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8話

 父の元に駆け寄ったイヅナは、付近にいた警備員に押し倒されることとなった。

 秘書の男はイヅナを一瞥し鼻を鳴らした。


「まさかセキエイさんだけでなく、その息子さんまでブーリー議員に反対し、危害を加えようとしてくるとは」


 イヅナは困惑した。地面に押さえつけられながら、身体を捻るようにして秘書の男を顧みた。


「父が、ブーリー議員に反対?」


「ええ、そうです。ブーリー議員は平民を重んじた政策を考案されるほど寛大なお方。だというのに、セキエイさんもあなたも本当に愚かだ」


 セキエイが遠くで「息子は関係ない」と叫んでいる。勿論そんなことはまるで意味を為さない。

 このままではイヅナまでもが逮捕されかねないと判断したルシオは、イヅナと秘書の間に割り込んだ。


「そいつが関係ないというのは事実だ。ブーリー議員のことは今日まで知らなかったようだからな」


 ルシオはイヅナを押さえ付けている警備員の腕を掴んだ。


「その手を離せ。解放せねば暴行罪で起訴する」


 警備員は秘書に判断を問うように視線を投げ掛けた。だが秘書が頷くことはなかった。代わりにルシオを牽制しようと口を開く。


「君。あまり反抗的な態度は取らない方がいいですよ。君のその態度はブーリー議員への不敬。君まで貴族不敬罪を問わなければならなくなりますからね」


 そう言って、ルシオをぎろりと見下ろした。だがルシオは引かなかった。


「貴族が貴族を貴族不敬罪で訴えることができるとは、初めて知った」


 ルシオの言葉を聞いて、秘書は明らかに『しまった』という顔をした。ルシオが貴族だとは思わなかったらしい。


「あ、あなたも貴族でしたか……ッ」


 秘書が警備員に対して「離せ」と命じると、警備員は手を離した。

 解放されたイヅナがすぐに父の元に駆け寄ろうとしたので、すかさずルシオは「馬鹿者」とイヅナの肩を掴み、制止した。


「いま解放されたばかりだというのに、また捕まるつもりか?」


「ですが……!」


 ルシオの言葉といえど、この男は聞かないだろう。ルシオは溜息を吐き、秘書に声を掛けた。


「親子の最後の会話だ。責任は俺が取る。邪魔はしてくれるな」


 他貴族が責任を取れるならばと、秘書は頷いた。これで、あとでルシオが高位貴族でなくたかが男爵家の出だったと知られたら物議を醸しそうだ。だが特に名乗れとは言われなかったし、今はこれでいいだろう。


「父上!」


 イヅナは倒れ込んでいるセキエイの前に膝をついた。そんな息子にセキエイは苦々しげな表情を浮かべた。


「私のことはいい。お前はこれ以上この件に関わるな」


「父上が連れて行かれるところを、黙って見ていろと言うのですか!」


「そうだ。……母を、よろしく頼む」


 そう言われてしまっては、イヅナはこれ以上どうすることもできなかった。

 セキエイはルシオの方に目を向けた。


「色々とありがとうございます。お貴族様にこんなことを頼んで申し訳ありませんが……どうか息子をお願いします」


「当然だ」


 ルシオはセキエイの方に屈み込むと、彼に耳打ちした。


「間違っても、自害など考えるなよ」


 セキエイは目を見開いた。

 聞き流されなかったことに、ルシオは安堵した。そしてもう一言、付け加えた。これで最悪の選択を踏み留まってくれることを願おう。


 父が連行されていく様子を見ながら、イヅナは唇を噛んだ。己が何も知らなかったことを、ただただ後悔していた。


(一体何があったのだろうか。このようなことになる前に、状況を把握しておくべきだった)


 だが、仮に状況を把握できたとして、自分に一体何ができただろうか。

 イヅナはそう思ったものの、いややはり自分には何も出来なかっただろう、と目を伏せた。


 そんなイヅナに、ルシオは忌々しげに声を掛けた。


「おい、いつまで突っ立っているつもりだ。父親を救う気があるなら、さっさと行動しろ」


 そう言ってから、演説で使用した道具を片付けて立ち去っていくブーリーと秘書の方へと目を向けた。


「まずはセキエイが、何故ブーリーの奴に反発していたか知る必要がある。奴がやろうとしている政策を調べねば。演説では民衆を扇動するばかりで、具体的な法案一つ言わなかったからな」


 どこならば調べられるだろうか。

 学校の図書館にでも行けば、ここ数十年間の新聞が所蔵されているだろう。探せば見つかるかもしれないが、その膨大な量の情報の山から該当の情報を見つけ出すのは至難の業だ。


 となれば、セキエイの家に行った方が早いかもしれない。彼はブーリーに関する情報を調べていたに違いないからだ。

 しかし彼の家は何処にあるのだろう。この学校は全寮制学校ボーディング・スクールなだけあって、機関車が必要になるほど遠方から来ている者も多い。

 例えばルシオの場合、カイヤナイト領は僻地であるために、入学式前にはより近い首都郊外のタウンハウスに滞在していたくらいだ。燃えてしまったが。

 そのような僻地にセキエイの家があったとしたら、簡単に行ける距離ではない。


「イヅナ。貴様の家は何処にある?」


 返答が無かった。イヅナを見ると、目が合った。彼はじっとルシオを見つめていた。


「……ルシオ様。なぜ、知り合って間もない、ただの平民である我々などのために」


 ルシオは言い淀んだ。

 間違っても、誰かに『この世界は小説の世界で、自分は前世でその小説を読んだから未来がわかる。悲惨な未来を阻止するために動いているのだ』なんて説明をするつもりはない。

 そもそも、言ったところで誰が信じるというのだろう。頭がおかしな人間だと思われるだけだ。

 いっそここが、魔法が存在する童話メルヘンの世界だったら良かったかもしれない。


 だから、こう答えた。


「気に入らなかっただけだ。詐欺師のような奴のやり方がな」


 と。


 ――気に入らなかっただけ。

 ルシオのその言葉に、イヅナはようやく落ち着きを取り戻した。

 先日ルシオがイヅナを庇ったときも、そんなことを言っていた。


(本当に、この人は)


 刺々しい口調ながら、いつだってその心根は優しいのだ。


 イヅナは遠くの方に小さく見える住宅街を指差した。


「私の家は、首都の労働者階級が暮らす住宅街にあります。ここから歩いて一時間程度でしょうか」


 思っていたよりもかなり近い距離であった。ルシオは胸を撫で下ろしつつ頷いた。


「そうか、近くてよかった。ならば辻馬車を拾おう」


 ルシオはその端正な顔に笑みを浮かべた。


□□□

「飯だ」


 そう言って運び込まれた食事は、食事と呼んでいいのかわからないほどに粗末である。野菜の硬い芯が入ったスープに、岩のようなこれまた硬いパン。それが一日分の食糧だった。


「おーっと、手が滑った」


 牢の前に置くときに、看守はわざと盆を揺らしてパンを床に落とした。


「まあでも、貴族に逆らうような能無しにゃ、多少汚れたモンの方がお似合いだよなァ」


 そんなことを言いつつ、看守は立ち去っていった。ギィ、と錆びた扉の開閉音がしたかと思うと、それきり辺りは静寂に包まれた。


 セキエイは独房の中で、湿った床に転がるパンをじっと見つめた。


 あのとき息子イヅナを解放し、親子の会話に責任を取ってくれた貴族の少年は、自身に『自害など考えるな』と、そう言った。

 そして続けて、こう付け加えた。


『俺がすべて解決してやる。待っていろ』


 セキエイはあの少年を思い出した。彼のその瞳は、強い意志を示すように恒星の如き輝きを放っていた。

 最後に、あなたの名は、と問えば。

 こう、返ってきた。


『ルシオ・カイヤナイト。貴様が感謝することになる男の名だ』


 ――と。


「こんなところでくたばってなるものか」


 セキエイは落ちたパンを拾い上げた。その岩のような表面を噛み砕いて磨り潰し、不味いスープで流し込んで嚥下した。


「生きねば」


 息子のために。

 そして、あの天使のような少年に再び会うために――。

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