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3話

 流行トレンドの中心地である大都会。


 アズリエルに連れられて街に足を踏み入れたルシオは、周囲を見渡した。


「……ここが首都ロンデールか」


 首都のことは、新聞や書物で知識としてはあった。よく栄えた美しく安全な街だとか何だとか。だが百聞は一見に如かずとはよく言ったものだ。大通りから一歩外れれば、荒れ放題の裏通りがお目見えした。


 不意に、背後から「私の鞄!」という悲鳴に近い甲高い声が聞こえてきた。振り返れば、通勤中らしい女性が男に鞄を引ったくられたところだった。引ったくり犯の男はこちらの方へと駆けてくる。

 ルシオは引ったくり犯とすれ違う瞬間、足を引っ掛ける。足を取られた男は、ズシャア、と激しい音を立てて転倒した。


「随分と暮らしやすそうな街ではないか。悪人にも寛容でな」


 ルシオは倒れた男を一瞥しつつ、その手から鞄を強引に取り上げて女性に返してからアズリエルを見上げた。

 ルシオの皮肉に、アズリエルはバツが悪そうに金色の瞳を細めた。


「裏通りに行くと危ないよって伝えたくて連れてきたんだよ。よく物乞いが殺されてるみたいだし」


「……そんな物騒な場所に、嬉々として可愛い後輩を連れてくるとはな」


 このアズリエルという人間はまったく変人である。そう思いつつ、ルシオは口を開く。


「物乞いが殺されている、と言ったな? 警察は何故犯人を逮捕しないんだ」


「してるんだけどねぇ。一人じゃないからキリがない。それに路上生活者が被害者だと、刑も軽いんだ。ちょっと保釈金払ったらすぐ釈放さ」


 ルシオは周囲を見渡した。

 仕事道具なのか刃物を手にしている者、帽子や襟巻きで顔を隠している者、酒か或いはよろしくない薬でも接種しているのか覚束ない足取りで歩く者――。少なからず偏見もあるだろうが、なるほど今にも犯罪を犯しそうな人間がごまんといる。


(きっと、あそこにいる男もそうだろう)


 視界に映ったのは、一見するとなんてことはない、トレンチコートを身に纏った出勤中の男。

 だがルシオは見逃さなかった。男がそのコートの袖口にナイフを忍ばせたところを。さらによく見れば、靴底に古い血の痕が付着している。


 トレンチコートの男は、そのまま角を曲がっていった。


 ふと、小説の一節が頭に浮かんだ。


『トレンチコートを着たその男は、卑怯にも度々弱者から金を巻き上げ、時折殺しもしていた。

 捕豚箱送りになることもあったが、被害者が路上生活者なだけあって刑期は短い。この下劣な男が反省の色を見せることなどなかった。

 釈放されれば何度でも、悪事に手を染めた。』


(――思い出した)


 このエピソードに登場するトレンチコートの男とは、あの男のことで間違いなかろう。

 

 ルシオは拳を握りしめた。

 己が『ルシオ』に成り代わった目的を、忘れてはならない。


(この世界の事件を阻止して、被害者を救う。それが俺の目的だ)


 ならばもう、やることは決まりだ。

 ルシオは顔を上げた。


「アズリエル。何処かに茶店はないのか? 喉が渇いて仕方がない」


 ルシオの言葉に、アズリエルはああ、とすぐ傍にある茶店を指し示した。


「この辺りだと、そこのチョコレートティーが美味しいんだよね。テラス席で待ってて、買ってきてあげるから。先輩からの奢りだよ」


 アズリエルはひらりと手を振ると、茶店の中に入っていった。

 ルシオは男が消えていった路地裏へと目を向けた。


□□□

 路上生活者は、この街の治安悪化の原因の一つである。といってもその存在そのものが直接の原因ではない。――その路上生活者を狙う人間がいるせいだ。

 うち一人、名をサロウ・レイダーといった。


 ガッ、と。

 レイダーは路上生活者の背後の壁に、ナイフを突き立てた。


「金を出せ! 死にたくなけりゃあなァ!」


 しかし当然ながら、路上生活者の身である男に金はない。男はぶんぶんと首を振った。


「金なんて、一銭も……ッ」


 レイダーは、そのささやかな抵抗に苛立った。壁に突き刺したナイフを引き抜くと。


 ザクッ!


「ぐあッ!」


 路上生活者の靴に、ナイフを突き立てた。


「金がないんなら、その服全部脱げ! 売りゃあ多少の金になるだろうよッ!」


 痛みに悶え倒れた男の服を強引に引っ張る。だが困惑したように服を脱ぎ始める路上生活者の手際の悪さを目にして、レイダーは怒りを募らせた。


「手間掛けさせやがって、てめェ!」


 靴からナイフを引き抜いたレイダーは、そのまま。

 男の心臓を目掛けて。

 ナイフを――。


 ガツン!


「ッてェ!?」


 レイダーの後頭部に何か重い物が直撃した。何かと思いその物体が落ちた地面の方を見れば、それはブリキのゴミ箱の蓋だった。


「――路上生活者のなけなしの金を奪い、あまつさえ危害を加えるとは節度のない。なんと卑しいのだ貴様は」


 子供の声。振り返ればそこに立っているのは、金髪の子供だった。

 ガキのくせに首を突っ込んできたのか、とレイダーはせせら笑う。それから改めてこの子供を上から下まで舐めるように眺め回し、ほくそ笑んだ。


「てめェよく見りゃ、立派なナリしてるじゃねェか! 自分から金を盗られに来るとはなァ!」


 レイダーは標的をこの子供に変更することにした。

 手に持ったナイフ握り直す。

 そしてそれを振り上げ。

 ――振り下ろした。


 だが、子供はそれを躱す。

 直後、子供はこちらに向かってブリキのゴミ箱を蹴飛ばしてきた。中のゴミが四散し、思わず「汚ェ!」と小さく悲鳴を上げる。


 しかし子供がしたかったことは、ゴミ箱の中のゴミをぶち撒けることではないらしかった。

 子供はポケットから何かを取り出す。――マッチだった。

 子供はそれを一本取り出して擦ると。


 散らばるゴミに、火を放ったのだ。


 常識を逸した子供の行動に、レイダーは目をしばたたかせた。


「何をしているッ!?」


 ゴミに油分でも含まれていたのだろうか、途端にゴオ、と勢いよく炎が燃え上がった。


「何をしているか、だって?」


 子供が、端麗な顔を酷く歪ませてにい、と笑った。


「見ての通りだ。放火したのだよ」


 炎と煙が高く上がる。

 直後、火の気に気付いた人々が、火事だ火事だと騒ぎ立てながら集まってきた。人々が銘々に持ってきた水を火にかける。ほどなくして鎮火した。

 と、赤い髪の子供が人混みを掻き分け前に出てきて、金髪の子供に声を掛けた。


「ルシオくん! なんでこんなところに! それにさっき煙が見えたけど……」


 ルシオと呼ばれた金髪の子供が、レイダーを睨んだ。かと思えば、子供は「こいつだ!」と言いながら、レイダーを真っ直ぐに指差した。


「こいつが、俺のタウンハウスに火を放った!」


 レイダーは困惑した。


(なんの話だ?)


 この小僧の家に火を放った?

 そんなことをした覚えなどない。


 しかし子供は怒りに震えながら、更に言い募った。


「昨夜、タウンハウスの近くでこいつを見たのを思い出してな。挙動が不審だったから後を追ったら、見つかってしまったのだ。

 ――この男、俺を見るなりなんて言ったと思う?

 『昨夜いなかったガキがこんなところに』と『お前を誘拐するつもりで邸に行ったんだぞ』と。そう言ったのだ!」


「何の話だ!」


 そんな事実はない。

 レイダーは怒鳴りながら反論した。

 だが追い打ちをかけるように、子供はさらにわけのわからないことを言い募った。


「腹いせに、使用人を全員殺して邸に火を放ったと! そして汽車でここまで逃げてきたのだと! 確かにそう言った!」


「だから何の話だ!」


 否定するレイダーをよそに、赤髪の子供は先程まで燃え盛っていた、今や灰と化したゴミに目をやった。


「こいつは放火魔、ってことなのか……?」


「なに!?」


 レイダーは驚愕で声を上げた。


(――このままじゃ放火魔にされかねねェ!)


 何もかも、意味がわからない。

 レイダーはとにもかくにも反論した。


「違う! 放火なんてしたことねェ! 火ィつけたのは俺じゃねェ!

 ――おい、見てたよなァ!」


 レイダーは振り返り、路上生活者の男に意見を求めた。

 だがそんなことをして果たして何になるというのだろうか。この男は先程まで、レイダーに襲われていた被害者だというのに。

 果たして、路上生活者の男は頷いた。


「放火をしたのはこいつで間違いない。その子が言っていたことも事実だ。

 ――さっさとこいつを捕まえてくれ」


 しまった、と思った。

 たとえ事実でなかろうが、そのようなことはもはやどうでもいい。男は自分の身が助かる道を選ぶに決まっている。

 こうなるのは至極当然のことだった、焦りのあまり頭が回らなくなっていた。


「くそッ!」


 レイダーは悪態をついた。

 何が起きているのか。理解が追いつかないが、これだけはわかる。

 ――このままでは自分は身に覚えのない罪で捕まってしまう、ということだけは。


「冤罪だ! 俺は何もしちゃいねェッ!!」


 しかしレイダーの嘆きをよそに、いつの間にやら来ていた自警団に彼は確保された。

 自警団に引き摺られながら、レイダーは。――見た。


 金髪の子供が、にやりと。

 底意地の悪い笑みを浮かべたところを。


 ――やはり、訳がわからない。

 だが。

 このガキに嵌められたことだけは理解できた。


「嵌めやがったな、クソ野郎――!」


 レイダーの悲痛な叫びが、路地裏に虚しく反響した。

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