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46話

 ざざ、と水飛沫が散り、細やかな水滴が四散する音がする。その音の主は、一艘の小舟である。

 小舟は朝日が登りつつある海の中を進んでいた。その船に乗っているのは、フードを被った男と、それから海賊の女だ。

 薄暗い海に、もう一艘ぽつりと船があった。先の小舟よりもう少し大きい、ささやかな船室が設られた漁船だ。

 その船を見つけた小舟の男は、そちらの方へとオールを漕いで進行していった。そして小舟を漁船に並べるようにつけると、小舟を漁船に縛りつける。それと同時に漁船から縄梯子が垂れてきた。

 フードの男は片手で女を担ぎ、もう片手で垂れてきた縄梯子を器用に登っていく。大した身体能力であった。


 やがて男は甲板近くまで這い上がると、まずは女をそこに下ろした。女は終始無言で、されるがままに大人しかった。

 そして自らも這い上がる。時を同じくして彼らを待っていたらしい金髪の少年――ルシオの姿が見えた。


「よくやった」


 フードの男――セキエイは、フードを取りながら静かに笑った。


「海軍将校を相手に闘いをするなど、滅多にない良い機会でした。いやはや、片手剣ロングソードを握ったことはあまりないのですが、ひとまずコランダム様には勝てましたね」


 精悍な顔立ちに似合わず柔らかい笑みを浮かべるセキエイを見て、ルシオは失笑した。


「コランダム将校が耳にしたらさぞ憤慨するだろうな。なにせ経験豊富な片手剣のエキスパートだろうに、慣れぬ武器を使う相手に負けたのだからな」


「あ、えっと。別にコランダム様を愚弄したわけではないのですよ」


「わかっている」


 ルシオは小さく笑った。セキエイといいその息子のイヅナといい、人が良いのは間違いない。少なくとも、意図して他人を傷付けるようなことは言わぬ人間である。


 セキエイは「それにしても」と話題を変えた。


「ルシオ様は無茶をおっしゃられます。相手方の首領を連れて来いだなんて」


「だが貴様ならば成し得るだろうと思っていた。貴様がどんなに強いかは、イヅナから散々聞かされていたからな」


 そしてルシオの頼みに対し、セキエイは是が非でも死力を尽くすであろうこともルシオは理解していた。

 それは何も、ルシオがセキエイにとって恩人であるからとか、息子のイヅナの友人であるからとか、そんな義理人情に由来するものではない。


 ルシオが、セキエイに計画の一部始終を知らせたためだ。


 それを聞けば、たとえそれが国家権力たる海軍の作戦の妨害という国家反逆的な行動であっても、人の心を持つ以上やらざるを得ないのだ。


 ルシオの計画はこうだった。


 まず、船を調達する。

 これはオパール伯爵に借りることにした。というのも、以前ヴィネアがルシオに


『トルターガ島は、我がオパール領に近いので。そのニュースを耳にした当時、領主の父と一緒に海に異常がないか船で見回ったものですわ』


 と話していたので、彼ならば船を所有しているだろうと思ったためだ。

 ……まあ、まさかそれで小さく見窄らしい漁船が出てくるとは予想だにしなかったが。そういえばオパール伯爵領は経済状況が芳しくないということを、そのときになって初めて思い出したものだった。

 まあ何も問題はない。併せて理由も聞かずに船の操縦ができる口の固い船乗りも貸してくれたので、むしろ大いに助かった。


 そして、セキエイに海賊の首領を攫ってきてもらう。というわけで、セキエイの出番というわけだ。


 と、このような計画を耳にすれば、誰しもがこう思うであろう。『何のために?』と。それがセキエイを突き動かした大きな要因であった。


 その疑問は当然ながら当事者も抱いていた。ここまで連れて来られた女はルシオに向けてその疑問を口にした。


「おい。おまえは誰だ? なぜ私をここに連れてきた?」


 女の問いに、ルシオは「質問は一つずつにしろ」と文句を言った。


「俺はルシオ・カイヤナイト。ディアマンテ王国にある男爵家の長男だ。次の質問は、なぜ貴様をここに連れてきたか、だったな」


 僅かに沈黙が流れた。船に波が当たり弾ける音だけが、その静寂の中で鼓膜を揺らす。

 やがてルシオは女の前にしゃがみ込んだ。海風に、ふわり、と黄金色の髪が揺れる。


「東モーティ会社貿易船沈没事件」


 その一言に、女はびくりと肩を震わせて顔を上げた。ルシオはこう続けた。


「それにより遭難した、貿易船に乗船していた東モーティ会社の乗組員らは、ある島に辿り着いた」


 ルシオは遠くに見える小島を指差した。


「トルターガ島だ」


 つまり、とルシオは腕を組んだ。


「トルターガ島を占領していたのは、海賊ではない。沈没事件で行き場を失った、東モーティ会社の貿易船にいた乗組員たちだ。

 そうだろう――東モーティ会社社長リサ・ドレーク」

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