57話
ルシオは自覚していた。
自身が罪人となったことを。
きっと『ルシオ』の名を名乗ったときに既に決まっていたのだ、罪を重ねる運命にあると。
今後は身の振り方を考えた方が良い。自身が『ルシオ』となったときにも、誘拐されたときにも、何度も周囲と距離を置こうと誓ったはずなのに。
もとよりルシオは孤立するつもりだった。近くに人がいれば、『ルシオ』の成り代わりや貴族詐称が露呈しかねないからだ。
だというのに我に返れば、周りに人が増えていた。そして温かな空気に飲まれて、いつも忘れがちになる。
彼らを犯罪者の友人にすべきではないのだ。
関係を見直さねば。
――そんなことを考えていると。
「おい、聞いてるのかルシオ?」
誰かに無遠慮に肩を叩かれた。誰かと思えば、同級生のシャックスである。今日も今日とて騒がしい奴だ。本当に由緒正しき公爵家の人間なのかと疑いたくなる。
いまは学校の食堂で昼食をいただいていた。ルシオの目前にはフィッシュ・アンド・チップス。会話をしながら摘まんでいたのだが、ぼうっとしているうちに食事の手が止まっていたらしい。
思考の海から引き上げられたルシオはシャックスに目を向けた。
「悪いな。全く聞いていなかった」
「ひでェ」
シャックスは一度したらしい説明をもう一度した。
「だからさァ。うちの領にあるんだよ、風変わりな写真館が」
なんでも、サーペンティ領に霊媒師、兼写真家という胡散臭さ満点の肩書きを持った人物がいるらしい。
その男は、嘘か真か、死者の霊を写真に収める能力があるそうだ。
「そこの写真館では、幽霊と一緒に写真が撮れるって話だぜ」
「眉唾物ですわ」
反論したのは向かいに座るヴィネアである。これにはイヅナも同意した。
「同感です。幽霊など、科学的根拠に欠けますからね」
「おいおい、ひでェなぁ。本当に幽霊かもしんねェだろ」
シャックスはぶんぶんと首を振り、彼らの否定を受け入れなかった。
「だいたい写真だって眉唾物みたいなところあるだろ。撮られると魂が抜かれるって言うじゃねェか。だから人の姿がそのまま映るって」
これにはルシオが反論した。
「写真に姿がそのまま映るのは、魂を抜かれているからではない。湿板法という技術を用いているからだ」
湿板法。ガラスに感光剤を塗り、写真を撮る方法だ。
「まずガラス板に感光剤を塗る」
イヅナが「感光剤とは?」と口を挟んだので、ルシオは「良い質問だ」と答えた。
「光に反応して色が変わる物質だ」
光に当たると黒くなる性質を持つ銀塩と、それを均一に広げ保護する役割を持つコロジオンという液体。これが感光剤だ。
そしてさらに感度を高めるために硝酸銀に浸す。
「そのガラス板をカメラに入れてシャッターを切ると、レンズから入った光がガラス板に当たる。そうすると、感光剤が光に応じて変化する」
この時点ではまだ、撮られた画像は目に見えない。この状態を『潜像』と呼ぶ。
「それからガラス板を現像液に浸すと、光の強さに応じて明るい部分が黒く、暗い部分が白くなった像ができる。これが『現像』の作業だ」
「色が反転していますね」
口を挟んだイヅナに、ルシオは「ああ」と肯定した。
「それを『ネガティブ像』という。これを感光剤が塗られた印画紙に焼き付けることで、白黒が反転していない、貴様らもよく知る『写真』が出来上がるのだ」
ふとルシオは思い付いて「そうだ」と声を上げた。
「たとえばだ。俺が映った『ネガティブ像』があったしよう。その隣に別の、幽霊役の奴が映った『ネガティブ像』を重ねて一枚の印画紙に焼き付ければ、出来上がる写真は俺と幽霊のツーショットになるわけだな」
ルシオの説明に、シャックスは「なんだよォ」と不満の声を上げた。
「おまえら全員、幽霊を否定しやがって。本物の幽霊だっていう可能性もあるだろ?」
これには三人口を揃えて「ない」と言うより他なかった。シャックスは頭を抱えたが、すぐにそうだ、と顔を明るくした。
「もうすぐ冬期休暇だろ? おまえら、うちに泊まれよ。写真館に連れてってやる。幽霊がいるってこと、証明してやるからさ」
シャックスの言葉に、ルシオははっとした。
(冬期休暇。もうそんな時期か)
ルシオは成り代わり以降、カイヤナイト夫妻と会っていない。いくら自分が『ルシオ』と瓜二つとはいえ、彼の実の両親と会えば、自身が本物の『ルシオ』でないことが露呈してしまうからだ。
学校が全寮制学校であることに救われていたのだが、流石に長期休暇ともなればカイヤナイト領に帰らざるを得ない。そうなればカイヤナイト夫妻と顔を合わせることになる。
(……まずいな)
ルシオは色々と対策を思考してきた。
例えば、化粧をしてもっと『ルシオ』に顔を似せようと試みようと思ったことがある。
試しに化粧品を買い自分の顔に使ってみたところ、鏡にとんでもない化け物が映ることとなった。
色付きレンズが嵌め込まれた眼鏡をして、目元を隠そうと考えたこともある。
結果、なかなかお洒落な感じになったと思った。だがうっかり外し忘れてそのまま廊下に出たときに、運悪くアズリエルと鉢合わせて腹が捩れるほど大爆笑された。似合っていなかったらしい。
そんな感じで、いまだ解決策は見つけられていない。
だから、時間稼ぎのためにシャックスの家で世話になるというのは悪い案ではなかった。
(――今後こいつらとはあまり関わるまいと思っていた矢先だというのにな)
だが致し方あるまい。解決策を思いつくまでは利用させてもらおう。
「冬期休暇の初日あたりならば空いている」
これならば、カイヤナイト領に寄らずとも学校から直接サーペンティ領に寄る口実ができるというものだ。
ルシオの返答に、シャックスは「そうこなくちゃな!」と身を乗り出した。
一方でイヅナは変化の乏しい表情に僅かに驚愕の意を滲ませた。
「珍しいですね。ルシオ様がこういうお誘いに進んで応じられるとは」
以前シャックスにオークションへ誘われたときも、頑なに断っていたというのに。
シャックスはにこにこしながらイヅナの方を向いた。
「ルシオも来るって言ってんだから、おまえも来るよな?」
「はい。ルシオ様がいらっしゃるならば私も是非」
イヅナは考える間もなく即答した。ルシオがいるか否かで判断するあたり、イヅナはルシオに対し義理堅い。悪く言えば依存気味である。
ルシオとイヅナの参加が確定したところで、シャックスはヴィネアの方に首を向けた。
「おまえはどうする?」
問われたヴィネアはちらり、とルシオを見た。と、ルシオの恒星のような瞳と目が合い慌てて逸らした。
それから自身の銀に見紛うプラチナブロンドの髪を撫でるように触り、つん、とそっぽを向いた。
「まあ、行って差し上げてもよろしくてよ」
ヴィネアから返された言葉を耳にして、シャックスは飛び上がって喜んだ。
「よっしゃ! ルシオが来るって言ってくれたおかげで全員参加が決定したな」
「勘違いなさらないで! 別にルシオさんがいらっしゃるから行こうとしているわけじゃありませんわ!」
「私はルシオ様がいらっしゃるから行くんですよ」
「イヅナさんは黙ってて!」
わいわい、と。
賑やかな友人たちを見て、ルシオは端正な顔に、ほんの少し憂いの帯びた笑みを浮かべた。
卑しい生まれとして姓を持たず生まれ、使用人として暴君のもとに生きてきた。
本来の自分ならば、このような穏やかな時間を感受するなど到底許されなかったことだろう。
自分の犯した最も大きな罪は、法律上の名目における罪ではない。
自分を偽り、彼らに嘘をつき続けていることだ。
それでも。
本来の自分には許されぬことだと理解しつつも、知ってしまった楽しい時間を手放すのは惜しかった。
甘えとはわかっていながらも、彼らと一緒にいられたら、と思った。
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