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第二部『煉鱗皇国 ― 咆哮と調律 ―』:第一章「昏睡の都-瘴霞の兆し-」:三

「『人災』、だと……」


ホヒトの声が――

玉座の間を、重く響いた。


その声には――


怒りよりも。

屈辱よりも。


深い、苦悩が滲んでいた。


民を救えなかった――

己の過ちを、

認めざるを得ない。


その事実の重みが――


ホヒトの胸を、

締め付けていた。


しかし。


だからこそ――


龍帝として、

この災禍を、

打ち破らねばならない。


沈黙。


長い、長い沈黙の後――


ホヒトは、立ち上がった。


「……よかろう」


その声は、低く、だが――確かだった。


「過ちを正すのも――王の務め」


一呼吸。


「ならば――」


ホヒトの全身から、龍人族たる威厳が迸る。


「我らが武をもって、この禍根を断つ!」



「ガザン!」


ホヒトの声が、響く。


「精鋭部隊を――編成せよ!」


ガザンが、一歩前に出る。


その顔には――

ようやく、という安堵の色。


武で解決できる。

それこそが、この国の在り方だ。


「御意ッ!」


ガザンの咆哮が、玉座の間を震わせた。


「我が龍人族の精鋭――」


ホヒトは、続ける。


「そして、上級種族の精鋭部隊を率いて――」


一呼吸。


「魔窟孔へと、出陣する!」


「龍帝陛下に――栄光あれ!」


ガザンの全身に――

再び、戦の熱が宿る。


拳が、握りしめられる。


これで――

この災禍を、断てる。


武で。



出陣の報は――

瞬く間に、炎龍城全土を駆け巡った。


憔悴しきっていた民衆の顔に――

再び、希望の光が灯った。


「龍帝陛下が――自ら出陣されるぞ!」


一人の声が、広場に響く。


「陛下ならば――」


別の声が、続く。


「必ずや、この瘴霞の源を打ち砕いてくださる!」


その声は――

瞬く間に、街全体へと広がった。


城門前には――

皇帝の姿を一目見ようと、

数千の民が、集まっていた。


老人も。

子どもも。

病を抱える者すら――


皆が、ホヒトの姿を待っている。


そして――


城門が、開いた。


歓声が――爆発した。


不安を。

恐怖を。

すべてを打ち消すかのような――


熱狂的な、大音量。


「陛下ァァァァ!」

「栄光あれ!」

「勝利を!」


その声が――

天を揺らすほどに、

響き渡った。


先頭を行くのは――

煌びやかな装甲を纏い、巨大な戦斧を携えた、

獅子人族将軍ガザン。


その後ろには――

屈強な獣人族の兵士たち。


そして――

燃え盛るような紅の鱗と、

威厳に満ちた龍人族の精鋭部隊。


その中央に――


龍帝ホヒトが、堂々と立っていた。


民衆が――息を呑む。


紅の鱗が、朝日を受けて輝く。

その姿は――まさに、龍そのもの。


「陛下……!」


誰かが、呟いた。


その声は――

畏怖と、

希望と、

絶対的な信頼に、

満ちていた。


ホヒトの眼差しは――

遠く、魔窟孔の方向を、

まっすぐに見据えている。


(武こそが――この国の全てだ)


ホヒトの胸には――


民を救うという、確固たる決意。


そして――


この危難を武で乗り越えるという、

誇り高き皇族としての、

揺るぎない信念。


それが――

渦巻いていた。


しかし――


魔窟孔の現実が、

彼らの誇りを、

嘲笑うかのように立ちはだかる。



奥深くへと進むにつれ――

空気が、変わった。


重く。

粘りつくように。


瘴霞の濃度が――

外郭の兵士たちが経験してきたレベルを、

はるかに超えている。


「隊列――乱すな!」


ガザンの声が、響く。


だが――


号令から、半拍遅れて盾が上がる。

掛け声と足音が、噛み合わない。


兵士たちの動きが――

明らかに、鈍っていた。


カン――カン――


瘴圧計の針が、計測限界を叩く。


警鐘が――鳴り続ける。


「怯むな――前へ!」


ガザンの咆哮が、瘴霞を裂く。


「禁域は、もう目と鼻の先だ!」


その斧が――弧を描く。


裂爪斬(れっそうざん)》――


獅子族に伝わる、必殺の一撃。


これまで、どんな敵をも両断してきた技。


斧が――魔物を捉える。


だが――


手応えが、ない。


瘴霞に蝕まれた体では――

本来の威力の半分も出せなかった。


「なに……!」


ガザンの目が、見開かれる。


そして――


戻りしな。


その巨躯の肩が――

わずかに、沈んだ。


(呼吸が――)


ホヒトは、それを見逃さなかった。


(ガザンの呼吸も――乱れている)


ホヒトは、それを見逃さなかった。


そして――


「グオオオオオッ!」


瘴霞によって凶暴化した魔物が――

群れで、噴き上がった。


これまでなら一撃で倒せたはずの個体が――

斬っても。

斬っても。

止まらない。


視界の端で――


若い龍人兵の指先が、黒く染まっている。


その手が――震えていた。


「がはっ…ぐっ…!」


最前線の熊人族の精鋭が――

片膝をついた。


周囲の呼吸が、乱れる。

行軍列の間が、伸びる。


「全列――密度を保て!」


ガザンが、吠える。


吠えながら――

その視線が、横へ揺れた。


倒れた兵の肩。

浮いた、斑点。

荒い、息。


その一瞬――


ガザン自身の息も、崩れた。


「陛下――これ以上は!」


龍人族の副将が――

ホヒトの盾となりながら、叫んだ。


ホヒトの胸にも――

鋭い鈎が掛かったような違和が、走る。


重い――四肢。

霞む――視界。


鍛え抜いた――この肉体。

秩序を刻んできた――この意志。


数多の敵を、屠ってきた。


だが――


それすらも、


この瘴霞の前では――


何の、


意味も、


なかった。


(このままでは――兵が、死ぬ)


ホヒトの胸に――

一つの想いが、去来する。


(民を護るためには――)


拳が、握りしめられる。


(兵を、生かさねばならない……!)


その一念が――


古い誇りを、押しのけた。


「――撤退する」


ホヒトの声が――

瘴霞の奥へと、響いた。


苦渋に満ちた――

だが、確かな声。


その言葉は――


敗北の号令ではない。


兵を連れ帰るための、決断だった。


だが――


史書は、たしかに――

この日を、

屈辱の撤退と記すだろう。


退路の守りに――ガザンが立った。


その斧が、瘴の霧に白い軌跡を描く。


「退くぞ――遅れるな!」


ガザンの咆哮は――強い。


だが。


ホヒトには、はっきりと聞こえた。


その奥に沈む――

短く、重い、逡巡が。


(武で――勝てなかった)


ガザンの胸に――


初めて、


確かな疑問が、


芽生え始めていた。


最強を誇る龍帝と精鋭部隊は――


魔窟孔の中心に、

たどり着くことすら、

叶わなかった。


瘴症 第三段 に近い重い症状を抱え、

血と瘴霞に塗れながら――


彼らは、


炎龍城へと、


戻っていった。



城に戻る列は――静かだった。


勝鬨は、ない。


鎧の鎖が――

しゃらり、しゃらりと擦れる音だけが、

石畳に響く。


門楼の上では――

旗が、風を失い、

布の重みで、垂れている。


迎える民は――口を噤んだ。


ある者は――

額に手を当て、俯く。


ある者は――

子の手を、きつく抱きしめる。


ある者は――

ただ、立ち尽くしている。


誰も――声を出さない。


出せない。


「陛下……」


小さな、か細い声。


それは――

期待ではなく。

歓喜でもなく。


ただ――


悲しみと、

絶望に、

満ちていた。


あれほど熱狂的だった歓声は――


もう、どこにもなかった。


代わりに――


重い、沈黙だけが、


この都を、


覆っていた。


ホヒトは――歩みを止めない。


胸中で言葉が燃え、

灰になり、

残るのは――

責の熱だけだった。


(刃は――いまは届かぬ)


(だが)


(私の務めは――届かせることだ)


(たとえ、その手段が――)


(武に非ずとも)


一歩、また一歩。


その足は――決して、止まらない。


夜――


玉座の間に、ひとり残る。


鱗の隙間から漏れる疲労の痛み。


それは――さほど問題ではない。


問題は――


絶対的な《武》が、


初めて、そして完全に、


その有効な手立てを、


見失った――


その、事実だ。


ホヒトは――

玉座の肘掛けを、握りしめた。


(私は――龍帝だ)


(民を、守らねばならない)


だが――


武では、守れなかった。


その現実が――


ホヒトの胸を、

鋭く、

抉っていた。


長い――


長い沈黙の後。


ホヒトは――

重い口を、開いた。


「……知を、借りる」


その声は――

誰に向けたともなく。


だが――


確かな、決意を帯びていた。


「次は――」


拳が、震える。


一呼吸。


そして――


「必ず、勝つ」


その声が――

少しだけ、強くなる。


「そして――」


もう一度、深く息を吸う。


「民を、守り切る」


その呟きは――


石壁に吸い込まれ、


やがて――


静かな、


決意へと、


変わった。

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