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25話

「色々あったのだよ」


 人質だったはずのルシオは、いま逆に人質になり、覚えてろだの、拘束を解けだのと喚いているシンドル商団の社長に目を落とし、先の出来事を思い返した。


□□□

 小さな共同住宅フラット。閑静な住宅街の中にあるここが『ダミー会社』の本拠地らしい。


 ルシオは、助けてくれと叫ぼうかと考えた。だが、銃口を突き付けられたのでやめた。


 足首を縛るロープが解かれる。自力で歩け、ということらしい。

 ルシオは銃で脅されるままに室内に入り、廊下を進み、一室へと足を踏み入れることになった。

 特に何の変哲もない、至極一般的な応接室。ルシオは大きなソファに座るよう促される。脳天を撃ち抜かれてはたまったものではないので、大人しく従った。


 と、応接室のドアがキィと音を立てて開いた。入室してきたのは、見覚えがある男。シンドル商団の本社にいた社長だ。名はそのままシンドルだったか。


「お昼ぶりですね。さて、改めてお話をしましょう」


 シンドルはルシオの向かいの木の椅子に座り、足を組んでルシオを見下ろした。


「もうお気付きかもしれませんが、我々は詐欺集団です。あなたには我々の仲間になっていただきます」


「……拒否権はないというわけか」


 ルシオの呟きに、シンドルは「左様」と肯定した。


「あなたの手腕。恐れ入りました。我々はあなたのその頭脳が欲しい。……ルシオ・カイヤナイト君」


(名乗ってはいないはずだが、こちらの素性は知れているというわけか)


 まあ本名が『ルシオ・カイヤナイト』ではないので、素性という言葉が果たして正しいかは微妙であるが。


 ルシオのことを調べるルートは、いくらでもあるだろう。

 オパール伯爵家の関係者を探せば、必然的にカイヤナイト家の名は上がる。

 または、ここしばらくに渡りオパール伯爵に接触していた人物を調べたのかもしれない。


「我々に協力してくださるのなら、命の保証はいたします。危害も加えません」


 シンドルの言葉を聞き流しつつ、ルシオは周囲を窺った。

 部屋の中に、敵は二人。

 シンドルと、ルシオに銃を突きつけている男である。仮に二人から逃げられたところで、外にも人が配備されている気配がする。


(無傷で逃げるのは無理だ)


 ひとまずは、今すぐに殺されたりしないようシンドルの話を真面目に聞くふりをしておこう、とルシオは判断した。


「それに、あなたにとっても損はありませんよ。たくさんのお金が手に入りますからね」


「俺が金に困っているとでも?」


 淡々と発せられたルシオの言葉に、シンドルは目を大きく見開き、大袈裟に頭に手を当てて見せた。


「確かに……ッ! お貴族様にお金とか! 興味ありませんよね! では裏社会の権力とかはいかがでしょう!」


 裏社会の権力、と言われても、抽象的過ぎて正直反応に困るところである。察したのか、シンドルが説明を始めた。


「私たちの上には、元締め……要は、大きな組織があるのです!」


 元締め、つまりは犯罪者集団だろう。これは想定外だった。表情にこそ出さなかったが、ルシオは失敗したと思った。


(……俺、結構面倒なところに喧嘩を売っていたのだな)


 とはいえ、仮にも詐欺師が子供に騙された、なんて上に報告できるわけがない。そんなことをすれば、メンツが丸潰れだ。だからルシオの所業が犯罪者集団に知られることもないだろう。結果論としては助かった、といったところか。

 ルシオは、今度から喧嘩を売るときは相手をよく調べてからにしよう、と心に決めた。


「あなたならば、上の方々にもきっと気に入られます! そうなれば、裏の世界でのしあがれますよ!」


「……興味ない」


 ルシオは返しつつ、さてどうしようか、と思った。

 助けは来るだろうか。イヅナが無事に逃げおおせていれば、ルシオが誘拐された旨を伝えてくれていることだろう。


「イヅナは……」


 ルシオはイヅナのことを思い出したついでに口を開く。


「貴様らが危害を加えようとしていた黒髪の奴は、無事なんだろうな」


 ルシオがシンドルに訊けば、シンドルは一瞬呆気に取られたような顔をしたが、すぐにまた笑顔になった。


「ああ、部下からお聞きしています。目撃者を消そうとしたが失敗したと。ですがあれは部下の勝手な判断です、あなたのご友人に危害を加えようなどとんでもない!」


「……」


 急に黙ってしまったルシオに心配したのか、シンドルが「……君?」と声を掛けてきた。その途端。


 じわっ、とルシオの目に涙が溜まった。


「!?」


 シンドルは呆気に取られた。

 と、ルシオはふいと顔を背けた。泣き顔を見られたくないらしい。……端麗な顔立ちなだけあり、どこか儚げでつい見てしまうが。


「……俺のせいで、あいつを危険に巻き込み掛けた」


 ルシオの声は上擦っていた。シンドルは――おや、と思った。

 理知的で合理的な人物だと思ったのだが、やはりまだ子供らしい。


「だけど、俺はな」


 ルシオがぽつり、と話し出した。


「こうするより他なかったんだ。俺は、オパール伯爵家を復興させたかったんだ」


「オパール伯爵家を?」


 いきなり愚図りだしたルシオを宥めるように、シンドルが優しく問いかけた。


「ヴィネアはな。伯爵家が貧乏だから、無理矢理、俺と婚約させられたんだ。だから……解放したかった」


「あなたが、ヴィネア様を幸せにしてあげればいいではありませんか」


「……俺なんかが、できるわけないだろう」


 ルシオは堪えきれず頬に伝った涙を拭こうとした。が、縛られた手がそれを許さない。

 シンドルは「……お可哀想に」と漏らし、見かねてルシオの手のロープを取ってやった。


「それが、こんなことになるなんて。数少ない友達を危険な目に遭わせることになるし……」


 ルシオの苦悩を察し、シンドルは溜息をついた。この少年は、自分たちに目に物を見せてやろうとやったわけではない。止むに止まれぬ事情があったというわけだ。


「俺は、どうすればよかったんだ」


 今も顔を俯けているこの少年を見ると、流石に哀れだった。


「……おい、ガルディア」


 シンドルが、ルシオに銃を突きつけていた男に声を掛けると、男は反応を示した。


「ルシオ君に、温かい紅茶を」


 シンドルの命令に頷き、男は扉から立ち去っていった。


「ルシオ君……」


 と、言い振り向き掛けたシンドルは気が付いた。


 ――ソファに、ルシオの姿がないことに。


「――貴様、それでも本当に詐欺師か?」


 という声が上から降ってきて。

 シンドルが背後を振り返ろうとした、そのとき。


 シンドルの両手が掴まれた。


(しまった)


 と思う間も無く。


「駄目だろう、人質の拘束を解いては」


 シンドルの両手は、あっさりとロープで縛られた。

 それからルシオは先程退室していった男が戻ってこないよう、中から部屋の鍵を閉めた。


「知っているか? 誘拐事件の犯人はな、ときとして人質と共に過ごすうちに、人質に同情心を抱くという心理現象があるそうだ」


 とある世界の言葉で『リマ症候群』というのだが、これはまた別の話である。


 ルシオの目には、いまや涙一つなかった。先程の憂いなど嘘のように、冷ややかな笑みを浮かべてせせら笑っているのだ。


「演技だったのかッ! よくも嘘を、次から次へと!」


 シンドルが噛み付くと、ルシオはさらに楽しそうに笑った。


「嘘? 詐欺師相手に嘘などつくものか。すべて事実と本心だ。名優ほどの演技力があったとしても、本心からの反応には敵わん。そうだろう?」


「……!」


 演技は、本心からの反応に敵わない。いつぞやかの思考を読まれたようで、シンドルは心底ぞっとした。

 それと同時に。


(こいつ……!)


 腹が立ってきた。

 手を縛られていようが、脚は自由だ。シンドルが立ちあがろうとした、そのとき。


 ドン! と。

 ルシオは、シンドルを木の椅子ごと押し倒した。


「うわッ!」


 成す術なく、椅子もろとも地面に倒れたシンドル。こうなってはもう、立ち上がれまい。


「……くそッ」


 完全に身動きを封じられる結果となったシンドルは、悪態を吐いた。


 と、部屋の外が俄に騒がしくなった。


「助けが来たのか。では外の連中が片付くまで、部屋に籠っているとしよう」


 ぎゃあぎゃあと口喧しいシンドルをよそに、ルシオはソファに座り直すと、楽しそうに笑った。


□□□

「……話せば長くなるから、また今度ゆっくりと話そう」


 呆然としているアズリエルとイヅナに言い、ルシオは部屋を出た。


 アズリエルは、ルシオが詐欺集団の仲間――ないし、詐欺集団を手駒にしてしまうのではないかと懸念していたというのは前述のとおりだ。

 だがこの転がっている男を見る限り、それは杞憂だったらしい。


 アズリエルは胸を撫で下ろし、ルシオを追い部屋を出た。

誤字の修正を行いました。

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