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5話

 ルシオ・カイヤナイト、ニュージェイド学校に入学。


 補足すると、ニュージェイド学校は全寮制学校ボーディング・スクール制の中等教育で、十三歳から十六歳まで通うことになる。

 王立の名門校なだけあり、多くの貴族や上流階級の子息息女がこの学校に在籍していた。


 ルシオは、自身の成り代わりを悟られぬよう用心せねばならなかった。周囲とは距離を保っておくのが吉だ。

 だがルシオは、良くも悪くも人目を引きつけた。容姿の端麗さもさることながら、その傲慢な態度が目立ったのだ。ゆえに興味なり好奇なりを抱いた者や、逆にいちゃもんをつけたがる者が多くいた。

 気が付けばルシオには何人かの知り合いができてしまっていた。


「寮の組み分けが発表されるようですね」


 その知り合いの一人がルシオに声を掛けてきた。

 彼のやや無表情に見える顔が少々引き攣っている。


(俺が怖いなら、話し掛けなければ良いだろうに。物好きな)


 入学式が終わり、ルシオたちが案内されたのは広い会堂。部屋の前方には紙が展示されている。ルシオは後方にいるためよく見えないが、寮の組み分けが記載されているのだろう。

 ルシオは話し掛けてきた黒髪の少年を見上げた。……ルシオの背が低いわけではない、この男の背が高いのだ。多分。


「貴様はイヅナ・セキエイだったか」


「覚えてくださったのですね」


 ルシオはできてしまった知り合いと深く関わるつもりはなかったし、そもそもこの男は自分に怯んでいるようにも見えるが、どうしても知りたいことがあり切り出した。


「この学校には、いくつの寮があるか知っているか?」


 ルシオは、アズリエルが『ヴィンター寮になったらよろしく』と言っていたことを思い出していた。あの男と同じ寮にはなりたくないものである。

 イヅナは前方の寮分けの紙を指で示した。


「この学校の寮は四季をモチーフにしているようです」


 春のフリューリンク寮。

 夏のゾンマー寮。

 秋のヘルブスト寮。

 そして、冬のヴィンター寮。


「なので四つですね」


(ならば、あの男と同じ寮になる確率は四分の一か)


 高いとも低いとも言えぬ結果にルシオは眉を寄せた。

 気が付けばもう組分けの紙は目前。隣でイヅナが「私はヘルブストです」と言っている。

 ルシオは、ヴィンターは嫌だヴィンターは嫌だ、と祈りつつ、『ヴィンター寮』の紙を覗き込んだ。


『ルシオ・カイヤナイト』


 ――名前があった。

 ルシオの顔に辟易した表情が浮かんだ。


□□□

 ヴィンター寮、ルシオの部屋。

 一人一部屋とはなんとも有り難い。

 夕食も終わり(なお不運なことに夕食の席でアズリエルに絡まれることになった)、ようやく落ち着けるとばかりにルシオはベッドに潜り込む。長年使ってきた使用人の硬い寝具とは全く違う柔らかいベッドに、少しだけ緊張を解いた。


「……本当に色々なことがあった」


 タウンハウスの襲撃。

 この世界が、前世で読んだ小説の中だと気付いたこと。

 『ルシオ』の死。

 自身がルシオに成り代わったこと。

 アズリエルとの出会い。

 そして、ロンデールであった一悶着。


 どれか一つ取っても、あまりに現実離れしている。本当に疲れた。

 ――疲れた、のだが。


 外から聞こえる声が喧しい。


 何事かと窓から様子を窺ってみれば、裏庭ではちょっとした騒ぎが起きていた。


「平民のくせに偉そうにするんじゃあないぞ!」


 バシッ、と。

 哀れな学生は頬を殴打された。

 殴られた哀れな学生はしかし、倒れることも膝をつくこともなく、まっすぐ直立したまま耐えていた。

 それを良いことに、取り囲む数人の少年が一人を袋叩きにし始めた。


 ルシオは溜息を吐いた。

 彼が悪役『ルシオ』に成り代わってまで貴族の立場になりたかった理由は、まさにこれである。


 この国の階級はざっくりと3つ。上流階級、中流階級、労働者階級である。上流階級の人数が最も少ない。

 貴族は当然ながら上流階級に組み込まれるが、世襲制であり長男のみが爵位を引き継ぐことができるということを踏まえると、貴族の家系がどれほど珍しいかは説明するまでもなかろう。


 だというのにこの国は、その僅かばかりの人間を中心に回っている。

 そして平民が、この貴族社会で貴族と同じように渡り歩くことはできぬのだ。


 目をつけられてしまった哀れな被害者はどんな人間だろうと目を凝らすと、見知った黒髪が見えた。


「……あいつか」


 イヅナ・セキエイ。寮の組み分けのときに話し掛けてきた物好きの一人である。


「まったく面倒だ」


 知り合いが一方的に殴られているのは良い気がしない。それにルシオ(ミケイル)とて平民として育った身。見て見ぬ振りはできなかった。

 ルシオは外套を身に纏い、中庭に出た。よく整備された中庭は、名門校の証と言えるだろう。だが一方で、木や植え込みが多い分多数の死角が存在しており、悪質行為の温床ともなり得る場所とも言えた。

 例の暴力行為はまだ続いていた。


「生意気なツラぁすんじゃねェ!」


 喚ばわりながら拳を振り上げた少年の、丸々とした頬に。


 ドカッ! と。


 ルシオは拳をお見舞いした。


「ぐあッ!」


 さほど強く殴ったつもりはないのだが、殴られた少年は吹っ飛んだ。

 先日暴漢と対戦したときや、今朝の路上生活者に襲い掛かる男に向けてゴミ箱の蓋を投げつけたときもそうだったが、もしかしたらルシオには戦闘センスがあるのかもしれない。


「ッてェ……」


 地面に転がった少年はよろよろと上半身を起こし、殴ってきたルシオに噛み付いた。


「おい、てめェ! 誰を殴ってんのかわかってんのか! 俺は偉いんだ! 父ちゃんは議員だし、俺は貴族なんだぞッ!」


 虎の威を借るなんとやら。親の威光を盾に威張り散らす、典型的ないじめっ子タイプだ。

 ルシオは再び拳を握りしめた。


「そうか貴族か。よく吠えるものだから、てっきり犬かと思ったぞ。いや、犬の方が賢い分まだ可愛いな」


 ルシオの拳を見て少年は「ヒッ」と小さく悲鳴を上げた。


「もう一度言うぞ! 俺は貴族だ! 俺を殴るなんて……」


「奇遇だな。俺も貴族だ」


 そう言ってルシオはもう一発、その顔面にお見舞いした。

 少年たちはもう殴られまいと、そそくさとその場を後にしようとした。ルシオは主犯の襟首をむんずと掴んだ。


「貴様の名はなんだ」


「ビ、ビッグ・ブーリーだッ」


「覚えておこう」


 解放されたビッグは「貴族が平民を庇うなんてどうかしてる」と言いつつ、他の少年たちを連れて悲鳴を上げながら立ち去っていった。


 その場に残されたルシオは「どうかしてるのは貴様らのほうだ」と呟き、立ち尽くしているイヅナに目をやった。不幸中の幸いか、さほど強い相手ではなかったために大した怪我は無さそうだ。

 イヅナはルシオの方に向き直ると膝をついた。


「ルシオ様。庇っていただきありがとうございました」


 ルシオは興味ない、と手を振った。


「イヅナ・セキエイ。別に貴様を庇ったわけでない、俺の眠りを妨げた奴が気に入らなかっただけだ」


 つっけんどんにそう言い放ってから、膝をつき続けているイヅナの後頭部を眺めた。


「あと俺には他人に膝をつかせる趣味はない。俺の首を疲れさせたくなければさっさと立て」


 イヅナは少し迷ってから立ち上がり、今度は頭を下げた。


「……平民だとお伝えせず、申し訳ございません」


 ルシオはやれやれと首を振った。


「別にいい。最初からそうだろうと思っていたからな」


 今日、ルシオに興味を持った人間が何人か声を掛けてきたが、対しイヅナは積極的に他人に絡むタイプには見えなかった。

 そしてこの男は、その反応からルシオに苦手意識があるように感じられた。

 だというのに彼はルシオに声を掛けてきたのだ。


「物好きな奴らはさておき、男爵家程度の俺に取り入ろうとするのは、貴族の後ろ盾が欲しい奴くらいなものだろう」


 そう言うと、イヅナは気まずそうに顔を下げた。


「申し訳……」


「いいと言っただろう。わかったらさっさと行け」


 イヅナはもう一度頭を下げると、自身のヘルブスト寮がある方へと去っていった。そのときだった。


「ルシオ・カイヤナイト」


 ルシオを呼ぶ声が聞こえた。それが大人の声だったことに嫌な予感を覚えつつも振り返ると、すぐ近くに女教師が立っていた。

 その背後には先のいじめっ子ビッグがいて、腫れた口元ににやにやと笑みを浮かべていた。


(あの野郎、教師に言いつけたな)


「入学早々、乱闘騒ぎとは何事ですか。罰としてあなたには掃除を命じます」


「ちょっと待て」


 ルシオは教師の背後に隠れるようにして笑っているビッグを指差した。


「そいつもイヅナ・セキエイを殴っていた。俺だけが罰を受けるのは納得いかん。だいたい……」


「つべこべ言うなら退学処分にしますよ」


「なにッ!?」


 いくらなんでも理不尽すぎやしないだろうか。こうなるとわかっていたら、証人になってくれたであろうイヅナを追い返さなかったのに。もう後の祭りだ。

 ルシオはこの罰を受けねばならなかった。

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