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32話

 オークションが終わり、人気がなくなりしんと静まり返った会場内。


 相変わらずごてごてとした調度品が煌めき、光を反射させる金銀や鏡の装飾が周囲に眩い光を投げ掛け散らせている。しかし先程まで多数の来場者がこの場にいたこともあり、いくら派手な装飾や調度品があっても賑やかしにもならないように感じ得た。


 その静かな空間に足を踏み入れる小さな人影がある。――ルシオだった。


「――遅くなった」


 静寂に満ちた空間の中に、ルシオは話し掛ける。


「連れを先に帰すために説得していたものでな。その説得に失敗して奴らを待たせている。早く話を済ませよう。

 ――5番」


 身じろぎによる布ずれの音がする。

 直後――誰もいないかと思われた空間の中に、一人の男が姿を現した。


 中年男性。ワインレッドのスーツがこの空間に負けず劣らず派手で、どこか悪趣味だった。

 柔和な笑みを浮かべてはいるものの、しかし時折眉がぴくりと動いているのを見る限り、どうにも心中穏やかではないらしい様子が窺い知れる。


 男は何も言わず、ただ黙っていた。このままでは話が進まぬ故に、ここはルシオから切り出すことにした。


「――答え合わせだ。貴様が、俺たちの記入した入札額を把握した方法についてのな」


 言いながら、ルシオは端のテーブルまで歩を進めた。テーブルに「5」の文字がある。ここが5番がいたテーブルで間違いないだろう。

 ルシオはそのまま上を見上げた。鏡張りの天井が視界に入る。


「この鏡張りの天井。最初は、無駄にごてごてした照明シャンデリアの光を反射させるためだけに設られた、ただの装飾かと思った。実際このテーブルを見る限りでは、このテーブルと俺の姿が映っているだけだな。だが」


 ルシオは上の鏡を指差した。


「この席より左の一列……1番から4番のテーブルの上部についている鏡。その鏡はな。――角度がついているのだよ。まるでデンタルミラーのようにな」


 ルシオは左側、1から4番のテーブル上部の鏡を指差した。確かに鏡が垂直になっていない。


「この5番の席から、角度のついた鏡を通して、1から4番までのテーブルの上が丸見えだ。これでは、プライバシーも何もあったものではない。俺たちが書く入札額は、この鏡を通して貴様に筒抜けだったというわけだ」


 ルシオは5番の男に視線を戻した。男は相変わらず笑顔を浮かべてはいたが、やや強張っていた。


「貴様はこの鏡を見てこの一列の入札額を把握し、それを上回る額を書いていたのだろう」


 黙って笑顔のまま聞いていた5番の男が、ぴくりと眉を動かした。

 ルシオはさらに続ける。


「俺が用紙を鏡に映らないよう被さったとき、貴様は俺の書く入札額を見ることができなかった」


 『ホーキンズの冒険』の初版本の入札時、ルシオは用紙に覆い被さるようにして書いた。記載金額が、天井の鏡に映らないように。


「だから貴様は対処することができず、落札に失敗したのだ」


 あのとき、5番の客は入札こそしていたものの、落札することができていなかった。ルシオの記載した金額がわかっていれば、落札に失敗することなどなかっただろうに。


「――他の落札者は6番、12番、18番、25番だったか」


 ルシオは歩を進めて、それらのテーブルからの様子を確認する。

 そして案の定、6番は右を、12番と18番は左右を、そして25番は再び左を見れば、横一列全てのテーブルの上を鏡越しに覗き見することができた。


「鏡の角度を変えれば、カンニングができるテーブルの変更も可能という寸法か。偽客の席を固定にせず都度変えていれば、常連客とて気付かないだろう。よく考えたものだ」


「しかし」


 5番の男が声を上げた。


「遠くのテーブルで記入される文字など、鏡越しでは小さくて見えないのでは?」


「問題ない」


 ルシオは、テーブルから備え付けのサインペンを手に取った。キャップを取れば、インクの染み込んだ太いフェルトがお目見えする。


「この太さのサインペンでは、小さな文字を書くことなどできんからな」


 それに、とステージを指差した。ルシオはシャックスが『文字はデカくはっきりと書くんだ』と言っていたのを思い出していた。


「落札すれば、用紙はステージ上で掲げられる。それを知っていれば、細かい文字を書く者はいないだろう」


「……」


 ここまで聞いた男は。


 ――がばり、と。

 頭を下げた。


「おっしゃる通りです! 偶然、他のテーブルを覗き見れることに気付いてしまいまして。――他の方々も同様でしょう」


 5番の男の表情に焦りが滲み出した。


「申し訳ございません、ほんの出来心だったのです!

 ――あの、どうか誰にも言わないでほしいのです。

 ここは穏便に、お金で解決とさせていただけませんか?」


 男の申し訳なさそうな態度とその言葉に、ルシオは眉を寄せた。


(まずいな。このままだと――この男の単独犯ということにされる)


 ルシオの見立てでは、この件はそんな単純な問題ではなかった。

 故にルシオは肩を竦めると、こう言うことにした。


「――貴様のせいだとは思っていない。責任があるとすれば、このような不出来な会場を用意したオークションの運営側だ。

 だから、運営を訴えねばな」


 ルシオは会場を出ようとした。それを見た5番の男は俄かに慌て出した。


「お、お待ちください! どうかお願いします、お金なら支払いますからッ!!」


 その必死な様相と男の言葉に、ルシオは心底解せない、というように片眉を上げた。


「なぜ止める? 貴様に罪を問うつもりはないと言っているだろうに。それとも」


 ルシオは困惑するふりを止めると、端正な顔にふっと笑みを浮かべた。


「一社員として怖いのか?

 オークション運営会社そのものが『詐欺集団』だと、世間に露呈することがな」

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