表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/38

第零部『亡命者』:第二章「万華鏡の都-歪んだ光彩-」

道は、乾いていた。


昼の熱が石の皿に残るように、靴底にぬるい温度がまとわりつく。

砂埃が、風に舞う。


ここは、もう共和国ではない。


数時間、無言で歩いた頃――

背後で、馬車のブレーキが砂を噛む音がした。


「……おや」


声が、背後からかかった。


「共和国の特使様が徒歩だなんて。何かアクシデントでも?」


振り返ると、そこには一人の男がいた。


肥えすぎても痩せすぎてもいない、中庸を商売にしたような中年。

上等な布だが、目立たない色の上衣。

笑うと、頬より先に目尻が折れる。


商人――ひと目でそれと分かる雰囲気だった。


「特使では――」


否定しかけた俺に、男は片手を上げて、先に頭を下げた。


「これは失礼。名乗りが先でしたね」


その動作は、計算されているようで、しかし自然だった。


「マルコ・ベザン。協連はオリエンティア邦の、オリエンティア商会に籍を置く一介の商人でして、共和国とは長らくお取引を――

それにしてもお召し物、『白天族』の近侍の式服に似て……ただ、袖口の縁取りと針目が違う。珍しい仕立てで、つい」


(着せられた服は、やはり目立つのか)

俺は覚悟を決めた。

「少々、所用で。この国の距離を、我が足で測ってみたくて――どうやら失敗でしたけど」


マルコは声を立てて笑い、馬車の扉を開けた。

「面白い! ささ、どうぞお乗りください。オリエンティアの拠点へ向かうところです。いやはや、これは良い取引の匂いがしますな」



馬車が動き出すと、マルコは窓越しに景色を指さした。


「協連では――」

彼は、何かを選ぶように言葉を探した。

「『イリム』が空気で、『衡位(こうい)』が天気、とでも言いますかね」


一呼吸置いて、彼は笑った。


「息をするにも、相場が要るんです」


「イリム?」


俺は、聞き慣れない言葉を繰り返した。


「こちらの法貨ですよ」

マルコは懐から、銀貨を取り出して見せた。

「財布の中身の重さで、人の口数まで変わる」


その言葉の意味を測りかねていると――

俺は、カシアンとの問答を思い出した。


あの時、俺は何を語った?


『製品』ではなく『作品』を作りたい。

人の心を震わせる、たった一つのものを。


「……共和国では、すべてが『製品』なんです」


俺は、ゆっくりと言葉を選んだ。


「厳格に管理された社会で、決められた物を、決められた通りに作る。

誰かの心が動く瞬間を見ることは、ない」


マルコが、じっと聞いている。


「でも、ここは違う。多様な人々が、知識を交換している。

なら――誰かが心から欲しがる『作品』を、生み出せる場所があるんじゃないか」


俺は、マルコの目を見た。


「そういう場所を、探してるんです」


マルコは、満足げに頷いた。


「なるほど。あなたは『規格品』より『逸品』に値をつける人だ」


彼の目が、商人の光を帯びた。


「なら――アカデミアへ行かれるのでは?」

「どことは決めていませんでしたが、そんな場所が?」

「ええ、学術都市がある。ただし入学には資格が要る。共和国民となると、まずは連衡都市リベルタで特別許可を」

「……私でも、取れますか」

「行ってみないとなんとも。ですが、ちょうど私もリベルタへ行くついでがある。『連邦渉外局』に顔が利きます。役人を一人、紹介しましょう」


オリエンティアの関所前で、マルコが小声で囁く。

「『通行手形』は?」

「ありません」

「なら、口利きと小銭で早く出す方法がある。正規より安い。どうします?」

金額を聞いて頷くと、マルコは俺を窓口へ連れて行った。職員は慣れた様子でうなずき、俺の書面に朱を落とす。

月写(げっしゃ)インク』――乾く前の赤い液体の中で、微かな銀の粒子が揺らめいていた。


「青紐の協商通行手形です。短期渡航者用の滞在許可証でして、60 日間有効です」

職員は札の見本をみせた。

「この『月写インク』は、月光に晒すことで固着し有効化します。関所の通過は明朝以降に」


マルコが笑う。

「今日は近くで休みましょう。今夜の月に手形を当てればいい」


その夜、宿の窓辺で手形を月明かりにかざす。

朱が内側から淡く発光し、数字が浮彫のように固まった。

共和国では霊法を制御するために浴びた光が、この国では金で買った仮初の自由を保証する光になる。

場所が変われば、光の意味も変わるのだと、俺は知った。


翌朝、関所はあっさり通れた。数時間後、オリエンティア商会のある街に着く。

「用事を済ませたら、リベルタへ向かいます。少々、お待ちを」



連衡都市リベルタは――光で、できていた。


いや、正確には違う。


皇国由来の魔法金属――『漆鋼(しっこう)』。

それを極薄に延ばした魔力の導線が、石畳の下で静かに脈打っている。


その鼓動が、広場の『衡鏡柱(こうきょうちゅう)』を点灯させる。

導線に噛ませた共鳴板で数式を光へ変える、表示柱(ひょうじばしら)


街の皮膚に、数値という光が走っていた。


広場の一基が、息をするように瞬いた。

白字が浮かぶ。


〈衡位速報:アカデミア +0.03/ヴィリディア -0.02〉


その瞬間――

露店の粉屋が、黒板の値札を一段、上へ滑らせた。


客が、舌打ちする。


粉屋は、柱を顎で示した。

「天気が変わったのさ。文句は空――いや、『連衡(れんこう)』へどうぞ」


俺は、その光景に目を奪われていた。

(数字が、街を動かしている)


マルコに案内され、俺たちは街の中枢――『連衡執行院』へと向かった。


『連衡執行院』の玄関は、無駄がない。

受付の職員が俺の手形を裏返し、薄青い光で検める。

「『連邦渉外局』 次長のユリス・フロイン様がお待ちです」


応接室。


窓辺に立つ男は、丁寧な笑みを口に乗せて――

目には、何も乗せない。


「遠方より、ようこそ」

その声は、滑らかだった。

「ユリス・フロインです」


「槻沢奏真と申します」


ユリスは、俺を一瞥した。

値踏みするような、しかし表面上は礼儀正しい視線。


「聖アージェンティウム共和国」

彼は、ゆっくりと言葉を選んだ。

「見事な箱庭ですな」


言葉は褒めているのに――

机上の天秤が、わずかに鳴ったような気がした。


「『霊窟孔(れいくつこう)』という唯一無二の資産で、自給が完結する。

不足がないのは、幸福だ」


一呼吸置いて、彼は続けた。


「こちらは毎日、泥にまみれて『イリム』を稼ぐ。

……自由は、少々コストがかかる」


その言葉の裏に、何かがある。

俺は、それを感じとった。


「国籍の付与は現実的ではない。外交収支が乱れる。ですが―― ”特別履修“ なら、話は別です」

ユリスは二本の指を立てる。

「提案を二つ。

一、貴国の『霊墨(れいぼく)』の安全性試験を我々と共同で行う。対価はアカデミア特別履修・半年。

二、共和国の工房作業工程の公開版を入手し、『規格局』に提出。対価は居住許可と就学紹介状。

いずれも合法です。――線引きはこちらでしますがね」


(――どちらにせよ、俺にできるはずもない条件だった)

「考える時間を、ください」

「ええ。『衡位』は急ぎますが、返答は急ぎません」


部屋の壁の向こうで、また微光が走った。

街のどこかで、価格が新しい位置に落ち着く音。


執行院を出ると、マルコが肩をすくめた。

「瓶をどれにするかは急がなくていい。ただ、呼吸は止めないことだ」

「協連を見てから決めたい。仕組みの全体を」

「なら、ひとつ回り道だ。ここから南西にある『アノンノア』。元は南縁協商圏の特区で、『情報に値札をつけない』って噂の風変わりな連中だ。評判は割れているが、活気は本物。見る価値はある」


新天地は、自分の足で探すしかない。俺は頷いた。

「……行ってみようと思います」


マルコは地図を指ですべらせる。

「内陸を直進するのは素人の道筋だ。西のポルトゥリアに抜けて、海沿いを南下するのがいちばん速くて安全――閘門と保全隊の目が届く。

ちょうど俺もポルトゥリアに商談がある。そこまで乗せていこう」

俺はその提案を受け入れた。



カナリュシア邦の運河沿いの街で、マルコが俺の服を値踏みする。

「その縫取りは金に見える。港で金は匂いだ。狙われる。これにしな」

渡されたのは、連衡式の地味な旅装。腰の内側に手形用の隠し袋が縫い付けられている。俺は素直に着替えた。

旅装の内側で、手形が冷たく触れた。

(盗人避けの縫い代は、ここでは常識らしい)


魔動船(まどうせん)』は、術者が後部の舵輪に手を置くと微かに震え、スクリューが水を噛んだ。

運河の岸壁には『漆鋼』の網が編み込まれ、閘門が滑らかに上下する。

(魔法がインフラに縫い込まれている。共和国では見られない光景だ)


ポルトゥリアに着いた瞬間は――

潮の匂いが、悪くなかった。


海が近い。

港の活気。

遠くで鳴る船の汽笛。


路地を覗くまでは――


壁にもたれる、中毒者。

虚ろな目。震える手。


少し先では、無表情で立つ少女。

視線だけが、値札のようだ。


俺は、思わず足を止めた。


肩が、不意にぶつかる。

腰に伸びる指――


だが、隠し袋の縫い目は、沈黙を守った。


思わず顔をしかめると、マルコが苦笑した。


「最近、ヴィリディアの農民が避難してきているらしくね」

彼の声は、低かった。

「薬に逃げる者も、流れ者も増えた」


俺は、黙って聞いていた。


「もし女を買うなら、組合に金を払ってる公認の店にしな。質も安全も、保証付き」


マルコは、肩をすくめた。


「……これも、この街の立派な経済活動だ」


(経済活動)


俺の胸に、疑問が渦巻いた。


(どこまでが数字で、どこからが悲鳴だ?)


ちょうどその時、造船所の『衡鏡柱』が一度瞬いた。

運賃表の札が職員の手で一段、上に掛け替えられる。

「はい、今から南行きは +1 イリムだよ」

並んでいた労働者が短く舌打ちした。パン屋は量り皿から一切れ外す。

(数字が、腹に届く)


マルコは宿を手配し、地図の上で指を走らせる。

「次はアルティフィキア。『魔動車(まどうしゃ)』が早い。ここから先は工場の匂いだ。気をつけろ」

言いかけて、彼は懐から小袋を取り出した。

「『イリム』を少し。貸しってことで。受け取ったら、袋の紐を一結びしてくれ。俺が二結び、もし再会できたら、あんたが三結びしてから(ほど)く――連衡商人の縁結びだ。悪くないだろ?」

「ありがとう、マルコ」

「礼はいらん。だが、いつかあんたが創る『作品』で一儲けさせてくれ。それが最高の礼だ」


彼と別れ、俺は宿の机にカリンバを置いた。

道中で歪んだ鍵板の一部を外し、慎重に調律する。

指先で軽く弾くと、澄んだ音が部屋に響きシラベが微かに羽音を立てた。

久しぶりに聴く相棒の歌声が、期待と不安のざわめきを柔らかな羽根でそっと撫でていった。



翌朝、労働者向けの乗合『魔動車(まどうしゃ)』でアルティフィキア邦へ向かった。

車内では、ヴィリディア邦から逃れてきたらしい人々が、貴族の買い叩きと前借清算の罠を、力なく語っていた。


アルティフィキア。

街に入った瞬間、音の密度が変わる。

共和国の工匠奉都が《静かな圧政》なら、ここは《騒がしい圧政》だ。

警笛、歯車列の唸り、金槌の乾いた打撃音。

空気が金属を飲み込み吐き出すたび、肺の内側がざらついた。


宿を取り、その裏庭でカリンバに最終調整を施す。


歪んだ鍵板を、慎重にはめ直す。

最後のひと締めを終えた――


その時だった。


「それ……」


不意の声。


俺は、手を止めた。


「初めて見る構造ね。楽器?」


振り向くと、そこには若い女性がいた。


煤で頬に三日月を描いたような、職人の顔。

両手は細いのに、何かを握る癖が染みついている。


彼女は、俺の掌の上のカリンバを覗き込んでいた。

その瞳には――好奇心が、輝いていた。


綾織(あやおり) 理奈(りな)

彼女は、名乗った。

「機巧工房の、徒弟よ」


その瞳は、俺の小さな楽器に――

まるで星を見たみたいに、輝いていた。


俺は、答えの代わりに――

そっと、カリンバを構えた。


呼吸を整える。


そして、奏でた――


工場の騒音の隙間を縫うように、

澄んだ音色が紡がれていく。


それは――


故郷の森の、息詰まるほどの静寂。

旅で知った街の、心をかき乱す喧騒。


その二つの両極を、一本の細い旋律が渡っていく。


友と交わした約束の温もりだけを、道しるべにして――


理奈は、ただ黙って聴き入っていた。


その表情から、諦めの色が――

少しずつ、洗い流されていくのが分かった。


工場の騒音が、遠くなる。

今、ここには、音楽だけがある。


演奏を終えると――

しばらく、沈黙が続いた。


理奈の目が、潤んでいた。


「……なんで」


彼女は、自分の頬に触れた。

指先が、濡れている。


「なんで、泣いてるんだろう。私」


戸惑ったような、でも少し笑っているような表情。


「悲しくないのに。むしろ――」


言葉を探すように、空を見上げた。


「初めて、何かが完成した時の歯車が、ぴったり噛み合った時みたい」


理奈が、もう一度カリンバを見た。

今度は、別の光が瞳に宿っている。


「ねえ、さっき見えた宝石みたいな球――

あれが、この『音楽』を作ってるの?」


感動から、好奇心へ。

それが、彼女の本質なのだろう。


俺は、微笑んだ。


「『霊珠』。霊法の媒体だよ。触ると危ないから、見るだけ」

掌の上で転がして見せると、理奈は目を丸くした。

「霊法の部品なんて資料でしか知らない……」


彼女は、カリンバに宿る不思議な力と、その音色に心を奪われたように、ぽつりぽつりと身の上を話し始める。

「契約更新印を押さないと、寮の寝具も出ないの。前借清算で賃金がゼロに戻るの、もう三度目」

理奈は、諦めの色を押しのけるように笑った。


俺は、彼女の瞳を見つめ返した。

「俺は『作品』を作りたい。誰かの心を震わせる、たった一つの」

理奈の目が、工場灯より少し明るくなる。

「……自分の時間を、自分のものにしたい」

言葉は短いのに、その決意の音に、二人の道が同じ場所へ続いていることが分かった。


俺は、『アノンノア』の噂を口にする。


「そこでは、才能が正しく評価されて、誰もが作れるらしい」


工場の警笛が、遠くで二度、長く鳴った。


理奈は――

荷袋から、契約札を取り出した。


その縁を、指で一周なぞる。


ひと呼吸――


札を、ぱきりと折った。


乾いた音が、夕暮れの空気に響く。


荷紐を、結ぶ――


小さく息を吸って、顔を上げた。


「私も――行く」


逡巡(しゅんじゅん)は、三拍で終わった。


新たな一歩の、音がした。


懐の小袋は、底の布が指に触れるほど軽い。


けれど――重さは、別にあった。


選んだ道の、重さだ。



夜。


運転手の詰所で、『魔動車』の南行きの相場を聞く。

二人分。

出立は、明朝。


詰所の小さな『衡鏡柱』が、ひとつ瞬いた。

壁の賃金板の数字が、一桁だけ動く。


その度に、運賃表の札も、わずかに揺れた。


カリンバを抱える俺の隣で、理奈は小さな荷袋の紐を結び直し、背負う。


遠くで、工場の警笛がまた、一度鳴った。


背中を、ひと押しされたような気がした。



万華鏡の都は、光の配分で人を酔わせる。


なら、俺は――

音で目を覚まさせる『作品』を作る。


『イリム』が空気で、『衡位』が天気なら――


魂の『調律』は、自分でやる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ