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27話

 じめじめと湿気って、薄暗い空間。

 ここは何処かしら、と思案する必要はない。視界に入る情報からすぐにわかる。


 ここは、牢獄。


 ――なぜ、こんな場所に来たのだったかしら。


 独房から、がしゃり、と鎖の音が聞こえてくる。そちらの方へと目を向ければ。


 ――よく知った方が、冷たい石の床に座っていた。


 黄金色の髪は、埃ですっかりと艶がなくなっていて。

 整っていたはずの顔には、醜いアザや痛々しい傷が目立つ。

 ここまでやつれているというのに、その瞳だけは暗闇の中で爛々と光っていた。


 記憶の中にある彼は、もっと幼かった。

 いつの間にか大人の男になっていた彼に向けて、口を開こうとして。


「笑いたければ、笑うがいい」


 彼の方が先に、声を出した。

 光る瞳が、わたくしの方へと向けられて。

 ――思わず、身がすくんだ。


 この方は昔から。

 それこそ小さな頃から、他人を傷付けることだけはお上手だった。


 わたくしはなにも、王子様と結婚したいわけじゃない。

 恋愛小説のような情熱的な恋や愛がしたいわけでもない。

 ただ、傷付かないように生きたいだけ。


 それが難しいのだということを、幼心に知った。


 名門学校パブリック・スクールニュージェイドに入学した当日。

 配属されたフリューリンク寮の談話室で食後のハーブティーを啜っていると、一人の少年が転がり込んできた。

 彼の頬は見るも無惨に腫れ上がっていて、あまりにも痛々しかった。


「先生、殴られました!」


 と。

 彼はぱんぱんになった口元を懸命に動かして、談話室にいた寮監のリアトリス先生に訴えた。

 誰に、と問われると、こう言った。


「入学式にいたから、一年生です! 黄色っぽい、癖がある金髪の……。そうだ、貴族だと言っていました!」


 この学校は名門校なだけあり、貴族の家系が多い。

 とはいえ、そもそも王国全体の貴族自体が少ないために、多いといっても知れている。今年入学した純粋な貴族は十数人程度だったはず。

 そして今年入学される貴族の令息と息女の方々には、ひととおり社交界でお会いしたことがある。

 だからこそ――すぐにわかった。

 その特徴に合うのは、小さい頃にお会いしたきりだった彼だけだから。


「――ルシオさん。ルシオ・カイヤナイトさんですわ」


 リアトリス先生にお伝えすると、先生は談話室から出ていった。後になって、先生が彼に罰を与えたと耳にした。


 ――変わっていない、と思った。


 三つ子の魂百までとはいえ、お会いしてから何年も経った間に、少しはお優しくなられたのではないかと思ったのに。

 彼はいつまでも横暴で、傲慢で、暴力的。

 きっと彼が変わることは、決してないのだ、と。

 そう、確信した。


 数週間後、学校の食堂でルシオさんをお見かけした。

 ルシオさんは他人と関わるのがお嫌いで、社交界に出ていらっしゃらなかった。だから食堂で誰かと食事をしているとは思っていなかった。

 とにかくわたくしは、ルシオさんにお会いしたら言おうと思っていたことがあった。


「行動には気をつけてくださいまし」


 これ以上、ルシオさんによる被害者を出してはならない。

 そう感じていたから。


『俺たちの婚約はこれ以上続ける必要がない』


 ルシオさんは平気で人を傷付ける人なのだと、わかっていたから。


『まったく気に入らん。弱い犬ほどよく吠えるとは言うが、殴ってみればヒィヒィ言って』


 罪のない人がルシオさんに苦しめられるところは、見ていられない。

 そう痛感したから。


 ルシオさんに傷付けられるのは。

 わたくし一人だけで充分。


 ――そう思ったから。


 だけど、わたくしは知らなかったことがある。


 ――ルシオさんは、素直じゃないということだ。


『それは、私を助けるためなのです』


 ルシオさんには、わたくしが知らない顔があった。


『きっとルシオ様は、あなたに嫌われた方が、婚約の解消が円滑に進むとお思いになったのでしょう』


 ルシオさんは最初から、わたくしと結婚するつもりがなかった。それは。


『罪の意識があったのかと。ルシオ様、仰っていました。あなたはカイヤナイト家に『買われた』のだと。望まぬ結婚を強いるつもりはないのだと』


 ――わたくしの身を、案じて。


 わたくしが知らない、ルシオさん。

 理知的で、お優しくて。

 自分の身を顧みず、誰かのために動く。そんな方。

 わたしが知るルシオさんよりも。

 ――こちらのほうが素顔に近いのだと。

 そう、思った。


 わたくしは目の前の、すっかり気迫も美しさも消え失せて、見窄らしく煤けた、形だけの夫を見て。

 怖いと感じることは、もうなかった。


 ルシオさんがなぜ牢に入れられることになったのかは知らない。


 だけど、きっと。


 ――何かを救うために、自分を犠牲にしたのだろう。


「喜べ。死刑執行は明日だ。貴様が大嫌いな俺は、明日には死んでいる」


 そして今も、わたくしに蟠りを残さないために、あえて冷たい言葉を掛けてくる。


 彼のすべてを知っているわけではない。すべてを理解できるとも思っていない。だけど。


 優しいルシオさんのこと。

 冷たい言葉を掛けながら、内心きっと傷付いているのだろう、ということは容易く想像がついた。


 そして、墓場まで、たった一人ですべてを抱え込むつもりなのだ。


 その重荷を少しでも分けてくれないかと言いたくなるのは、わたくしの身勝手な思い上がりだろうか。


 だけど、このくらいは許してほしい。


 わたくしは牢の傍の壁にかけられていた鍵の束を手に取り。

 牢の錠に差し込んで、回した。


 ガシャン、と、解錠の音がして。


 キイ、と、牢の扉が開いた。


「貴様の助けなどいらん」


 ルシオさんが冷たく言い放ったから。


「あなたはきっと、誰の助けもいらないと言うのでしょう。あなたは意地っ張りだから」


 そう返した。

 ルシオさんは、知ったふうなことを、と鼻で笑った。


「貴様が俺を理解できる日は、永遠に来ない」


 ルシオさんが自虐するようにせせら笑ったから。


「あなたを理解できる人は、きっといないでしょう。あなたは誤解されやすいのに、弁明すらしないから」


 そう返した。


 わたくしは空いた牢の扉から、一歩、その湿気を帯びた暗い空間の中に足を踏み入れた。


「だけど、これだけは知っている。あなたが優しい人だということを」


 ――いつの間にか目の前のルシオさんは。


 かつてお会いした、ミケイルさんの姿になっていた。

 なぜかはわからない。きっと、ルシオさんの本性がお優しいミケイルさんに似ているのかもしれないと、無意識でそう感じたのだろう。そして。


 ――ああこれは夢なのだ、と。

 そう、思った。


 夢でもいい。

 これだけは言いたい。


 わたくしは、ミケイルさんのようなルシオさんの隣に腰を下ろした。かつて彼が、そうしてくれたように。


「あなたはわたくしを助けてくれた。だから」


 夢だからなのかもしれないが。

 ルシオ(ミケイル)さんの体温が感じられなくて、いつか消えてしまいそうな気がした。


 どうしても。

 繋ぎ止めたかった。


「いつかはわたくしが、あなたを助けたい」


 ルシオ(ミケイル)さんは。

 ほんの少しだけ、笑った。


□□□

 起床時間より少し早くに目が覚めた。

 部屋のカーテンを開ければ、新しい太陽の光が部屋に流れ込んできた。そのまま窓を開け、中庭を見下ろす。

 そこに、見知った金色の髪が見えた。


 目を覚ますために朝の散歩をしていたのだろうか。ルシオさんはぐっ、と伸びをして、そのまま大口を開けて欠伸をした。

 普段のルシオさんらしくなくて、思わず笑ってしまったところで目が合った。


 ルシオさんは、怒ったような、照れたような、そんな顔でそっぽを向き、そのまま立ち去っていった。


 そんなところが、可愛らしいとすら思えて。


 ――この言語化できない感情は、ルシオさんの足枷になる。


 だから今までどおり、政略結婚という契約上の婚約者でいよう。


 そう、思ったのだった。


 ――ヴィネアの手記より

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