58話
ニュージェイド学校の入学は秋。
そしていま、季節は冬となった。
長期休暇が始まる。
ルシオたちはニュージェイド学校前駅から発車した機関車に揺られていた。
ルシオたちがいるのは一等車である。
ルシオはなんだかんだで二等車までしか乗ったことがなかったので、一等車の快適さに驚愕していた。
まず広い。ルシオが経験したことのある、椅子が所狭しとボックス席状に置かれているに二等車に比べて、確実に空間があった。
それから、設えてある調度品の格が違う。壁に取り付けられているオイル・ランプ一つとってみても、上等なものであると一目でわかる。
何よりソファの座り心地が良い。これならば長時間の乗車でもお尻が痛くならずに済みそうだ。現に乗車してから四時間ほど経っているが、今のところ苦痛はない。
そこそこ値段はするが、今度から一等車に乗ってみてもいいかもしれない。
「そういえば、サーペンティ領はカイヤナイト領のすぐ近くだったな」
ルシオがシャックスに声を掛けると、シャックスはラムネの瓶にビー玉を落としながら頷いた。
「そうそう。サーペンティ領とカイヤナイト領は、その気になりゃ馬車で行き来できる距離なんだよな」
シャックスは「行き来」のところで指を空中で往復させた。
「俺たちご近所さん同士なんだから、もっと早くに会ってりゃあ良かったのにな。おまえ、引きこもりなんだもんよォ」
ルシオは苦笑した。引きこもっていたのは自分ではなく、本物の『ルシオ』の方だ。
『ルシオ』は社交界にすら顔を出さず、家庭教師がいるからと小学校にも通わなかった。
そのおかげで社会に『ルシオ』の顔を知る者がおらず、成り代わりにも気付かれなかったというわけなので、彼の引きこもりには感謝せねばなるまい。
逆に本来の自分はそれなりにアウトドア派で、時折妹とカイヤナイト家の邸を抜け出し、あちこち出掛けたものだ。馬車の荷台に隠れ、サーペンティ領に来たこともある。
その後は厳しい罰を受けたものだった。
「……そのときに俺たちが会っていたとしても、今のような関係にはなれなかっただろうな」
もしシャックスが本来の『ルシオ』に会っていたとしたら。きっと『ルシオ』の傍若無人ぶりで、たとえシャックス相手だろうとも大いに迷惑をかけていたことだろう。
あるいは、本来の自分として会っていたら。――大貴族の家門出身であるシャックスにとって、一介の使用人は取るに足らない存在だろう。会ったところで、記憶の片隅にすら残らなかったに違いない。
「だから、これで良い」
意味ありげなルシオの言葉の真意はわからなかったが、シャックスは「今がいいならそれでいいか」と返した。
窓から外を眺めると、何ヘクタールにも及ぶ広大な森が続いていた。さらに見ていると、いきなり大都会に突入した。
立ち並ぶ色とりどりの高層の建物に、煉瓦が敷かれ整備された道。それでいて青々とした街路樹が並んでいる。
霧と煙が立ち込める首都ロンデールと同じ国にあるとは思えぬほど瑞々しいその地こそ、サーペンティ公爵家が治める領地であった。
汽笛が鳴り列車が止まると、シャックスは立ち上がった。
「ようこそ、サーペンティ領へ」
□□□
サーペンティ領。
首都ロンデールから離れた僻地ではあるが、一家門が有する領地としては国内最大である。
島国であり土地の広さが限られているディアマンテ国において、それだけの規模の領地を抱えるということは、大貴族の証明ともいえよう。
第二の首都とも言うべきその繁栄ぶりは、もはやロンデールをも越えると言っても過言ではない。少なくとも、治安の良さにおいてはロンデールを遥かに凌いでいた。
その大都会の中を、領主の息子たるシャックスを先頭に進む一行。件の、幽霊と写真を撮れるという写真館に向かっているのだった。
ずらりと大きな建物が並ぶ街並みに期待は高まる。どれほど立派な写真館なのだろうか。
「ここだぜ」
シャックスが指差した先にあったのは。
――聳え立つ高層の建物の中でひっそりと佇む、こぢんまりとした小さな建物だった。
拍子抜けしたといった様子で、ヴィネアはぱちくりと瞬きをした。
「……ここが、その幽霊と写真が撮れるという写真館?」
胡散臭い触れ込みから期待はしていなかったものの、予想を遥かに超える粗雑な建物に絶句した。
塗装が剥げ、壁面には蔦が這い、看板はずり落ちている。荒れているというほどではないものの、その建物は見るからに手入れがなされていなかった。
一方でイヅナはというと、一人で何かに納得したらしく頷いていた。
「心霊スポットとして考えると、趣があって悪くないですね」
ここを心霊スポットとして捉えていいのだろうか、と首を傾げるシャックスとヴィネア。
一方ルシオは顎に手を当てて考え込んだ。
(どこかで見たことがあるような)
と、そのとき。
建物の扉がキイと音を立てて開いた。
中から出てきたのは、白い服を着て、これまた白い髪と髭を持つ老人。
「幽霊!?」
とヴィネアは肩を震わせた。それを目にしたイヅナは半目になる。
「ヴィネア嬢、あなた先日幽霊など眉唾物だと仰っていた気がするのですが」
「だって!」
そんなやり取りをする二人をよそに、老人はこちらの方へと近付いてきた。
そして老人は、ルシオに目を向けると。
こう、口にした。
「――ミケイル?」




