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60話

 幽霊と共に写真を撮りたい、と言ったシャックスに、老人は顔を向けた。


「なるほど。おまえさんたちは、私の写真館で幽霊と写真を撮れるって話を聞いて来たんだな」


 老人は建物のドアノブに手を掛け戸を開き、一行に「入りなさい」と促してくれた。


 乱雑な外観に反し、室内はそれなりにこざっぱりとしていた。

 塗られた荒壁土の中に覗く煉瓦が趣のある壁。うち一面に白い壁紙が貼られている。そこを背景にして写真を撮るのだろう。

 それから、その向こうの三脚の上にカメラがある。アコーディオンのような蛇腹のついたカメラだ。

 そしてきちんと整理されて積まれた箱。中にガラス板など撮影に必要な機材が入っているのだろう。


 そんな室内を物珍しげに眺めている一行に向けて、老人が口を開いた。


「私はエスペランザ・ホープ。写真家および技師として40年やっておる」


 老人、改めホープが自己紹介をすると、シャックスが「ちなみに霊媒師としては?」と口を挟んだ。

 その質問にホープはきょとん、と目を丸くした。それからはて、と首を傾げる。


「私は霊媒師じゃないぞ?」


「え」


 予想外の言葉に、シャックスは困惑と驚きの入り混じった声を上げた。ホープは続ける。


「だいたい、幽霊なんて眉唾物だ。科学的根拠に欠けるだろう」


 ホープがいつぞやかのヴィネアやイヅナと同じことを言ったので、シャックスは悲観的に「噂と違う」と呟いた。そんな彼の背後で、ヴィネアとイヅナが「ほら言ったでしょう」「そりゃそうですよ」と追い討ちをかけている。


 ホープは項垂れるシャックスを「まあまあ」と宥めた。


「心配しなさんな。この写真館で幽霊と一緒に写真を撮れる、っていうのは嘘じゃない。まあ、作り物だがな」


 ホープは歩きながらポケットに手を突っ込んだ。出て来たのはマッチ箱。中からマッチ一本取り出し、箱に擦ってそれに火をつけた。そして点火したのは、壁に設えてあるオイル・ランプ。

 その周囲がぱっ、と明るくなり、そこにずらりと並べて貼られている写真の数々を照らし出した。


 いずれもただの写真ではない。

 仲良く微笑む家族写真の上には、白く透けた老婆の姿が。

 正装姿の歳若い花嫁の隣には、これまた白く透けた紳士の姿が。

 夫婦の写真の隣には、またしても白く透けた赤子の姿が、映り込んでいた。

 ――そう、そのどれもが心霊写真なのであった。


「ここに映る幽霊は、本物ではない。現像した二枚のガラス板を、印画紙に焼き付けるときに合成させただけだ」


 ホープは、写真のうちの一つをじっと見つめた。何が写っているのかと覗き込んだルシオは、それを目にして漏れそうになる声を抑えた。


 自身ミケイルたちを救ってくれた老夫婦の旦那はここにいるが奥さんはどこにいるのだろう、とルシオは思っていた。だが、その写真を見て察した。


 写真の中で佇むのエスペランザ・ホープの隣に、白くぼんやりと透けた老婆が写っていたのだ。


「――奥さん、亡くなられたのか」


 ルシオの問い掛けに、ホープは「ああ」と肯定した。


「二年前に、病でな」


 ホープは写真の近くに愛おしそうに手を当てた。


「生前、散々一緒に写真を撮ったのになぁ。もう二度とそれができないと思うと、どうしても虚しくてな」


 だから、とホープは寂しそうに笑った。


「合成しようと思ったのだよ。もう一度、一緒に写真を撮るために」


 自分の写真を撮り、そのすぐ傍に生前の妻を重ねた。

 そうして出来上がったのは――普通の夫婦の写真とはほど遠い、幽霊と成り果てた妻が写る、まさに心霊写真そのものであった。


「だがな。私は嬉しかった。また一つの写真に、共に収まることができて」


 その写真は、妻を失った悲しみに心を抉られ弱り果てている自身を、妻の霊が見守ってくれているようにすら見えた。


「妻を近くに感じた。そんなのは気のせいだと、都合の良い思い込みに過ぎないと、頭ではわかっているのにな」


 それでも構わなかった。

 その非現実的な思い込みが、ホープの抉れた心の隙間を、ほんの少しだけ埋めたのだ。


「だから私は、この偽物の『心霊写真』を作り上げる事業を始めたのだ」


 ホープはもう一度夫婦写真の愛おしげに見てから、ルシオたちの方へと目を向けた。


「たとえ人工的に作られた幽霊であっても。作り物だとわかっていても。それでも良い、失った愛する者に会いたいと、人は思うものだ。ここには、そういう者たちが訪れるのだよ」


 理解した上で先の写真を見ると、その一つ一つに物語が込められているようだった。


 老婆の霊が映る家族写真は、亡くなった祖母と共にいたいと願った家族が望んだものだろう。


 花嫁と写る、幽霊の男。これは愛を誓い合ったものの結婚が叶わず、せめて形だけでも結婚式をあげたかったに違いない。


 そして夫婦の隣にいる赤子は、死の国に旅立った我が子なのだろう。きっと、幼子がこの世に生を受けた事実を残したかったのだ。


「――良い仕事をしているな」


 ルシオはそう口にした。


「あなたにしかできない、唯一無二の仕事だ」


 この写真館で撮影される心霊写真が偽物だろうが、人工的なものであろうが、そんなことはさして問題ではない。

 これは心の隙間を埋める一種の慰めであり、大切な人を近くに感じるための想いの形なのであった。


「そっか」


 シャックスは一言そう呟いた。


「じゃ、俺たちは心霊写真は撮らなくていいや」


 ホープは驚いたように「いいのか?」と問う。心霊写真を撮るためにここまで来たのだろうに、と思ったのだ。

 シャックスは口角を上げた。


「俺たちさ、面白半分で来たんだよ。幽霊は本物か偽物か、って騒いでさ」


 もっとも、1対3の不毛な議論ではあったが。


「けど、違ェや。ここの『心霊写真』はそういう気持ちで撮るもんじゃねェ」


 そう言って、破顔一笑した。


「なあ、じいさん。『心霊写真』じゃない、普通の写真を撮ってくれよ」


□□□

 ルシオが、最近持ち歩くことにした仕込み杖(ステッキ)を自慢気に見せるようについて立った。

 そんなルシオを、まるで新しい玩具を手に入れて自慢したい子供のようだと微笑ましく思いながら、ヴィネアは彼の隣に置かれた椅子に腰掛けた。

 そして二人の後ろに、長身のイヅナとシャックスが並んだ。――僅かにシャックスの方が背が高いらしい。

 ホープがガシャン、とスイッチを入れると、彼らの手前側に設置されている電灯が点灯した。電気はまだまだ普及しておらず世間は未だ照明にオイル・ランプを用いているが、ホープにとって電灯は商売道具の一つなのかもしれない。


 カシャ、とシャッターが切られ、写真を撮られたのがわかった。ホープがそれを現像のため別室に持っていこうとした、そのときであった。

 外が俄に騒がしくなった。

 ホープは「またか」と呟き、写真館の扉へと歩み寄るとその扉を開けた。同時に。


「写真館の店主は詐欺師だ!」


 という怒鳴り声が入り込んできた。

 大きく開け放たれた、写真館の扉。そこから見えるのは、一人だけではない。老若男女、ざっと十名ほどの人間たちだった。彼らは周囲に歩行する人々に向けて演説でもするように訴えかけていた。


「心霊写真は偽物です!」


 うち一人、質の良いジャケットを羽織っている、品性はありそうだが頭は弱そうな男が、扉から顔を出したホープに向けて指を差しながら怒声を放った。


「彼は幽霊と写真を撮れる、などと嘘の宣伝をして、客を騙しています!」


 続いて若い女性が、祈るように胸の前で手を握りしめ、ひどく悲しげな顔で声高に訴えた。


「エスペランザ・ホープさんは、人を亡くし心身を喪失している人につけ込み、幽霊と写真を撮れるなどと豪語して、金銭を騙し取っています!」


 皆が皆、口々にホープのことを言い募った。


「そんな人間に商売をさせてはならん!」」


「意地汚い詐欺師が!」


「被害者に金を返せ!」


 ルシオら一行は呆気に取られていた。

 突然の理解を超える事態に当惑し事態を飲み込めず、傍観者にならざるを得なかったため。

 そして、この正体不明の人々が口々に言っている内容が、先のホープから聞いた話とはあまりにもかけ離れていたためだった。

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