変態村
五年の月日が経った。
昼間の会社では相変わらず上司と早見が言い争っていた。上司はコーヒーに大量の砂糖を入れる事に対し、早見は健康害と指摘していた。
前よりもくだらない喧嘩が多くなっている反面、仕事での喧嘩は少なくなった気がする。
早見はホラー企画のリーダーに昇格してからは、上司のありがたみを感じる様になったらしい。
最初はセクハラパワハラと文句言っていたが、上司の仕事振りを評価するようになった。
「早見ー。喧嘩は後にして昼食しに行こうよ」
「え。私はまだ」
「管理職命令だ」
俺達は会社の小さな休憩室で弁当を食べた。辺りには人が居なく静寂だ。
「クソ上司は歳をとるにつれ、さらにクソになったと思いません? 頑固で突っ走る所は今でも苦手です」
「けど早見は給料上がってるし、リーダーを任せられたんだ。何度も言うけど、上司は早見を期待してるよ。あ、このふわふわ卵焼き美味しい。早見って手料理本当に上手いね」
「別に大した事ないですよ。一応水木先輩は彼氏だし、よく頑張ってるからたまには弁当を作り、ついでに凝ってみようかなとか思っただけで.......」
事件後から半年が経った時に、早見から突然告白された。正直びっくりはしたが、すぐに返事をした。
付き合うと言っても早見の性的トラウマを配慮しお泊まりは無し。デートも仕事の都合上あまり無い。
仕事場で顔を合わせてるが、俺は管理職で全体を纏めないといけない。
なのでホラー企画で頑張ってる早見には、助言ぐらいでしか会話をしない。したくても目が回る忙しさだからしてる余裕がない。
あの件からこの会社の知名度は上がり、仕事の量にバグが起きそうな程になってしまった。
上司だけはいつもみたいに余裕ぶり茶を啜ってる間、俺達は走り回っていた。
だから無理矢理作った休憩時間でやっと、俺と早見の空間が出来る。
「そういえば。私と先輩が付き合ってる疑惑が社内で流されてるみたいですが。先輩が流したんですか」
「流してないよ。早見が好き好きオーラを俺に向けてるから、それでバレてるんじゃないの」
「まっ! 私はそ」
早見は俺の肩に触れることに躊躇した。
まだ男性恐怖症が残ってるのは気付いていた。
あんな目にあえば。男性は怖い生き物だと認識してしまうのも無理はない。
「無理はしなくていい」
早見は怒った顔で俺の肩をぎゅっと掴んだ。
「してない。付き合うって宣言したんだから、こんなの気にしたくない」
早見は男性恐怖症をこえ、俺を好きになったらしい。
それを思うと、少し早見を可愛いって感じる。
「いつか下の名前で呼べたら良いね」
早見は深く頷く。
「.......あ。先輩。また行っても良いですか。十一月二十四日に、近くの海へ」
俺は一瞬疑問に感じたが、すぐ察して頷いた。
二十四日は早見は休みだが、俺は出勤日だった。
なので夕方まで仕事をした後に、海で早見と待ち合わせをする事にした。
冬の海は少し荒れていた。空は夜の色を混じらせていて、その中に輝く月が浮いていた。
月を見ている早見に声をかけた。
「寒くないか? その格好」
俺は早見にカイロを渡すと、早見は嬉しそうにした。
「十一月二十四日の海で、理玖さんと待ち合わせをしてる。なんて。毎年守って来てるのが馬鹿みたいなんですが、いつか現れるんじゃないかと思ってつい.......。理玖さんは絶対に現れないのは分かっています。だから幽霊にでもなって、姿を現してくれたら良いなぁ」
「幽霊嫌いな早見がそんな事を。理玖さんには何か深い思い入れがあるの?」
「無いです。ただ悲しくないですか。苦しんで生きてきた人間は、最後まで苦しんで死ぬ。それが私には理解したくないんですよね。理玖さんの想いは私達以外には伝わってないし。理玖さんはそれで良いのかもしれませんが、自分には.......」
早見は貝殻をとり、海へ投げつける。
「人の意見は必ず一致しないよ。みんな違ってみんな良いように。意見を受け入れるのは間違いかもしれない。でも意見を受け入れないのも間違いかもしれない。絶対の答えは無いから、自分の答えを信じる方が良いんじゃないかな。じゃないと永遠に間違えてしまうよ」
「いつも説教臭いですね。嫌いじゃないですが」
早見は微笑む。
俺達は数分浜辺に居たが。当然理玖さんは現れる気配すら無かった。
「........寒くなってきたし、帰らない?」
「そうですね。ごめんなさい気を遣わせて。助かりました」
「良いよ礼は。好きでやってるからね」
俺達は後ろへ振り返る。
少し離れた場所に.......、髪の長い男性が立っていた。
「誰だろうあの人」
俺は頭を横に振った。
男性は笑った後
「久しぶりだね。美来、雄太」
その声はとても懐かしかった。
「........理玖、さん?」
理玖さんは俺達の元へ歩む。
「何驚いてんの? 幽霊見ちゃった顔して。髪は長く服装は地味にしてるだけで面変わりしてるのかな?」
「いや。だって死.......」
「ああ表面上はね」
理玖さんは早見の前に立つ。
「たった数年で見違えるほどに綺麗になったね美来。好きな人のために綺麗になろうとしてんの?」
「えっ!? ち、ちがっ!」
早見は顔を真っ赤にする。
「.......教えてくれませんか? 何故生きてるのかを」
理玖さんは俺の顔を見つめた後、口を開いた。
「綾女と争って崖に落ちたのは本当。でも実はほんの少しだけ息をしていたんだ。で、病院で治療をして奇跡的に回復をした。ただ警察は死亡扱いにした方が良いだろうと判断し、けど過剰正当防衛とはいえ。無罪放免は駄目だからちょっと更生していたら、いつの間にかこんなに日が経っていたんだよね。ありがとう美来。律儀に約束守っている所が好きだよ」
理玖さんは相変わらずヘラヘラとした態度をとっていたが、前よりもなんというか大人ぽくなったような。
大人というか、三十代になれば落ち着いていくもんだよな。
「怪我は大丈夫だったんですか?」
「全然平気では無かったけど。幸いにも落ちる所が海だったからか、手足骨折程度で済んだよ。軽い後遺症はあっても気づかれないぐらい。ラッキーだったね」
「ラッキーだったじゃないよ。心配かけてさ.......」
早見が泣き始める。
「俺のことそんなに心配だったの?」
「悲しかった。優しい人が死んじゃうのは、他人でも敵でも嫌よ」
「ほんと可愛いね美来は。雄太が居なければ彼氏候補だったのに」
早見は目を見開くと、理玖さんは冗談を言ったかのように舌を出した。
「けど。割とマジで早見美来には惚れてんだよ。自分がもっと普通なら、さ。普通なら恋も出来たんじゃないかと思うよ」
「普通とか関係ないと思いますが.......」
「雄太は普通だからそう言えるんだよ。普通になりたくても普通にはなれない。俺の遺伝子がそう言ってるんだ」
俺は何も言い返せなかった。
「悪い悪い。不愉快にさせるつもりは無かったんだ。別に良いんだよ。恋の他にも楽しい事はたくさんあるって知ったんだ。外の世界はね。本当に素晴らしくて美しい。ここは自由だし、手に入れたかったものが手に入る。ずっと、ずっとこんな世界を待っていたんだ。だから雄太と美来には凄い感謝してる。ありがとう。俺を解放してくれて」
理玖さんは目を輝かせながら笑った。
「........仕事はどうしてるの?」
早見が言う。
「農業をしてる」
「家は?」
「子のいない年寄り夫婦と暮らしてる」
意外。失礼だが、世間ではかなりやばい人だと認識されそうだけど.......。
「びっくりした? 顔に出過ぎだよ雄太。単に運が良かったんだよ。年寄り夫婦はとても優しくて、俺のような奴にも愛情をかけてくれるの。初めてさ。愛はこうゆうのかなって感じたよ」
「そうですか.......」
「.......理玖さんが幸せそうで本当に良かった。多分これから、外の大変さを知ると思う。も、もしそれで辛くなっ、たら.......」
早見は吃る。
「連絡交換をしたいのは山々なんだけど、ちょっと出来ないかなぁ。一応政府との約束があるし。てか秘密で、特に俺を知る二人に会うのは法律的にアウトなんだ。だからこれで最後にしたい。ごめんね、どこまでも勝手で」
早見は頭を横に振る。
「じゃあそろそろ行くね。今日偶然会えて良かった。きっと神様が会わせてくれたなんてね。最後に雄太。美来をちゃんと守ってあげてね。美来は自分が正しいと思った事を、言葉でしっかりと正しいって言える子になってほしい。美来は口が悪くて突っ走る所があるけど、そこに間違いは無いと思うんだ。もし間違いだとしても、百パーセント反省すれば良いだけ。雄太もだけど、あの時のように我慢をしたら駄目だ。我慢をしなければならないなんて、何も良い事は無い。ただ自分に毒を与えるだけ。我慢して死ぬなら、死ぬ方がマシだと俺は思ってる」
俺と早見は黙っていた。
「まぁこれは俺の自論。鵜呑みにしろとは全く思ってないよ。ただ何か迷った時に俺の言葉を少しでも思い出してくれたら嬉しいな。とりあえず俺は俺なりに頑張るし、あの頭がおかしい村よりはここは平和だろうから、悩みぐらいなんてことない。俺の心配は必要ないし、心配される筋合いはないよ。だってそうだろ? あの世界で生きたんだ。雄太も美来もその世界を一応知ってる。あれより理不尽で殺されそうな毎日は多分起きないじゃない?」
「.......強いんですね理玖さんは。俺達はそれでも毎日悩んだり死にたくなる時があるんです。あんな生活をしていても」
「強いんじゃないよ。元々の性質と、何十年もあの環境に居たからこその考えだよ。俺と二人の考えは違って当然だし、これからも交わる事は無い。あ、悲観しないでよ? ふと普通に産まれて普通に暮らしていたら........。そう思う時はあるけど、これは仕方がない運命だもん。でも二人に会えなかったかもしれない運命を想うと、これはこれで良い人生だと本気で思う。考え方次第だよほんと」
理玖さんはポケットからスマホを取り出した。
「やべ?! 門限の時間になる! またじいちゃんに怒られるぞ.......。では! 二人とも末永く元気にイチャイチャしろよ! 一瞬の喧嘩別れとか悲しいことはすんなよ〜。じゃ、また何処かで会えたら良いね」
理玖さんは急に走り出した。
「り、理玖さんも! お元気で!!」
俺が言うと、理玖さんは振り返らず手を挙げた。
理玖さんはあっという間に姿を消した。
.......海の音が、鼓膜を震わせている。風が鼻腔を触る。
身近な音が頭の中まで響き渡るのは、あの事件の時だけだった。
毎日しんどくて、いつ死ぬか分からない恐怖に怯えていた。
そう思えば今は平和なのかもしれない。でもその平和に何故か怯えている。平和過ぎた場所は、それはそれで奇妙に感じてしまう。
「早見。もし俺がおかしくなったらどうする?」
「助けるに決まってます。じゃ私なら?」
「助けるよ」
「.......水木先輩が何を考えてそう言ったのかは、大体予想がつきますよ。とりあえず何かあれば私に頼ってください。ちょっとでも力になるよう頑張りますから。簡単な話、支え合えば良いんですよ。今はそれで良いんです。それ以上は考えたって無駄ですから。先輩はね。考え過ぎなんですよ。だからとても頭が良いのだろうけど、その分苦しむんですよ。たまには人任せにしたりして全責任を背負わないようにしたらどうですか。見ているこっちが疲れるんですから」
早見の言葉に。少し胸を打たれた。
なんでも考えるのが偉いと思っていたが、たまには考えなくても良いのかもしれない。
考えて出した答えも、考えないで出した答えにも。絶対正しいは無いから。絶対正しいはただの自己都合なだけで、周りからは正しいと思われないかもしれない。
ちょっと肩の力を抜いた方が良いかもね。もうちょっと人を信用して、早見に頼っていきたい。
「理玖さんには本当に救われるよね」
「そうですね。理玖さんも私達も幸せになりたいですね」
「早見。こんな俺でもついて来てくれる?」
「当たり前ですよ。そんな貴方だから、私は好きになったんですから」
時に早見がストレート過ぎる告白をしてくる。
どう返せば良いのか分からなくて。笑えばいいのか、真っ赤になればいいのか.......。
俺は微妙な微笑みを返した。普通に笑ってるような、はにかんでるような。
自分で何がしたいのかさっぱりだけど......。
ま、これでいいや。と思った。