24話
電報局付近。
治安が悪くない場所。
不動産登記があるのに、一度も入居者の募集が掛けられていない、小さめの共同住宅。
「ここか」
アズリエルは馬車から降りる。イヅナとヴィネアも後に続いた。
一見、なんてことはない共同住宅だ。
建物の塗装が一部剥がれ、植えられている植え込みは形が歪で崩れている。手入れは最低限といったところか。少なくとも、庭師や使用人を雇っているようには見えない。
それもここが『ダミー会社』の本拠地であることの裏付けになる。
塀に身を隠し、窓から様子を伺う。植え込みが目隠しになっていて邪魔だ。だがなんとなく雰囲気は察せる。
人がいた。住人だろうか、と目を凝らす。
アズリエルは、住人にしては不自然だ、と思った。同じ場所にただ突っ立っているからだ。
と、中から会話が聞こえてきた。
「ふわぁー……ッ」
「おい、気ィ緩めるな。万一警察が来たら、知らせなきゃなんねェんだから」
「貴族の子を攫ってきちゃったからだろ?」
――決定打だった。
「貴族の子……ルシオくんのことか」
彼らの推理は机上の空論ではあったものの、当たっていたらしい。
ともかく、確実にここにルシオがいることは確認できた。ならば、ここに警察を呼んでくるのが最も確実だ。
アズリエルはヴィネアに耳打ちした。
「ヴィネアちゃん。馬車に乗って、近くの交番に行って、ルシオくんのことを伝えてきて……」
「おい、そこにいるのは誰だ!」
アズリエルの言葉が終わらないうちに、警備係らしい男の声が聞こえた。
「まずい、気付かれた!」
アズリエルはヴィネアの背を軽く叩いた。
「ヴィネアちゃん! 早く!」
ヴィネアは急いで馬車へ向けて駆け出し、馬車に乗り込んだ。すぐに馬車が動き出す。
「おい、いるなら出てこい!」
さらに男の声が響く。
それから、会話が聞こえる。
「見間違いじゃねェのか?」
「いや、いた気がしたんだ。それに近くに馬車が止まったから……もう行っちまったが」
「だったら間違って止まっただけだろ」
「いや、念のため場所を変えた方がいいかもしんねェ」
これには、アズリエルは少なからず焦りを覚えた。
最悪なパターンは、警察が来る前に『ダミー会社』の連中がルシオを連れてここを去ること。
そうなれば、ルシオの居場所を見つけ出すのは困難になる。それだけは避けねばなるまい。
「ルシオくんを連れて逃げられたら厄介だ。僕は突入する。きみはどうする」
イヅナに向けて短く問い掛ける。自分が守ってやれるとも限らないので、自己責任の意味を込めて疑問系の形を取るが、答えはわかりきっている。
「勿論、私も行きます」
イヅナは刀を抜いた。先の木を切り倒した件で、刃こぼれが酷い。だが何も無いよりは遥かに良いだろう。
「アズリエル様。戦えるのですか」
「多少の格闘くらいはできるよ」
そういえば、とイヅナは思い出した。学校の門で警官に捕まりかけたアズリエルは、背負い投げをして引き剥がしていた。あれはイヅナの父の故郷である、東の国に伝わる柔術によく似ている。
アズリエルはポケットからナックルを出して装着した。
準備は、整った。
「くれぐれも無理は禁物だ。目標は犯人を捕らえることじゃない、ルシオくんを保護することだ」
もう隠れていても意味はない。
アズリエルとイヅナは塀の陰から飛び出した。
「行くよ!」
スパン、と。
イヅナが、窓を塞いでいた生垣に一閃。刃こぼれをしていても、細い枝くらいは斬れる。
戦いの火蓋が切られた。
ガシャン!
アズリエルは足で窓を割る。できた穴から手を突っ込み、窓の鍵を開錠して、大きく窓を開け放つ。
そこからアズリエルは中に飛び込んだ。続けてイヅナが滑り込んでくる。
窓が割れる音で、異変に気付いたらしい。何人もの警備担当らしき男たちが廊下に出てきていて、一室の扉を守るように立ち塞がっていた。
ガードがやたらと固いところを見るに。
「ルシオくんはそこで間違いなさそうだね!」
アズリエルは拳を握りしめた。
「敵襲だ!」
その合図と同時に、戦闘が開始した。
「それッ!」
ストレート、ジャブ、とワンツーパンチ。それからアッパーを一発。
アズリエルに顎を打たれ脳震盪を起こした男は、その場にダウンした。
「行かせねェよ!」
ヒュン、と。襲いかかってきた男の拳を、スウェイバックで躱す。
すぐにアズリエルはボディフックをお見舞いする。脇腹をやられた男はその場に倒れた。
アズリエルが好戦している一方で、イヅナは冷静に構えていた。
一人の銃を持った男がいる。イヅナはその男に真っ直ぐ駆け寄り、袈裟斬りをする。銃が叩き落とされた。
刃こぼれが酷く斬れない刀でも、この程度ならば容易い。
そのまま刀を向ければ、男は「ヒッ」と悲鳴を上げてその場に腰を抜かした。
「背中がガラ空きだッ!」
イヅナの背後で、男がナイフを振り上げた。イヅナはすぐに背後を振り返る――ことはなく、見向きもせずに刀の柄、その頭部分で男の腹を突いた。
男は呻きながらその場に倒れた。
完全に我流だが、倒せればなんでもいい。
「やるねぇ」
イヅナの戦いぶりを尻目に、アズリエルは男の襟を引っ掴んで前に倒し、足を払って蹴倒した。――払腰である。
「ボクシングに柔術ですか。多才ですね」
剣を振りながら訊ねてくるイヅナに、アズリエルは「余裕そうだね」と返した。
「これはバーティツだよ」
「バリツ?」
「バーティツ。ボクシングに柔術、ステッキ術……そういうものを全部詰め込んだ武術さ」
一人、また一人、と倒していく。
そして。
全部で十人程度だっただろうか。アズリエルとイヅナは、警備係が全員倒れたのを確認した。
それから息をつく間も無く、すぐにルシオがいると思われる扉を開けようとした。しかし。
「鍵が掛かってる」
アズリエルはイヅナに短く指示を飛ばす。
「せーので破るよ」
「了解」
アズリエルとイヅナは助走をつけた。
そして、思いっきり。
「せーのッ!」
体当たりを。
――しようとしたところ、突然ドアが開いて、二人は折り重なるように倒れ込むこととなった。
ドアを開けたのは。
「ルシオくん!」
「ルシオ様!」
穏やかに微笑んでいる、ルシオだった。
アズリエルとイヅナは困惑した。
「……ルシオくん、その後ろの、なに?」
アズリエルは、ルシオの背後にいる男を指差した。イヅナはその顔に見覚えがある。
「シンドル商団の社長さんではありませんか。どうして……」
イヅナは少し躊躇うようにしながらも、しかし見たままを口にした。
「……縛られているんです?」
そう、二人が目の当たりにしたのは。
犯人と人質の立ち位置が完全に逆になっている、理解を超えた状況だった。




