26話
監禁されていた――というより籠城していた部屋から出たルシオは、彼方此方に寝転がっている男たちを目の当たりにすることになった。
「それで、警察は?」
そう問えば、アズリエルは気まずそうに視線を泳がせた。
「……いまヴィネア嬢に呼んでもらってるところだよ」
「ならば貴様ら二人だけで来たのか?」
「まあ、そうなるね」
アズリエルたちは人質だったはずのルシオの状態に困惑したわけだが、ルシオはルシオで彼らに呆れることとなった。
ふと、遠くからガラガラという馬車の音と、そして何頭もの馬の蹄の音が響いてきた。
「ほーら、来た」
アズリエルの一言で、ルシオたちは彼らの到着を待とうと玄関口を開けた。
そのとき。
キイ、と、扉が開く音がした。ルシオがいた部屋からだ。
何かと思って振り返ると。
シンドルだった。
そして近くに男がいる。アズリエルとイヅナが蹴散らした男のうちの一人だろう。
男の仕業か、シンドルの拘束は既に解かれていた。
シンドルが走った。
アズリエルは瞠目した。
「しまった!」
シンドルが走る先に、アズリエルとイヅナが室内に侵入したときに開け放った窓があった。
一行は駆け出す。
このままでは主犯を逃してしまう。
シンドルはそのまま窓から滑り出た。
「逃すかッ!」
扉からいち早く出たイヅナは、足止めしようとシンドルの足元を目掛け刀を投げつけた。しかしシンドルの前を狙ったつもりだったその刀は、足のすぐ横の地面に突き刺さっただけだった。
「外したッ!」
騎馬警官と、それを先導する馬車はもう目と鼻の先だ。
ほんの数秒足止めできれば、捕まえられるというのに。
もう駄目だ。
そう思った、そのとき。
ドカン!
と、シンドルの足元で何かが爆発した。
ぼうっ、と煙が周囲に立ち込め、シンドルは行手を阻まれる。そして。
「逃がしませんわ!」
という、ヴィネアの声が響いた。
見れば、馬車の窓からヴィネアが身を乗り出していた。何かを投げてシンドルを足止めしたらしい。
そして、後に続く騎馬警官に向けて声を張り上げた。
「彼が『ダミー会社』の社長です! 足止めされている今よ、捕まえてッ!」
すぐに騎馬が馬車を追い抜かし、間髪入れず警官たちが馬から降りてシンドルの方へと駆けつける。そして皆が、一斉にシンドルを押さえた。
立ち込めた煙が消えたときには、シンドルは拘束されていた。
□□□
「アズリエルさんが馬車に置いて行かれた荷物から、爆弾をいくつか頂戴いたしましたわ」
ヴィネアが手にしている爆弾を目にして、流石のルシオでも驚愕せずにはいられなかった。
「貴様、なぜ爆弾なんて持っているんだ!?」
がばりとアズリエルの方に振り返り尋ねれば、アズリエルに「趣味で作ったんだよね」と返された。
「逮捕されろ危険人物!」
ルシオは声を荒げた。普通建物に爆弾があれば避難せねばならぬものだが、ヴィンター寮には常時爆弾があったということになる。同じ寮で生活する身としてはたまったものではない。
さて、馬車に乗り込むと、イヅナがルシオに「ルシオ様。お怪我は」と声を掛けた。
「大丈夫だ」
とルシオは返す。だが隣に座るアズリエルが、馬車の室内につけられたカンテラの明かりでルシオを確認し、その頬が腫れ上がっていることに気付いた。
「ルシオくん、お顔が腫れちゃってる! 酷いことするね詐欺師も」
ルシオはなにも返答しなかった。
(これはあいつらのせいじゃないんだよなぁ)
とは、とても口には出せなかった。
これは、事件前にヴィネアに平手打ちされたときにできたものである。ヴィネアが気まずそうに目を逸らしていた。
それにしても、ヴィネアは自分のことを大いに嫌っているだろうに。それでもこうしてルシオの身を案じ来てくれたことに、ルシオは少なからず嬉しさを覚えていた。
ヴィネアだけではない。自分のせいで危機に巻き込み掛けたというのに、それでも助けに来てくれたイヅナ。
そして互いを敵だと認識しつつも、いざ危機が訪れれば誰よりも頼りになる、アズリエル。
「『おまえ』たちには、感謝しなければならないな」
ルシオは――本来の『ルシオ』の言い方を、ほんの少しだけ封じた。
自分の本来の姿――『ミケイル』として、彼らと話すことはできない。
それでも、ちゃんと伝えたかったからだ。
「――ありがとう」
悪役となってから、あまり他人と関わるつもりはなかった。だが。
いざというときに助けてくれる人間がいるというのも、悪くはない。
危うく、そう、思いそうになった。
(駄目だ)
自分は悪者だ。
自身の正義を貫くためとはいえ、すでにいくつかの悪事に手を染めた犯罪者だ。
(もう少し、距離を置かねば)
いつか、皆の運命を、良くない方向に書き換えてしまわないようにするために。
□□□
警察署。
事情聴取を終えたルシオが廊下に出ると、ヴィネアがいた。
「イヅナとアズリエルは?」
ヴィネアは首を振った。
「まだ聴取が終わってないんでしょう。建物に飛び込んでいったことにお叱りを受けているんだと思いますわ」
当然怒られるだろう。ただの学生がたったの二人で、凶悪犯がいる建物の中に突入したのだから。
「わたくしも爆弾を投げたこと、こっぴどく叱られましたもの」
ヴィネアもヴィネアで、大いに無茶をしている。普通に生きていれば、爆弾を触る機会など一生訪れないだろうに。
ルシオは深く溜息をついた。
「貴様ら全員、馬鹿だ」
「馬鹿でよかったですわ」
「は?」
ヴィネアから返ってきた答えに、ルシオは虚を突かれて目をしばたたいた。彼女から返ってきた答えは、こうだった。
「わたくしたちが馬鹿だったから、あなたを助けられた。そうでしょう?」
これには、ルシオは呆れるより他なかった。
呆れたのだが、なんとも嬉しいような、こそばゆいような。そんななんとも言えない気分になって、ルシオはヴィネアからふい、と目を逸らした。
「……本当に、馬鹿だ」
ヴィネアは微笑んだ。心配だったと仰ればいいのに、と。そう思った。
(素直でない人ね)
だけどきっと、素直でないのは自分も同じだ。
「あ、そうでしたわ。婚約破棄の書類のことですけれど」
ヴィネアが鞄から書類を取り出した。それを見つつ、ルシオは「ああ」と口を開く。
「オパール伯爵に話を……」
「ふふ」
突然、ヴィネアが微笑んだ。
そして。
ヴィネアは書類を。
ビリビリと、破いた。
「なっ!?」
唖然とするルシオをよそに、ヴィネアは愉快そうに笑った。
「意地悪なあなたには、一生婚約者なんてできなくてよ。だから、わたくしが婚約者のままでいて差し上げますわ」
ヴィネアは満足気にくるりと踵を返すと、「では、わたくしはお先に寮に戻ります」と立ち去っていった。
後には、呆気に取られ立ち尽くすルシオだけが、一人ぽつりと残された。




