64話
「アズリエル」
ルシオは突如現れた人物に目を丸くした。
アズリエルはルシオとイヅナ、そしてヴィネアに笑い掛けると、最後にシャックスの方を向いた。
「他の皆とは最近会ったばかりだけど、きみと会うのは数年前の社交界以来だね?」
貴族の家門であれば、舞踏会やサロン、それから最近流行りのクラブといった社交界に顔を出すため、知り合い同士ということも珍しくない。……引きこもりだった本来の『ルシオ』はともかくだが。
アズリエルと目が合うや、シャックスは軽く会釈をした。
「シャックス・サーペンティです。お久しぶりっす、アズリエルさん」
「畏まらないでよ。きみの家の方が爵位は上だしね」
「でもアズリエルさんの方が歳上ですから。それにアズリエルさんは跡継ぎっすけど、俺は次男だし……」
シャックスは貴族嫌いであり礼儀に無頓着ではあるが、かといって礼儀知らずではない。だからこそ改まったのである。
シャックスは公爵家という高位貴族の家門に生まれたとはいえ、次男である彼は世襲制であるこの社会において不測の事態が起きない限り――要は長男が死去や病気など何らかの要因で爵位を継ぐことができなくなる場合を除き――跡継ぎにはなれない。
つまり、シャックスは単なる『上流階級』として生きざるを得ないのだ。
対し、アズリエルはいずれ伯爵位を継ぐ。貴族の家門としてではなく、真の意味で『貴族』になる。つまり最終的な地位は、アズリエルの方が上になるというわけだ。
アズリエルは楽しそうに目を細めて笑うと、くいとルシオを指差した。
「本当に気にしないでよ、ルシオくんなんて僕のこと『貴様』って呼ぶくらいだから」
これにはシャックスも失笑を漏らした。自身もルシオに『貴様』呼びをされているからだ。もっとも、別にそれを悪く思ってはいないのだが。
シャックスはアズリエルに「じゃあお言葉に甘えて」と頷いた。
さて、本題に入ろうとルシオが「アズリエル」と口を開いた。
「なぜここに? 警察関係者だと執事が言っていたが、貴様は警察ではないだろう」
執事が言うには、アズリエルは『警察関係者で、ホープの件の話を聞きにきた』とのことであった。
アズリエルはソファに座ると脚を組み、膝の上で両方の手指を突き合わせた。
「ロンデール警察からちょっとした依頼を受けたんだよ。だから警察関係者なのは事実さ」
「警察がなぜ貴様に? 顧問探偵でもやっているのか?」
「探偵? いいねそれ! 今度からそう名乗ることにしようかなぁ」
アズリエルは満面の笑みを浮かべてみせた。
「だけど、そういうわけじゃないんだ。ロンデール警察は、『警察じゃないけど警察の内部事情に詳しい一般人』を必要としていてね。それで警察署長を父に持っていて、ちょいちょい警察に同行してる僕に白羽の矢が立ったのさ」
アズリエルは鞄から書類を取り出した。警察内部の調査報告の資料らしい。
それに目を通しながら、アズリエルは口元に手を当てた。
「ロンデール警察からの依頼内容っていうのは、ホープさんの自殺に関することさ」
「自殺じゃねェ」
口を挟んだのはシャックスだった。
「自殺にしては証拠が不充分だったし、不審な点が多かった。だからもう一度捜査をやり直せって命じたんだよ」
「やっぱり、自殺じゃなさそうだよね」
アズリエルは資料を目前のテーブルに放り出すように置くと、再び膝の上で手を突き合わせて考え込むように言葉を紡いだ。
「ホープさんには遺書がないし、自殺だとする根拠も充分じゃなかった。少なくとも、ロンデール警察はそう判断した」
なるほどと頷き口を開いたのはヴィネアであった。
「つまりロンデール警察は、ホープさんの自殺を疑って、その真相をアズリエルさんを通して捜査しようとしたと」
「半分正解で、半分間違いかな」
アズリエルは目前に置いた資料を指でとんとんと叩いて示した。その箇所には『ホープを自殺だ』とする根拠がつらつらと記述されていた。あの、『凶器に指紋が云々』とか『人間関係が云々』とかいうものである。
「勿論ホープさんの死の真相は突き止める。僕がここに来たのもそのためさ、ここに第一発見者がいるって聞いたからね」
「ルシオ様と私です」
イヅナが口を開いた。
「我々は倒れたホープさんを発見する直前に、写真館から出て行く男たちを目撃しています」
「初耳だよ。サーペンティ警察が揉み消したのかな」
アズリエルは眉を寄せた。
「はっきり言おう。実際のところロンデール警察は、ホープさんの件が他殺だと思っている」
「……つまり」
ルシオは逡巡しながらも、考えをまとめるように言葉を選びながら口に出した。
「ロンデール警察はこう思ったのだな。ホープさんの一件は他殺であるにもかかわらず、サーペンティ警察が自殺として処理しようとしている、と。つまり――汚職をしていると」
「!」
驚愕したのは他でもない、サーペンティの家門であるシャックスである。
ルシオは続ける。
「『なぜサーペンティ警察がホープ氏を何としても自殺扱いにしようとしているか』――考えられる答えは二つしかない。
ホープ氏死去の原因が警察関係者にあるか、あるいは警察が犯人に買収されてたか」
いずれにせよ、サーペンティ警察は『犯人を庇おうとしている』ように感じられて仕方ない。
「それを確認するのに、ロンデール警察が直接乗り込みサーペンティ警察を警戒させては、出る証拠も出なくなる。
だから、貴様が言うところの『警察じゃないけど警察の内部事情に詳しい一般人』が必要だった。汚職の有無を探るためにな。そうだろう?」
「正解」
言ってから、アズリエルはふっと眉を寄せた。
――アズリエルは、ルシオが前世で読んだ小説における主人公である。
変人で癖が強く、決して見目が良いわけでもないこの青年は、あまり主人公らしくない。
しかしこういうふとした折に見せる表情は、彼が紛れもなく主人公であることをまざまざと見せつけられているようだ――とルシオは思った。
「僕はこれから、サーペンティ警察の闇を暴く」
アズリエルはテーブルに放った資料をかき集め、鞄に戻しながら口を開いた。
「ホープさんの一件は、そのための足掛かりになるはずなんだ。……協力してくれるよね?」
「勿論だ」
ルシオは頷いた。
「ホープさんの死の真相を警察が身勝手な都合で揉み消そうとしているならば、俺は警察の連中が許せない」
気に入らない、という不明瞭な言い訳をするには、今回の件はあまりに酷すぎた。
だから『許せない』と明言した。
シャックスらも同様に頷いたのを確認したアズリエルは、「よし」と立ち上がった。
「じゃあ、真相を探りに行こう。道々、詳細を聞かせほしいな」




