28話
ルシオはいつも、昼休憩の時間は食堂で過ごす。
ルシオの本名は『ルシオ』ではない。死した貴族の少年『ルシオ』に成り代わったのだ。
ゆえにそれが露呈しないよう、極力他人と関わらないようにとは思っている。だが周囲がそれを許さない。
非凡な見目のせいか、はたまた彼の型破りな性格を面白がってか。ともかくルシオの周囲には、なぜか人が集まりがちだった。
というわけで、食事をしているルシオに覆いかぶさるように、癖のある茶髪を持つ長身の少年が無遠慮に手を置いた。
「なあルシオぉ、聞いてくれよ! 兄さんが買ってきた『マナーのイロハ』って本がすげェつまんなかったんだよ」
「……シャックス・サーペンティ。つまらなくとも、貴様には必要だ。隅から隅までよく読むことだな」
ルシオは肩から少年ことシャックスの手を引き剥がしつつ「座るなら座れ」と椅子を示した。
大人しく座ったシャックスを一瞥し、ルシオはこの底抜けに明るい少年にほとほと疲れたというように溜息をついた。
「入学して初めて会ったときから思っていたのだが、貴様は本当にあの由緒正しい公爵家の人間なのか?」
シャックス・サーペンティ。
入学してすぐの頃、話し掛けられて知り合いになった連中のうちの一人だった。
呆れたようなルシオの言葉に、一緒のテーブルについていたイヅナは、その変化に乏しい顔に僅かに笑みを浮かべた。
「確かにシャックス様は、貴族の家門の方にしては親しみやすくいらっしゃいますね」
感心するようなイヅナの反応に、ルシオは視線を投げ掛けた。
「イヅナ。貴様、サーペンティ公爵家のことは知っているのか?」
「勿論です。貴族について疎い平民の私でさえ聞き及んでいるほどの名家ですから」
公爵家。
爵位の序列では、最も高い地位にある。
つまりサーペンティ公爵家は、この国の中で最も高貴な家門ということになる。わかりやすく言うと、王家の次に偉いということだ。
「そんな由緒正しきサーペンティ公爵家の次男がシャックス様、というわけですね」
イヅナの話に、ルシオは頷いた。
「そうだ。そんな名門で生まれ育ったというのに、こいつはなぜこうも騒々しいのだ?」
ルシオの散々な言いように、シャックスはげんなりとした顔をした。
「俺だって、ちゃんと気品溢れる貴族らしいところはあるぞ」
「ほう、例えば?」
訝しむルシオに、シャックスはポケットから白紙小切手を取り出した。
「金がある」
絶句したルシオの代わりに、イヅナが「お金と気品は関係があるんですか?」と首を傾げていた。
あまり反応がよろしくないと悟ったシャックスは、ならばと別の話をする。
「あと、たまに貴族向けのオークションに行く」
「貴族向けのオークション?」
ルシオとイヅナが声を揃えた。
二人が興味を示したことに、シャックスはぱっと顔を明るくした。
「そうそう。夜に開催されるんだけどな、マジでギラギラしてて凄いんだって」
あまりに抽象的でざっくりとした説明に、ルシオは二度目の溜息をついた。それに俄に慌てたシャックスは、続けて言う。
「色んなモンが出品されるんだ!」
「まあ、オークションだからな」
「で、値段も凄くてさ」
「まあ、オークションだからな」
「それで、競り落とすために戦うんだよ」
「まあ、オークションだからな」
どうにも、このシャックス・サーペンティという人物は自分の考えを相手に伝えることが苦手なようである。
シャックスは、どうすれば伝わるか、としばし逡巡し――「そうだ!」と声を上げた。
「ルシオ、イヅナ! おまえらも一度オークションに行けばいいんだ!」
「は?」
ルシオが上げた疑問の声を無視し、シャックスは続けた。
「今夜さ、オークションがあるんだよ。行こうぜ、三人でよォ。夕食後に門のところに集合な」
「おい、行くとは言ってないぞ」
シャックスはルシオよりも遥かに身分が高い立場にある。だからといって、気を遣い機嫌を取るようなルシオではない。
それにルシオは正直、シャックスは避けたい人間である。別に鬱陶しいからという理由ではない。これでいて、シャックスは生粋の貴族であるからだ。
ルシオの育ちは貴族ではない。使用人として生きてきたがゆえに、未だ貴族らしい振る舞いというのが板についていないのだ。だからこそ、生粋の貴族と行動を共にすれば、自身の育ちが貴族でないと露呈しかねないのだ。
「俺は行かん」
「どうしても欲しい物があるんだって。半年前にオークションに出たときに競り落とせなかったんだけど、また出るって聞いてさァ。助言してくれそうな奴がいたほうがいいんだよォ」
「だったらイヅナと二人で行け」
押し付けられたような形になったイヅナは、困惑したように首を振った。
「面倒事を私に押し付けないでください、ルシオ様」
「面倒事って言うな!」
シャックスがくわっと牙を剥いた。が、負けじとイヅナがシャックスに言う。
「そもそも、そのオークションは貴族向けなのでしょう? 平民の私は行けないのでは」
「俺の同行者なら問題ないって!」
「……」
断る口実がなくなってしまったイヅナは、シャックスの誘いを受けるより他なかった。
「よし、じゃあイヅナは行くってことで! あとはルシオだな!」
満足げに笑ったシャックスは、今度はルシオの方を向いた。
「おい、俺は断ったぞ」
と文句を垂れるルシオを無視し、シャックスは意気揚々と誘う。
「なあ、おまえって頭いいんだろ? ちょっと知恵貸してくれよォ」
「断る。だいたい、十を少しばかり超えたようなガキがオークション会場なんかに出入りして問題ないのか?」
「送迎に護衛をつけるから問題ない!」
公爵家の権力、恐るべし。
「あのな」
と、シャックスは続けた。
「知恵を貸してほしいって言ったのは、そのオークションで奇妙なことが起こるからなんだ」
「奇妙?」
なんともふんわりとした説明に、ルシオは首を傾げた。シャックス曰く。
「俺、一度も落札できたことがないんだよ」
とのこと。
「金があると自慢するほどの貴様がか?」
「ああ」
「オークション側が不正をしてるということか?」
「どうだろうなァ。偶然かもしれねェし」
ルシオは溜息を吐いた。
自分が折れなければ、この男は粘り続けるだろう。それに、この面倒な男をイヅナだけに押し付けるのも申し訳ない気がする。
それに何より、ほんの少しだけ、シャックスが言っていた『奇妙なこと』が気になった。
「……わかった、今回だけだ」
ルシオの言葉に、シャックスは飛び上がって喜んだ。




