63話
「自殺ってどういうことだ!?」
と驚きの声を上げたのはシャックスである。
事件の翌日、ルシオたちは新聞を買うついでに捜査が続けられているであろう写真館へと立ち寄ったのだが、そこで警官から伝えられた言葉に耳を疑った。
昨日に起きた、写真家・技師であるエスペランザ・ホープの死。サーペンティ領の警察のもとで事件発生時より捜査が進められていたはずなのだが、よもやこのような形に落ち着くとは。
「ちょっと待て!」
反論の声を上げたのはルシオであった。
「俺とイヅナは、写真館から出て行く男たちを見ている。どう考えてもそいつらが犯人だろう!」
「同感です」
警察に向かって意見するルシオに加勢したのは、彼と共に第一発見者となったイヅナである。
「我々は鮮やかなジャケットを着た男が三人、写真館から出ていくのを見ています。探して事情を伺うというのが筋というものでしょう」
勿論、二人は怪しげな男たちが写真館から出ていったことを警察に説明をしている。
特にあのとき幾分冷静だったイヅナが、顔こそ見えなかったものの服装や背の高さといった身体的特徴を覚えていた。
しかし、と警察は首を振った。
「その男たちを見たというのが、きみたち二人しかいなくてな。証拠がない」
つまり二人の話した内容は『証言』として受理されなかったということだ。
いい加減、我慢の限界だった。
「俺たちが虚偽の証言をしているって言いたいのか!」
ルシオは警察に噛みついた。
そんなルシオにヴィネアが「落ち着いて」と声を掛け、警察の方を見上げた。
「素人目から見ても、ホープさんが自殺だとは思えませんわ。そもそも、どうしてこの件が自殺として処理されたんですの?」
「理由は二つだ」
警察が返答した。
「一つ目、凶器のナイフからエスペランザ・ホープの指紋のみが検出されたこと」
指紋鑑定はつい最近になって確立された、個人を識別する方法である。
東の国――イヅナの父であるセキエイの出身国に、昔から『拇印』という署名方法がある。指に朱肉や墨をつけて書面に押し、指紋を残すのだ。そしてそれをサインのように扱う。
これを興味深く思ったこの国の医師、兼研究家が、指紋は個人を識別するのに有用だと論文を発表したのだ。
「二つ目、エスペランザ・ホープには、自殺の動機があることだ。彼は一部の者から抗議を受けていただろう」
これはルシオたちも目撃している。
ホープの写真館は『幽霊と写真を撮影できる』という珍しい体験を売りにしていた。
勿論この心霊写真は作り物であり、客にはその旨を説明している。
だがその事実を確認せず客を騙しているとして、ホープを詐欺師だと騒ぎ立てる連中が一定数いたのだ。
「それを気に病んでの自殺だと判断した」
だが、この件に関しては裁判にて解決しようとしていたところである。シャックスが反論した。
「そう判断すんのは時期尚早ってモンだ。ホープさんはこれから奴らを訴えようとしてたんだ、俺たちも協力してな。そんな人間が死のうだなんて思わねェだろ」
が、警察はなおも否定した。
「彼が連中を訴えようとしていたという証拠はない」
これには温厚なシャックスも、流石に怒りを見せた。
「なんでもかんでも証拠証拠って。なんでかは知らねェけど、証拠を言い訳にして自殺ってことにしようとしてるとしか思えねェ」
警察を除くこの場にいる全員が思っていることを代弁したシャックスは、自身の茶色い癖毛をわしわしと掻いた。
「俺さァ、身分制度とか公爵家とか、そういうモンってあんま好きじゃねェのよ」
藪から棒。そんなシャックスの言葉に、皆の注目が集まった。
貴族社会への嫌悪。それがシャックスがサーペンティ公爵家という由緒正しき家に生まれながらも、貴族や上流階級らしからぬ性格をしている理由である。
「……けどよォ、命令しないとまともに動けねェ無能な警察の方が悪いよな?」
そう言って、シャックスは警察に向けて指をさした。
「サーペンティ公爵家の名において命じてやる。もっぺんイチから捜査、やり直してこい」
□□□
国内外のセンセーショナルな事件の記事がお得意の大衆紙、『デイリー・ロンド』。
写真館からの帰り際に新聞販売少年から新聞を買ったルシオは、サーペンティ邸に帰るなりそれを開いた。
「ホープさんの件、報じられているな」
曰く。
『サーペンティ領の写真家および写真技師のエスペランザ・ホープ氏が死去。自殺とみられる。
写真館では心霊写真を撮影できるとしていたが、それは加工によるものであり客を騙していたとして抗議を受けていた。』
ルシオの肩越しに新聞を覗き込んでいたシャックスは不機嫌そうに咳払いをした。
「これじゃあホープさんは浮かばれねェよ。不名誉なことばかり書きやがって。それにあの人は絶対自殺なんかじゃねェ」
「そのとおりだ」
ルシオも肯定した。
「現状を整理するとこうだ。
俺とイヅナは、写真館から出てくる不審な男数名を見ている。しかしこれは、警察により無かったことにされた。
ホープさんの死因は頸動脈の損傷。近くに刃物が落ちていたから、それが凶器だったとみて間違いないだろう。そしてその刃物からは、ホープさんの指紋だけが検出された」
憶測を除いた事実は以上である。
「そして、この件が自殺として処理された理由は二つ。凶器から出てきたホープさんの指紋と、人間関係」
ルシオの言葉に、共にテーブルについていたヴィネアは自分の指に視線を落とし、指紋を見ながら口を開いた。
「凶器からホープさんの指紋しか出てこなかった理由なんて、いくらでも思いつきますわ。犯人が手袋でもしていれば、犯人の指紋はつかないでしょうし。
それにホープさんが抵抗したり、刺さった刃物を抜こうとしたりすれば、ホープさん自身の指紋がつきますもの」
「その通りだ。それに抗議の件も否定できる。ホープさんが抗議を受けていたといっても、それが自殺の直接的な理由とは言えんだろうからな」
「だな」
シャックスは頷いた。
「これから裁判で解決しようぜ、って話だったじゃねぇか。仮にホープさんが気に病んでいたとしても、このタイミングはありえねェ」
イヅナも「そうですね」と肯定する。
「警察がホープさんの自殺という名分にするために、こじつけただけだと思っていいでしょう」
つまり、ホープは自殺でないとみて間違いない。
ルシオは今一度新聞に目を落とした。
「なぜ警察は、俺とイヅナの証言を無かったことにしてまでこの件を自殺にしようとしたのか。それを調べなければな」
そのとき、いまルシオたちがいる談話室にサーペンティ家の執事がやってきた。
「ロンデールから警察関係者を名乗る方がお見えになりました。ホープさんの件で皆様にお話を伺いたいと」
シャックスが頷くと、その客が執事に案内されてきた。
扉が開き、入室してきたのは。
赤毛に、そばかすのある顔。
「あれ? 奇遇だね」
ルシオの先輩にして、ルシオが滞在するヴィンター領の監督生。そして警察署長を父に持つ、スフェン伯爵家の跡取り息子。
――アズリエル・スフェンだった。




