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56話

 サンデーロースト。

 ローストされた牛肉と、それからヨークシャー・プディング――小麦粉や牛乳、卵を焼いたもの――、それからニンジンやジャガイモといった野菜がつけ合わせてある伝統料理だ。

 ニュージェイド学校の寮では、この料理を日曜日の夕食に食べるのが恒例となっている。


 ルシオは牛肉を見て顔を顰めた。最近になって気付いたことだが、貧しい使用人として生きてきたルシオは肉を食べた経験が少ないためか、どうも肉の味が口に合わない。カリカリのベーコンはともかく、濃厚な肉の味がするものは苦手だった。


 と、ルシオの隣に腰を下ろしてきた人物がいた。長い赤毛の前髪に、そばかすのある顔。整っている顔立ちというわけではないが、どことなく人を惹きつける魅力があるこの男は。


「また貴様か。――アズリエル」


 ルシオが滞在するヴィンター寮の監督生であり、ルシオの先輩であるアズリエル・スフェンである。

 ルシオはさりげなくローストビーフをアズリエルのプレートに移動させたが、


「流石にメインディッシュが増えてたら気付くでしょ」


 とアズリエルに戻された。

 以前もルシオはブラック・プディングを押し付けてきたことがある。そのときは気付かないふりをしてあげたのだが、今回は見過ごせない。

 ルシオは端正な顔を歪ませてつんと拗ねた。本当にこういうところだけは歳相応の子供らしい。


 しかしこのルシオという少年が子供らしくないということを、アズリエルは知っていた。


「ねえ、ルシオくん」


 アズリエルはビーフをナイフで切りながら訊いた。


「ちょっと前に騒ぎになった、トルターガ島の一件あるでしょ。二年前の事件の被害者である東モーティ会社の社員たちが、逆に加害者として攻撃されてたって判明した件」


「それがどうかしたか?」


「僕はね。この件には首謀者がいたと思うんだよね」


「……」


 ルシオはニンジンをつつく手を止めた。言葉を選ぶように逡巡しているその様子は、子供らしさなど微塵もない。

 ルシオは齢十三だというのに、貴族の嫡男として温室で育てられてきたにしてはあまりに早熟なのだ。


「……そんなことは報じられていなかっただろう。なぜそう思う?」


 ルシオの言い方に、アズリエルは微妙な違和感を覚えた。わざわざ『報じられていない』と言及したことが不自然に思えたのだ。


(まるで、『報じられていないのだからそんなものは存在しない』って言いたいみたいだ)


 アズリエルは切ったビーフをフォークで刺し、持ち上げた。


「トルターガ島で、社長のドレークは一人逃げおおせていた」


 最初は、ドレークは捕まるのを恐れて仲間を置いて逃げるような臆病者なのだと思った。

 だが、後に式典に乱入し国王と対峙しているところを見る限り、彼女は図太い神経を持っているようだった。


「彼女の性格から考えるに、逃げるなんて考えにくい。だから僕は、彼女が『誰かに連れ去られたのでは』と思ったんだよ」


 それに、と付け加えた。


「警察の父さんが言うにはね。ドレークは王城に忍び込むときに、海軍の服を着ていたらしいんだ。海軍の協力者がいたってこと。でも彼女と海軍の接点は戦いの場しかない」


 ドレークと海軍は互いに敵同士としてしか面識がない。ドレークを敵として認識している海軍が、彼女に手を貸すとは思えないのだ。


「つまり、ドレークと海軍を引き合わせた人間がいるんだよ」


 アズリエルの言葉に、ルシオは眉を寄せた。


「首謀者がいたところで、探すだけ無駄というものだろう。特定して罪に問うたところで、世間は喜ばない」


 アズリエルは頷いた。


「そうだね。むしろ特定されれば、世間はその首謀者を『義賊』として持て囃す。王室にとっては良い迷惑だよ」


 だけど、と言いつつフォークに突き刺さったビーフを口に運び、噛み砕いて嚥下した。


「それでも、罪は罪だ」


 海軍を妨害した罪。

 国王の主催する式典を妨害した罪。

 ドレークらに『不法侵入』という犯罪行為をさせたとして、教唆罪や共謀罪が問われるかもしれない。

 これらは、世論がどうなろうと消えることのない罪なのだ。


「ちゃんと償うべきだよ。そうじゃないと、法治国家の敗北だ」


 アズリエルの顔からは、普段の軽薄な笑みが消えていた。

 ルシオは自身のプレートの上のビーフに視線を戻し、ナイフを入れた。


(……俺のことを疑ってはいないはずだ)


 ルシオと東モーティ会社の関係を知るのは、当事者とコランダム、そしてセキエイ、それに急に同僚が増えることとなったオークション運営の社員くらいなものだ。あとはせいぜい、船を借りたオパール伯爵と船乗りか。――彼らにはあまり事情を伝えていないが。

 いずれにせよ、全員口止めをしている。

 別に、彼らがそれを確実に守るという保証はない。それを承知の上で、しかし少なくとも彼らに言いふらす理由もなければ、そうしたところで得もない、と思っていた。ここから漏れる可能性は低いだろう。


 いずれにせよ、ルシオが首謀者であるということは、アズリエルは知らないはずなのだ。


(だが俺にこんな話をしてきたのは、ただの偶然か? それとも――)


 ――探りを入れてきたのか?


 アズリエルの態度からそれを考察することはできなかったが、いずれにしても深掘りして良いことはない。ルシオはこれ以上詮索しないようにした。


 アズリエルは最後に残ったヨークシャー・プディングを口に入れた。


「ごちそうさま」


「……早いな」


 ルシオのプレートにはまだ半分以上残っている。アズリエルが早食いなのだ。


「消化不良を起こしても知らんぞ」


「心配してくれるの? 嬉しいねぇ」


 アズリエルはルシオの波打つ黄金色の髪をわしゃわしゃと撫でた。ルシオはその手をぱしっ、と払う。


「じゃあまた明日」


 アズリエルは自身の空になったプレートを持って席を立ち、その場を後にした。


「――やっぱり尻尾は掴めないか」


 以前ルシオは、ある悪徳議員にあらぬ罪を着せ、貴族の座から蹴落としたことがある。

 他人を救うためにたとえ法さえも無視するという点で、この一件はやり方が類似していた。

 だから根拠はなかったものの、アズリエルはトルターガ島の一件にルシオが一枚噛んでいると見たのだ。


 アズリエルには一つ、ルシオには言っていないことがあった。警察の父から聞かされたことだ。


『あの日、王城近くに怪しい人物の目撃証言があった。事件との関連性はまだ調査中なんだがな。深くフードを被った、直毛の金髪をした小柄な人物だったらしい』


 直毛の金髪。

 ルシオの特徴には一致しない。


 アズリエルは廊下を歩きながら、自身の手――先程ルシオの頭を撫でた手に目を落とした。

 手には油がついている。

 マカッサル油――整髪剤だった。


「――ルシオくん。きみの正義は間違っている。この世界に、『義賊』なんていらないんだよ」

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