55話
真夜中の、閉店したセキエイの刃物店。
新聞――上流階級向けの高級紙『ディアマンテ・タイム』に一通り目を通したコランダムは、それを向かいのソファに腰を下ろすルシオに手渡した。
そこには、この事件の結末が記されていた。
『先日行われたトルターガ島奪還記念の式典に乱入した女性は、二年前に亡くなったと思われていたカーネリアン王国の東モーティ会社社長リサ・ドレーク本人で間違いないとのことが判明した。
またトルターガ島で逮捕されていた130名についても、東モーティ会社社員であることが確認された。
カーネリアン王国政府が明らかにした。
国王は、事実確認を怠り社員らを死亡したものとし、海賊と誤って攻撃したことについて、謝罪の意を示した。
なお社員らは海賊行為を行なっていたが、防衛のためにやむを得なかったものとして免罪とした。
クランク刑務所に収容されていた社員らは、手続きの後に釈放される。
なお政府は社員らをカーネリアン王国に移送すべく調整中。死亡扱いとなっている社員らの戸籍が復活され次第、移送を開始する予定。』
(ドレークに協力者がいたことについては触れられていないな。それに、首謀者がいた件についても)
ドレークの発言が全面的に認められたいまとなっては、探して罪に問うたところで世論に悪影響を及ぼすのみであろうと判断し、公にはしなかったのだろう。
また首謀者に関して補足すると、国王は首謀者であるルシオに私掠船の件に関する弱みを握られた状態となっている。首謀者を刺激しそれが露呈させられてはまずいと考え、首謀者のことを伏せたのかもしれない。
ルシオは新聞を畳み、コランダムに返しながら口を開いた。
「一件落着だな」
しかしコランダムはあまり納得がいく結末というわけではなかったらしく、苦虫を噛んだような顔で首を振った。
「しかしまあ、なんだ。国王陛下は『事実確認を怠り』だとか『海賊と誤って』だとか言って、意図的であると認めなかったな」
「ひとまずは妥協してもいいだろう」
このような発表となったのは、ルシオの提案を国王が承諾したためと捉えられる。
「いずれにせよ、ドレークらの名誉は守られた。それにいま国王が失脚するようなことがあっては、むしろ面倒だ」
「なるほど。彼らのためを思うならば……」
そう言いかけたコランダムは、ふと思い出して口を閉じ、やがて眉を寄せた。
「いま思ったのだが。おまえたちがドレークを匿っていたということは、あの作戦のときにドレークを連れ去ったのは……」
コランダムはそう言って、少し離れた位置で品物を並べていたセキエイの方に目をやった。
視線を感じたセキエイは、恐る恐るといった体でコランダムの方を見返す。
「……申し訳ございません」
「セキエイは俺の頼みで動いたのだ。恨まないでやってくれ」
ルシオが口出して嗜めたので、今度はコランダムはルシオの方に目をやった。
「なぜドレークを連れ去ったのだ?」
「ドレークの意思を問う必要があったからだ。もし彼女が提案を拒んだら、そこまでだったからな。その場合、あなたに式典の途中で抜けてもらったときに、特にやることはないと伝えるつもりだった」
「……苦労して抜けてきたというのに、無駄骨になる可能性もあったのか」
あっけらかんと言ってのけるルシオに、コランダムは半目になった。
コランダムはもう一つ、解消していない疑問があって口を開いた。
「ところでルシオ君。ドレークが王城に忍び込めるよう二等兵の服を渡した後で、彼女にその服を脱がせたのは何故だ?
私は大尉としての服を持っている。別に無くとも困らなかったのだが」
「だからだ」
ルシオがコランダムを指差した。
「調べを進めれば、彼女が二等兵の服を着て王城に侵入したということが判明するだろう。これだけを聞いて、どう思う?」
「二等兵の服を所有する協力者がいると思うだろうな」
コランダムは顎に手を当てながら考えた。ルシオは続ける。
「その後、彼女が服を脱いだことが判明すれば、どう判断する?」
「協力者は、二等兵の服がないと困る人間――つまりは二等兵の階級の人間だと考えるな」
「そう。結果、『今まさに式典に参加している二等兵』と結論を下す。つまりあなたは捜査対象外。協力者だと疑われることは絶対にないというわけだ」
コランダムは、なるほど、と感心した。
このルシオという少年は、やはり頭の切れる聡明な人間である。
不意にキイ、と少し錆びた蝶番の音がした。セキエイの店へ来客だ。
その音を聞いて、ルシオはいつぞやかのコランダムとの出会いを思い出した。あのとき、このような音を立てながら来店してきたのがコランダムだった。もう随分前な気がする。
振り返るとそこにいたのは、何人かの付き添いを引き連れたドレークであった。
「ルシオ殿。今しがた、東モーティ会社の社員たちが全員釈放された」
ドレークはそう言って、付近にいる男たちを示した。彼らがその社員たちなのだろう。
ルシオは端正な口に柔らかく笑みを乗せた。
「よかったな」
「ああ。……本当に、世話になった」
ドレークは頭を下げた。彼女に付き添ってきた社員たちも頭を下げる。
だが、やがて顔を上げたドレークのそれは完全に晴れ晴れとしているわけではなかった。その理由を察し、ルシオは切り出した。
「貴様ら。身の置き場に困っているのだろう? いずれカーネリアン王国に帰れるとはいえ、死亡扱いになった戸籍を復活させる手続きが終わるまでは、この国に足止めだろうからな」
ルシオの言葉に、ドレークらは顔を上げた。図星らしい。
ルシオは、つい、と指を立てた。
「俺は、オークションのオーナーだ」
この一言に、ドレークのみならず、セキエイもコランダムも、その場にいた皆が目を丸くした。
貴族や、その家系の嫡男が商売をしているなどというのは、この国では珍しいだろう。
だが問題はそこではない。
どう見ても十を少し超えたような少年が商いをしている、ということに驚いたのだ。
そんな一同の様子などお構いなしに、ルシオはドレークに提案した。
「130名、だったか。臨時の従業員として受け入れられなくもないぞ。会場の控え室を宿代わりに使ってくれても構わない」
ドレークは目を瞬いた。まさに、渡りに船と言うべき提案である。――しかし。
「ルシオ殿にとっては、何一つ得がないのでは」
そう。ルシオにとって、損しかない提案だった。
ルシオは半ば肯定して頷きつつ、口を開いた。
「そうだな。むしろ俺にとっては危険だ。俺と貴様らの関係性が露呈すれば、この件の首謀者が俺だと疑われかねん」
だがルシオは、目元を緩めた。
「同時に、貴様らが欲しいとも思う。聞けば、東モーティ会社はかなりの大企業らしいではないか。そこに所属していたエリートを一時的にとはいえ、まとめて雇うチャンスが転がっているのだ。俺としては是非にと思うんだが」
ただ、とルシオは付け加えた。
「俺は海軍を妨害し、式典をぶち壊し、国王相手に喧嘩をふっかけた罪人だ。そんな人間と関わりたくないというのであれば、遠慮せず断ってくれ」
「そんな!」
ドレークは慌てて口を開いた。
そもそも彼が罪人になった理由はドレークにある。
ドレークはずっと思っていた疑問を口にした。
「――なぜ、罪を負ってまで他人である私たちを助けてくれたんだ?」
ルシオは少しの間答えをまとめるように黙り込み、そして言葉を選びながらこう言った。
「気に入らなかったからだ。国王のやり方が、な」
ルシオの言葉に、ドレークは再び頭を下げた。
「色々とありがとう。それと――これからも世話になる」
オークションの提案を承諾する、という意味であった。
ドレークとオークションの契約の話に移ったルシオを見て、コランダムは。
(素直じゃないが。――良い奴だ)
と、そう思った。
それと同時に。
(やはり、妙だ)
と。そう思った。
コランダムは男爵の生まれではあったものの、早々にして軍に入り仕事一筋で生きてきたために、どうも社交界の事情に疎かった。
そのためルシオのことは勿論、ルシオの家系であるカイヤナイト男爵家についても、詳細は知らなかった。
そこで同じく海軍将校である同期にそれとなく聞いてみたところ。
『カイヤナイト領は、悪政で領民から高い税金を徴収しているらしいですよ。特に嫡男のルシオ公子はほとんど社交界に出ないんですが、横暴で幼稚らしいです』
と酷い言い草で、記憶にある聡明で優しいルシオの姿と一致せず、思わずそれは別人のことではないかと聞き返したほどだった。
「……ルシオ君」
話を終えたルシオに、コランダムは声を掛けた。
愚直なコランダムは、貴族らしい上品で遠回しな詮索が嫌いだ。デリカシーがないと言えるかもしれないが、真面目なこの男は、正面から堂々と聞く方が性に合っているのだ。
「なぜ君は、噂とは随分と異なる姿をしている?」
ルシオは――珍しく、一瞬虚を突かれたような顔をした。出回っている自身の噂が良いものでない、ということを知っているのだろう。
だが、やがて。
「あなたがどんな噂を聞いたのか。そしてあなたが俺のことをどのように受け止めたのか、俺にはわからないが」
と、秀麗な顔立ちに、柔和な笑みを浮かべた。
「その噂を流した人間が目にした『ルシオ』の姿と、あなたが目にした俺の姿が違っていた。ただそれだけのことだ」
穏やかに微笑むルシオを見て。
(――本当に底が知れない少年だ)
と、コランダムは思ったのだった。




