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37話

 ルシオは憂慮していた。


 豪華な朝食ブレックファスト。プレートに載る温かい目玉焼きの黄身をつつくと、カリカリのベーコンにとろりとかかる。

 それから隣のブラック・プディングを見て顔を顰めた。――豚の血を脂身と共に詰めたこの料理が、ルシオはどうしても好きになれなかった。

 が、ルシオを悩ませる原因はこれではない。


「――最近よく凶悪犯に遭うなぁ、一つくらい身を守る術を持っておいたほうがいいんじゃないかなぁ」


 ――という考えが頭を離れないためである。

 なお、今の言葉を口に出したのはルシオではない。


「って思ってるんでしょ」


 隣に座ってきたアズリエルだ。


 アズリエルは寮での食事のたびに、ルシオにちょっかいを出しに来る。毎度追い払うのが面倒、というより成功した試しがないので、最近ルシオは避けることを諦めた。


「まあな」


 ルシオはアズリエルのプレートにブラック・プディングをさりげなく移動させつつ返答した。

 アズリエルはそれに気付きつつ失笑を漏らした。歳のわりに大人びたルシオではあるが、こういうところは可愛げのある歳相応の子供のようだ。


 ルシオは、ふと何かを思い出したように口を開いた。


「アズリエル。イヅナから聞いたが、貴様、結構強いらしいな?」


 ルシオが何を言わんとしているかを察したアズリエルは、首を横に振った。


「きみに格闘技を教えるつもりはないよ」


「……なぜだ」


 ルシオは問うた。しかし断ったアズリエルの口調にいつもの軽薄さがなかったので、ルシオは強く文句を言う気になれず、あくまでも質問に留めておく。

 ルシオの視線を受けたアズリエルはじっ、とルシオに目線を向けた。


「きみは教えればすぐに吸収して、そこそこ強くなるだろうってことはわかるよ」


「当然だ」


 ルシオはかつてタウンハウスに押し入って来た暴漢を、装飾用の剣で全員倒したことがある。

 それに以前、訳あってある少年を殴りつけたときだって、相手を見事にぶっ飛ばすことができた。

 そういうこともあり、それなりに戦闘の才能があるのかもしれないと自負していた。


「貴様が教えてくれさえすれば、俺は自分の身を守れるくらいには強くなれる。何が問題なんだ?」


「強くなること――それが問題なんだよ」


 アズリエルはルシオに言い聞かせるように話をした。


「ルシオくん。凶悪犯と対峙したときはね。戦うより逃げたほうがいい、それが最善策なんだ」


 だけど、とルシオを指差した。


「きみは強くなって、下手に自信をつけたりしたら、万一のときにきっと『逃げる』って選択肢より上に『戦う』って選択肢ができる。自分の力を過信して、無謀にも立ち向かってしまう」


 ルシオは押し黙った。まともな訓練を受けていない現時点でさえ、既にいらぬ自信をつけてしまっているルシオには反論のしようがなかった。


「だから僕は、きみに何も教えない。『戦う』って選択肢を作ってほしくないからね。きみの武器は力じゃない、頭だよ」


 これはアズリエルなりの優しさなのだろうということは、彼の口調から察することができた。

 ルシオとアズリエルは、表面上はこうして仲良しを演じながらも、あくまでも腹にイチモツを抱えたまま互いに探り合っているだけに過ぎない。更に言えば、もはや互いに敵だと認識しているといっても過言ではないのだ。

 そんな相手であるルシオに対しこう諭したのは、ひとえにアズリエルの正義感ゆえだろう。


 アズリエルは、ルシオが前世で読んだ小説――つまりこの世界の主人公だ。

 癖が強く変人で、決して美男というわけではないこの男は、あまり主人公らしくない。

 だがこういう正義感の強いところを見るに、彼は紛れもなく主人公なのである。


 これ以上頼み込んで彼の想いを無下にするのは憚られ、ルシオは何も言えなかった。


□□□

「――で、知り合いの鍛治職人に相談しようと思ってな」


 辻馬車に揺られつつ外を眺めながらルシオが説明していた相手は、正面に座るヴィネアだった。


「武術が駄目なら武器に頼ろう、ってことかしら」


「ああ」


 考えた末に、己の身を鍛えなくとも良い武器を手に入れればいいのでは、という結論に行き着いたのだった。


「アズリエルさんは、そういうつもりで仰ったのではないと思いますの」


「……だろうな」


 ヴィネアの言う通り、ルシオの行動はアズリエルの意に反するものとなろう。だが。


「このままでは何も解決しない。

 いざ危険な目に遭ったとき、どうする? 戦えないのならば、命を諦めるしかなくなるだろう」


 そんなのはごめんだ、とルシオは締めくくった。

 とはいえヴィネアとしては、ルシオを止めたアズリエルの感情も理解できる。

 ルシオが戦えるようになったとしても、その力は恐らく自分の身を守ることには使わない。敵を倒すために使おうとしてしまうだろう。

 であれば、最初から戦えない方が良いのかもしれぬのだ。


 ルシオの知り合いだという鍛治職人は、どう考えるだろうか。ルシオの要望通りに武器を作ってしまうだろうか。

 そこまで考えて、ヴィネアはふと口を開いた。


「ところで、あなたのお知り合いの鍛治職人というのは、どんな方ですの?」


「イヅナの父だ」


 ルシオが以前知り合った、イヅナの父ことセキエイ。異国出身の人間で、生真面目で正義感の強い人間だ。


「まあ、イヅナさんの……」


 ヴィネアは自分の頬に手を当てて驚いたように口を開いた。


「そういうことでしたら、イヅナさんも連れてくればよかったのに」


 そう言ったヴィネアに、ルシオは首を振った。


「イヅナの奴、クラブに入ったらしくてな。都合がつかなかった」


 イヅナは引っ込み思案というわけではないものの、あまり社交的とは言い難い。そんな彼がクラブに入ると言い出したのは、少々意外だった。もっとも別に止める理由もないが。

 聞いたところによると、剣術のクラブらしい。フェンシングやら、アーマードバトルやら、そういった剣術の使い手たちが集っている、とのことだ。


「イヅナが学校の入学の折に推薦をした人間が、軍の人間らしくてな。その男の勧めなのだそうだ」


「そうでしたの」


「――それで」


 ルシオはヴィネアに視線を移しつつ、ずっと気になっていたことを訊いた。


「貴様はなぜ俺についてきた?」


 放課後ルシオが辻馬車を拾うために駅前に向かおうしたところ、彼女と鉢合わせた。そこまではいいものの、なぜか彼女はそのままルシオについてきたのだ。

 ヴィネアはつんと澄ました顔をした。


「気晴らしに散歩に行こうと思っていたんですのよ。そうしたら偶然あなたを見かけて。特に目的もなかったし、どうせなら同行しようかと」


「……そうか」


 さしずめ、『問題児』と言われるルシオが問題行動を起こさないよう見張るつもりなのだろう。ルシオはそう考えて、小さく溜息をついた。

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