寧で、
ひと欠片の虚勢もない。
「龍帝陛下からの要請を受け――」
一呼吸。
「瘴霞の災禍に対し」
律紀の目が――
ホヒトを真っ直ぐに見据える。
「私たちの知と技術をもって――
ご支援させていただきます」
その時――
ガザンが、鼻を鳴らした。
「知と技術、だと?」
その声には――明らかな嘲りがある。
「我が皇国は――」
拳が、握りしめられる。
「数千年にわたり、武の力で国を護ってきた」
一呼吸。
「魔窟孔の魔物など――」
ガザンの目が、鋭く光る。
「我らの刃をもってすれば……!」
律紀は――遮らない。
ガザンを一瞥することもなく――
ただ、玉座へ向けて、
同じ調子で続けた。
「陛下」
その声は――静かだが、確かだった。
「最初に、申し上げます」
一呼吸。
「アノンノアは――武を、否定いたしません」
律紀の言葉が――玉座の間に響く。
「相補――」
彼女は、続けた。
「それが、我らの姿勢です」
一拍の、沈黙。
「まず《測り》――」
「次に《備え》――」
「そして《守る》」
その三つの言葉が――
重く、
響いた。
ホヒトは――黙って、律紀の言葉を聞いていた。
《測り》
《備え》
《守る》
その三つの段階。
(合理的――だ)
ホヒトの胸に――
想いが去来する。
(私は――測ることなく、刃を振るった)
拳が、握りしめられる。
(備えることなく、前へ突き進んだ)
一呼吸。
(そして――守れなかった)
その合理的な三段階の思考が――
武で全てを解決してきた、
自らの短絡性を、
改めて、
突きつけてくる。
謁見の間の空気が――
一瞬、止まった。
そして――
鋭く、
張り詰めた。
「この――」
ガザンの声が――低く、唸るように響いた。
「ひ弱な学者が……!」
拳が、震える。
「我らの武を――」
その目が、怒りに燃える。
「下位に置くかのような言い草――」
ガザンの手が――
腰の剣に、
かかった。
「許せぬ!」
キィン――
剣が――鞘から、抜かれようとした。
その瞬間――
「――ガザン」
重々しい声が――
玉座から、響いた。
ホヒトだ。
「控えよ」
その一言が――
刃の鈴を鳴らす前に、
落ちた。
ガザンは――我に返る。
剣から――手を、離す。
だが――
その目には、未だ――
怒りの炎が、
燻っていた。
ホヒトは――
律紀とガザンの間の緊張を、
見渡した。
わずかに、顎を引く。
(感情に――走るな)
ホヒトの胸に――想いが去来する。
(その冷静さこそ――)
律紀を見る。
(今、我らが求めるもの)
そして――ガザンを見る。
(だが――ガザンの怒りも、理解できる)
ホヒトの瞳には――
未だ屈辱の影と。
しかし――
新たな可能性を見極めようとする、
王の覚悟が、
宿っていた。
「アノンノアの技術主任――律紀よ」
ホヒトが――
律紀に向き直った。
「貴殿の言葉――」
一呼吸。
「我の胸に、刻もう」
その声には――
確かな、決意が込められていた。
そして――
「セイラン」
ホヒトの声が、響く。
「進み出よ」
奥から――
白衣を纏った施薬院長のセイランが、
姿を現した。
足音が――静かに、近づいてくる。
「龍帝陛下」
セイランが――深く、頭を下げる。
「セイランよ」
ホヒトの声が――重く響く。
「アノンノアの使者たちに――」
一呼吸。
「瘴症の現状を、詳細に伝えよ」
セイランが――顔を上げる。
「彼らが何を為せるか――」
ホヒトの瞳が、鋭く光る。
「我は、それを問う」
セイランは――
恭しく頭を下げると、
淡々とした口調で語り始めた。
瘴症の進行度合い――第一段から第三段まで。
現在の皇国の医療体制の限界。
そして――《瘴灼け》と呼ばれる症状の深刻さ。
奏真と理奈は――
その説明に、真剣に耳を傾ける。
律紀は――
セイランの説明を聞きながら、頷き、
時折、自らの〈志盤〉に何事か入力している。
やがて――
セイランの説明が、終わった。
沈黙。
そして――
律紀が、口を開いた。
「……状況は、理解しました」
その声は――静かだが、確かだった。
「つきましては――」
律紀は、〈志盤〉を操作しながら続ける。
「まず魔窟孔周辺の――
既存の簡易瘴圧計では捉えきれない」
一呼吸。
「《瘴圧地図》を生成し――」
画面を、ホヒトに見せる。
「正確な《魔曝量》を可視化する準備を――」
律紀の目が、鋭く光る。
「直ちに、開始させていただきます」
律紀の言葉に――
ガザンの顔が――歪んだ。
再び、不快げな表情。
だが――
今度は、何も言わない。
ただ――
その拳が、
強く、
握りしめられている。
だが。
ビャクロクの眼差しには――
かすかな、期待の色。
フシルの瞳にも――
同じ光が、宿っている。
そして――
ホヒトは、
その全てを、
静かに、
見つめていた。
知と武。
二つの異なる哲学が――
今、
炎龍城で、
初めて、
交錯した瞬間だった。




