35話
オーガネス・カネイ。
オークション運営会社の社長である。
もともとは悪事に手を染めず、真っ当なオークションを運営していた。
封印形式の、貴族向けのオークション。それだけで希少性があり、独自のブランドとしてその地位を不動のものにしていった。
だが、カネイは道を踏み外すことになる。
事の発端は些細な出来事であった。
「これはきっと高く売れるぞ」
と、そう思って、大金をはたいて最高級のエメラルドを取り寄せた。
「ウェーズ地方で採れるエメラルドの中でも相当にデカい。かなりの出費だったが、良い値段で売れるだろう」
しかし。
――客たちの反応は微妙だった。
「大きいけれど、曇ってるわ」
「輝きが足りないな」
この時点で嫌な予感はしていた。用紙を回収し集計したとき、その予感は的中した。
(このエメラルドが――たったの10万だと!?)
オークションにおいて値段は、客の価値観に依存している。そういうシステムなのだ。
つまりどんなに仕入れ価格が高額な品物であったとしても、買い手側のお眼鏡にかなわなければ、それより大幅に安い価格で落札されることになるのだ。
(苦労して仕入れたというのに、これでは大赤字だ!)
カネイは咄嗟に客席を見た。空席がいくつかあった。客はどのテーブルが空席か、など気にかけてはいないだろう。
(あのテーブルは――15番)
カネイは開封済みの用紙をさりげなく手に取り、そして素早くポケットに手を伸ばしてサインペンを取ると。
この『10万』の紙に。
ゼロを、一つ付け足した。
そして。
客席に向け、用紙を翳した。
「100万! 15番のお客様で100万ッ!」
――販売を阻止してしまった。
だが、これでいい、と思った。
商品は売れなかった。
だがきっと、他の回ではこれの価値がわかる人間がいるはずだ。
たとえ価値がわかる者が現れなかったとしても、またこうやって取り戻せばいい。
いずれにせよ、手数料程度は手に入るのだから。
――何なら。
手数料を徴収し続ければ、このエメラルドの仕入れ分は賄えるのではないか?
ふと、考えついた。
(同じ商品を使い回すことができれば、仕入れに金を使うことなく、手数料を徴収し続けられるのではないか?)
その愚かで浅はかな思い付きが、カネイを悪の道に駆り立てる引き金となったのだった。
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「施策に対する客のウケは悪くなかったな。まあ事件の揉み消しに際し、従業員の精神衛生のために『被害者へ償いをした』つもりになるための、単なるパフォーマンスに過ぎんが」
自分より遥かに歳下の子供に声を掛けられ、カネイは身体を情けなく震わせつつも振り向いた。
そういえばこの少年と出会ったのも、今のように誰もいなくなった会場だった。
「そ、そうですね」
「とりあえずは、真っ当なオークションになるだろう。売り上げも見込める」
カネイはこの金髪の少年が恐ろしい。何せこのオークション運営会社は。
――この十を少し超えたくらいの子供の手に、落ちたのだから。
(この子供は、私の運営会社を『買った』のだ。それも、私から金を『借りて』)
意味がわからない。滅茶苦茶だ。
こんな突飛な発想、どこから出てくるのだろうか。
「心配するな。貴様から借りた金はきちんと返済してやる。オークションの売上から差し引いてな」
そう、この少年自身は一切の金を支払っていない。
少年はカネイが持っていた運営会社をタダ同然で手に入れた。そして。
オークションのオーナーになったのだ。
(こいつが私の手口を知っていなければ)
弱みを握られていなければ、こんな少年とは金輪際関わりたくなかった。
(訴えると言われていなければ)
脅されていなければ、損しかないこんな取引に応じなかった。
だから。
こう、思った。
(――殺してしまおう)
カネイは尻ポケットに手を伸ばし。
回転式拳銃を手にした。
それを少年に向けかけたところで。
「!」
首筋に、つ、と冷たい物が当たった。
その冷たい物の出所は、カネイの背後。
そちらに、ゆっくりと目を向けると。
「――その銃をお捨てください」
黒髪の少年が、自分の首筋に鋭利な剣を当てていた。
「ヒッ!」
カネイは腰を抜かした。
その拍子にカネイの手から回転式拳銃が滑り落ちた。すかさず金髪の少年は足でそれを蹴飛ばし、カネイの手に届かないところに移動させた。
「仮にもオーナーを殺害しようとするとはな。貴様の罪状に、詐欺だけでなく殺人未遂も追加するつもりか?」
カネイはこの瞬間、察した。
この少年にとって、カネイが自分を殺そうとしてくるであろうことなど想定内だった、と。
地面にへたり込む自身の首筋には、相変わらず剣が当てられている。
黒髪の少年はそうやって人を脅しているというのに、無表情の中にどことなく楽しそうな感じが伝わってきて異様だった。
「よかったです。ルシオ様が、私を必要としてくださっていて」
と、そんな訳の分からないことを言っている。
金髪の少年は笑みを浮かべたまま黒髪の少年を一瞥し、またカネイに視線を戻してさらに笑みを深くした。
「なあ。5番の男の司会も、板についてきたな。そう思わないか? オーガネス・カネイ」
「――まさか」
カネイは、気がついた。
もうカネイ自身がおらずとも、オークションが開催できる状況であるということに。
つまり少年は元々、カネイを排除しようとしていたのだ。
「貴様はクビだ」
カネイは瞠目した。
「あ、あんまりだぁッ!」
カネイは懸命に、考え直してくれというように首を振った。
「ここは私の会社だ! 私のすべてなんだ! 追い出されるなんて――」
「異議を申し立てるなら――貴様のいままでの行いを暴露しよう」
金髪の少年に応じるように、黒髪の少年が持つ刀の刃先が、ちくり、と首に刺さった。
「うわあッ!!」
カネイは駆け出した。
オークション会場の扉を強引に開けると、そのまま転がり出た。
閉まりかけた扉の間から、楽しそうな笑い声が聞こえた気がした。




