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61話

 写真館の外で好き放題に騒ぎ立てる連中を前に、ルシオたちは皆唖然とした。

 心霊写真は偽物だ、客を騙している、ホープは詐欺師である。そのような言葉の数々は、ホープがガシャンと店の扉を閉めたことにより遮られた。その落ち着きぶりから、以前にも同様のことがあったらしいということがうかがえる。

 ルシオたち全員の頭に浮かんだ疑問を真っ先に口に出したのはイヅナであった。


「いまのは一体?」


 イヅナの質問に、ホープは溜息混じりに返した。


「オカルト否定派による抗議活動だ。私を悪徳商法の詐欺師に仕立て上げたいらしい」


「ですが、あなたは心霊写真は偽物であると説明してくださいましたし、お客さんを騙しているわけではないでしょう」


 ホープはイヅナの言い分にはその通りだと肯定しつつも、「だがな」と言った。


「おまえさんがたは、最初に『幽霊と写真を撮れる』という噂を耳にきたときどう思った?」


「眉唾物だと思いましたわ」


 とヴィネアが素直に返答すれば、イヅナも頷いた。

 シャックスはルシオをつい、と指差した。


「ルシオの奴なんてなァ、心霊写真の作り方を考察していたくらいだぜ」


 ホープは彼らの話をひととおり聞き、「そうだろうな」と口を開いた。


「心霊写真など嘘だと思っただろう。そうすれば、このような思考に行き着くかもしれん――『写真館の店主は、心霊写真を作って客を騙している詐欺師だ』と」


 ルシオたちは押し黙った。ホープが言いたいことをなんとなく察したのだ。ルシオは頭の中で言葉を纏めつつ、それを口に出した。


「つまり。いま外で抗議活動をしているオカルト否定派とやらは、事実確認さえせず勝手な妄想で、正義ヅラであなたを攻撃していると?」


「まあ、そんなところだろうな」


「訴えたらどうだ」


 ルシオがいらつきを声に滲ませた。


「営業妨害でも名誉毀損でも、いくらでも罪状はあるだろう」


 しかしホープは顔をくしゃりと歪めて首を横に振った。


「やろうとしたことはある。だが、できなかった。私が客を騙していないと証明できなかったのだよ」


「客に説明して貰えばよかっただろうに」


「わざわざ客の連絡先を聞いたりはせん。それに、客は心身共に弱っている者たちばかりだ。迷惑をかけたくはない」


 結果、あえなく敗訴。訴訟費用が嵩むだけで、成果は無かった。

 それどころか、オカルト否定派の連中を「正義の鉄槌が下された」と喜ばせる始末だった。


 と、ルシオが「ならば」と口を開いた。


「もう一度、訴訟を起こせ。俺が証人になってやる」


 ルシオは、恒星の如く爛々と輝く目をすっと細めてみせた。

 その言葉に、ホープは「本当か」目を見開いた。


「ルシオだけじゃねェ。俺たちもだ」


 シャックスが口を開けば、イヅナやヴィネアも頷いた。

 ホープはしばらく逡巡していたが、やがてただ一言、


「なぜ、そこまで?」


 と疑問を口にした。

 ルシオは口に柔らかく笑みを乗せた。

 あなたが恩人だからだ、とは言えない。だから代わりに、こう言った。


「あの正義の鉄槌を闇雲に振り回す悪魔どもが気に入らないからだ」


 ルシオの言葉に、シャックスも「ああ」と肯定した。


「俺たち全員、同じ考えだ」


 ホープは一瞬目を見開いた。その後、考え込むように目を伏せて、やがて笑みを浮かべた。


「ありがとう。――力を貸してもらうよ」


□□□

 翌日の早朝、客室。

 その部屋の宿泊客は、とんでもない問題に直面していた。


「――整髪剤、忘れてきた」


 ルシオは今一度、鏡に映った自分を見た。

 ――見事なまでの直毛だ。

 水をつけて、癖をつけようとした。

 乾くと、さながら形状記憶合金のごとく真っ直ぐになった。


「……俺の髪はピアノ線か何かか」


 ルシオの普段の髪型はウェーブだ。これは本来の『ルシオ』に少しでも似せるために整髪剤で癖をつけているだけで、自身ミケイルの髪質は直毛である。


 このまま朝食に向かえば、全員にこの直毛を見られてしまう。

 『ルシオ』の成り代わりを疑われぬためにも、この直毛は誰にも見られてはならない。

 特に、自身ミケイルはヴィネアと面識がある。会ったのは相当に昔だし、そもそも彼女がたかが一介の使用人の存在を覚えていると思うほど自惚れているわけでもないが、それでも万一ということがある。


 帽子でも被れば見えないだろうか。そう思い、鞄に突っ込んで持参していた手持ちのホンブルグハットを被ってみた。――頭頂部が隠れても、毛先が丸見えだった。

 そもそも朝食の席で帽子を被るのはマナー的によろしくないことに気が付き、ハットを外して帽子掛けに掛けた。


 そのとき、コンコン、とノックの音がしたと同時に「ルシオ様、お目覚めですか?」と声がした。


「朝食までお時間がありますし、街を散歩でもと思ったのですが、ご一緒にいかがでしょう」


(イヅナか)


 イヅナは何と律儀な人物なのだろう。朝からこうしてルシオの様子を確認しに来て、散歩に誘ってくれるのだから。だが、今はその律儀さが恨めしい。

 ルシオが入れと言わない限りイヅナが入室することはないだろうが、万一扉を開けられてしまえばすぐにルシオの姿が晒される。念の為に別室にいた方がいいかもしれない。

 そう思ったルシオは体の向きを変え、洗面所の方へと移動しようとした。

 と、ルシオの足が帽子掛けの脚部分に引っ掛かった。

 ものの見事にバランスを崩したルシオは、


いてッ!」


 と情けない声を上げて、ドサリとその場で転倒した。


「ルシオ様?」


 只事ではない音と声を耳にしたイヅナは扉に手を掛けた。それを察したルシオは、問題ないから入ってくるなと言おうとした。だが。

 先の衝撃で帽子掛けが転倒した。……床で倒れるルシオの上に。


「がッ!?」


 ガシャンという派手な音とルシオの悲鳴を聞いたイヅナは、


「ルシオ様!」


 と慌てて扉を開けて部屋に駆け込んだ。そこで目にしたのは、倒れた帽子掛けの下敷きになったルシオという惨状であった。

 イヅナはすぐに帽子掛けを起こし、ルシオを救出した。


「お怪我は」


 立ち上がるルシオに手を貸しながら訊けば、ルシオは気まずいのか少し頬を赤らめていた。


「ない。……とんだ醜態を晒したな。まあ、助かった」


 念の為にルシオの全身に目を走らせて怪我がないことを確認したイヅナは、ほっと胸を撫で下ろした。


「それにしてもルシオ様。髪型を変えられたのですか。お似合いですね」


 イヅナは珍しいルシオの直毛を目にしてそう口にした。

 ルシオは渋面になった。見られたくなかったというのに、自分でその原因を作ってしまった。何というザマだ。

 ルシオは、さて何と言い訳をすべきかと考えた。


「――気分転換に髪型を変えてみたのだ。だが気に入らなくてな。いつもの髪型に戻したいのだが、この髪型にするのにちょうど整髪剤を使い切ってしまったのだよ。買いに行かねばならん」


 何を言っているのか自分でもわからない。要約すると『直毛にするために整髪剤を使ったのだが、元に戻すためにさらに整髪剤が必要』というよくわからないことになってしまった。まあ、整髪剤が必要だということが伝わればそれでいい。

 とりあえずイヅナは「なるほど、よくわかりませんがわかりました」と納得してくれた。


「なら、散歩ついでに買いにいきましょう」


 イヅナが話のわかる――いや、わからない人間でよかった、とルシオは安堵した。


 そういうわけでいま、ルシオとイヅナは街にいる。

 ほとんどの店が開店前で困り果てていたところ、運良く朝早くから開いている日用品店を見つけることができて、整髪剤を購入することができた。

 早いところ帰って髪を整えたいものだ、と思ったとき、見知った道を通りかかった。

 イヅナは、おや、と声を上げた。


「ここは、ホープさんの写真館がある通りですね」


 ほどなくして、ホープの写真館が見えてきた。ここには今日の昼間に立ち寄る約束をしている。その頃には写真が出来上がっているはずだ。

 それにホープとは、近いうちに訴訟に関して話さねばなるまい。しばらくは頻繁に会うことになるだろう。


 そう思っていると、写真館の扉が開いて、数人の男たちが出てきた。派手なジャケットやシャツをその身に纏った男たちは、質の良い服とは裏腹に品がない印象があった。


「ホープさんのお店は、もう開店しているのでしょうか」


 イヅナが疑問を口にするが、ルシオはいま出ていった男たちが客ではないような気がした。

 ――嫌な胸騒ぎがする。


 ルシオは駆け出した。

 そして写真館の粗末な戸に手を掛け、開け放った。


 そこにいたのは。


「――ホープさん!」


 血の海に横たわるホープであった。

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