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第一部『アルマティア協商連邦 ― 偽りの天秤 ―』:第三章「天秤の都-協和のコンチェルト-」:終

『衡鏡柱』の光が消えた――


リベルタの朝は、不思議なほど静かだった。


これまで街を支配していた、指標の明滅が止んでいる。


代わりに聞こえてくるのは――


人々の、ざわめき。


不安と。

解放感と。

戸惑いが、入り混じった。


人間らしい、音。


広場の露店では、パン屋と客が《今日の適正価格》について、怒鳴り合うでもなく、困ったように笑いながら話し合っている。

数字の呪縛から解き放たれた街は、まるで生まれたての赤子のように、自らの声を、自らの律動を、手探りで探し始めているようだった。

その手探りの音は、数日後に行われる最初の円卓会議の議場にも、微かな期待のざわめきとなって届いていた。


その議場は、もはや議員たちだけのものではなかった。

マルコ・ベザンをはじめとする各邦の商人たち、アカデミアの改革派の学者たち、そして南部で立ち上がった労働者や職人たちの代表。

誰もが同じ卓を囲み、この連邦の未来について、真剣な眼差しで議論を交わしていた。


俺と理奈も、その片隅にいた。

もはやアノンノアの《調停役》としてではなく、この新しい連邦の形を模索する、1人の仲間として。

律紀さんは、議場の隅で、安堵と達成感の入り混じった表情で、議論の行方を見守っている。その傍らには、エルディアスやガルド、そしてカリストの姿もあった。彼らの顔にも、未来への希望が灯っていた。


「我々は、連衡制のために建てられたアルマティアという“枠”を外す」

マルコが、力強く宣言した。

「我々には、各邦の歴史と文化がある。『アノンノア原理』を基盤とし、知恵を借りながら、我々は我々の手で、より健全で対等な共同体を各自築き上げるべきだ」

その言葉に、誰もが深く頷いた。


しばしの静寂。

次に壇上に立ったのは、カリストだ。彼の声は、熱気を帯びていた。


「我らカナリュシア邦は――」


カリストの声が、議場に響く。


「水運の都として培った、流通の経験と歴史を、次代に繋ぐ」


一呼吸。


「〈カナリュシア志區〉を設立し――」


「物流の透明化と効率化、

そして相互の富を育む新しい水脈を――」


カリストは、拳を握りしめた。


「この手で築くことを、ここに宣言する!」


カリストの宣言に、議場から微かなざわめきと、期待の視線が向けられる。

続いて、ヴィリディア邦の代表が壇上に立った。その声は大地のように力強い。

「我がヴィリディアは、肥沃な大地と豊かな実りの経験を活かす。〈ヴィリディア志區〉を創設し、確かな食の供給と、次代を育む農業技術の研究を推進する。豊かな食の未来を、我々が耕そう!」


次に、ポルトゥリア邦の代表が、腕組みをして頷きながら壇へ向かう。

「ポルトゥリアは、古より海と共にある。〈ポルトゥリア志區〉は、広大な海洋の叡智を探求し、新たな航路、そして海の恵みの公正な分かち合いを担う!我らの羅針盤は、真の方角を示すためにある!」


最後に、アルティフィキア邦の代表が、一歩踏み出すように力強く語る。

「アルティフィキアの職人魂は、連衡の圧政下でも決して錆び付かなかった。〈アルティフィキア志區〉は、ものづくりの技術を継承し、革新的な道具と、人々の暮らしを豊かにする創造を担う。我々の手から、真の繁栄を紡ぎ出すことを誓う!」


各邦は、固有の伝統や歴史を色濃く反映させた〈志區〉の設立を次々と宣言していった。

互いの得意分野を活かした新たな連携の形が、まさにその場で模索され始めていた。

その活動の中心となる専用の『天蓋』を、それぞれの首都に建設する計画も、熱気を帯びて動き出した。


新たな共同体群の総称は――


『アノンノア協和連域』。


それは――


各邦が〈アノンノア機構〉を核に自律しつつ、

『アノンノア原理』に基づく公開原則と相互扶助を共有する。


全志區を束ねる台帳〈志區結節譜〉によって、

緩やかに結ばれた――


国家ではない、"秩序"のかたち。


支配ではなく――調和。

命令ではなく――対話。


それが――


新しい連域の、在り方だった。


アノンノア邦は全面支援を表明し、ここに《調和》という名の協奏が始まった。


そんな新たな熱を眺めながら、俺は一人、迎賓館のバルコニーにいた。

眼下には、光を失い、今はただ静かに沈黙する『衡鏡柱』の(むくろ)が見える。


ふと、隣に気配を感じた。


いつの間にか理奈が横に立っていた。


夜風に髪を揺らしながら――


「――協奏曲は、終わりじゃないのよ」


理奈が、静かに言った。


「ソリストの華やかなカデンツァが終わって――」


彼女は、夜空を見上げる。


「ここからは、全員で主題を編む時間」


一呼吸置いて――


「本当の始まりなんだから」


「ああ、そうだな」


俺は、頷いた。


「コンチェルトは――独奏がすべてじゃない」


俺も、夜空を見上げる。


「誰もが自分のパートと音色を重ねることで――」


カリンバを、そっと握りしめる。


「はじめて真の協和が、奏でられるんだ」


理奈が――微笑む。


「次は、どこへ行くの?」


俺は――答えなかった。


まだ、分からない。


だが――


「俺の旅は――」


カリンバを見つめる。


「まだ終わらない」


理奈が、小さく頷いた。


気づけば、会議のざわめきは遠い潮騒に変わっていた。


夜は深く、空気は澄んでいる。

そのとき、懐の〈志端〉が二度、短く震えた。


開くと、アノンノア機構から二通のメッセージ。いずれも〈見窓志盤〉経由で、俺宛てだ。


一通目――


炎と鱗の紋章。


煉鱗皇国。


俺は、息を呑んだ。



〈貴殿の奏でた音色――我が皇帝の耳にも届いている〉


〈かの『天秤』を止めたその "調律" ――武では測り難い力があると認めよう〉


〈我が皇国は今、未曾有の災に直面している〉


〈我らは誇りを捨てぬ。だが――民を守るための対話は、誇りに背かぬ〉


〈――槻沢奏真、来たれ。一度、話がしたい〉



煉鱗皇国――


武の国が、対話を求めてきた。



そして――二通目。


差出人の名を見て――


俺は、息を呑んだ。


カシアン・ド・ジヴレクール。



〈見事なコンチェルトだった〉


〈――なるほど、魂の音色とはかくも世界を揺るがすものか〉


〈貴殿の次の旅路が、秩序を織るのか、混沌を深めるのか〉


〈興味は尽きぬ〉


〈次なる楽章の主題は――もう決まっているのか?〉



カシアン――


あの男も、見ていたのか。


俺は、メッセージを閉じた。


そして――


夜の向こうに広がる世界を、見つめた。


『偽りの天秤』は、砕かれた。


だが――


世界には、まだ多くの不協和音が満ちている。


煉鱗皇国の災い。

カシアンの謎めいた言葉。


そして――


まだ見ぬ、数え切れない魂の叫び。


俺は――


調律師だ。


魂の音色を聴き――


その響きを、調える。


それは――


他者に与えられた役割ではない。


自ら選び取った、魂の響き。


俺の旅は――


まだ始まったばかりだ。


そして――


次の楽章の、名もなき主題は。


既に俺の胸の奥で――


確かに、


響き始めていた。




【第一部 完】

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