23話
イヅナは、ああやはり、と思った。
ヴィネアは、ルシオのことを冷酷で傲慢な人だと勘違いしている。
「……ヴィネア嬢。ルシオ様のことですが……」
イヅナの言葉が終わらないうちに、ヴィネアが遮るように声を重ねた。
「あなたはなぜ、ルシオさんと一緒にいるの?」
純粋な疑問、ではなかった。半ば『本当は一緒にいたくないんでしょう?』という、否定の響きが込められていた。
「あなたは、平民だと伺いました。取り入るならルシオさんより良い人は沢山いますわ」
「取り入るだなんて……」
最初にルシオに話し掛けた時こそ、色々な思いを抱きつつ、そういう下心があったのは否定できない。
だがいまでは、そんなものは微塵もない。
イヅナは以前、ある件でルシオに助けられたことがあった。感謝の念を抱いている。そして尊敬もしている。
ヴィネアは、
「あなたも、殴られたりしたの?」
と、そう訊いてきた。
――あなた『も』。
それは暗に、ルシオが同級生に手を上げた件についての誤解が解けていないことを示していた。
「そんなわけありません!」
つい、かっとなって、声を荒げてしまった。
肩をびくりと震わせたヴィネアに申し訳なく思いつつも、しかし意見を曲げるつもりは微塵もなかった。
「ヴィネア嬢。私は自分の意志でルシオ様のもとにいます。私は、彼ほどお優しい方を知りません」
いくぶん冷静に、しかしきっぱりと言い切った。
イヅナは、それに、と思い返した。
「ルシオ様は。ご自分が連れ去られる瞬間に、なんと仰ったと思います? 『来るな』ですよ」
ルシオは冷静に見えたが、しかしこの短い付き合いの中で聞いたことのない声だった。
「私に気付いた犯人を、ご自分の身も顧みず食い止めてくださった。それがなければ、私も無事では済まなかったでしょう」
ルシオは、イヅナを巻き込まんとしてくれた。いつも余裕のある姿しか見てこなかっただけに、いかに必死だったかがわかる。
イヅナは知っている、ルシオは誰よりも優しい人間であるということを。
それだけに、政略結婚とはいえ婚約者であるヴィネアが誤解をし、ルシオを恐ろしい人間だと信じて疑わない姿勢が歯痒かった。
ルシオがあえてヴィネアの誤解を放置しているのは、彼女のためを思い婚約を破棄するという目的のため。それは把握している。
そしてルシオから「話さなくていい」とも言われている。
イヅナが勝手なことをすれば、ルシオの意に反することになる。だが、それでも。
(――このままでは、ルシオ様が浮かばれないではないか)
そう、思って。
――イヅナは、話すことにした。
「ルシオ様が『問題児』扱いされるようになったきっかけをご存知ですか?」
先のヴィネアの受け応えから返答の内容は想像つく。ヴィネアは「ええ」と頷いた。
「ルシオさんが、ビッグさんに手を上げたからでしょう?」
「なぜ、ルシオ様が彼を叩いたのかは、知っています?」
「本人から聞きましたわ。『気に入らなかった』んですってね」
間違いではない。
しかしルシオは、一番重要なことを言っていないのだ。
だから、イヅナが言うことにした。
「私を助けるためなのです」
あのとき、イヅナはビッグという少年から殴打されていた。平民のくせに偉そうにしている、と。そんな、本当にどうしようもない理由で。
だからルシオは、イヅナを助けるためにビッグを殴りつけて止めさせたのだ。
そして、『貴様を庇ったわけではない』と。『気に入らなかったからだ』と言って、イヅナの礼を受け取らなかった。
「生憎、ビッグ・ブーリーが自分の行為を棚に上げて教師に報告してしまったため、ルシオ様だけが悪人に仕立て上げられることになりました」
ヴィネアは、――自分の知らないルシオの姿に思いを馳せた。
父は『一方聞いて沙汰するな』と、そう言った。
視野を広くしてみなければ、わからないことがあった。
「……ルシオさん。説明してくださればよかったのに」
「ルシオ様は、あなたに嫌われた方が、婚約の解消が円滑に進むとお思いになったのでしょう」
婚約解消。
ルシオからそう話をされたことを思い出して、ヴィネアは思索した。
「そうだ……ルシオさんは、どうして婚約解消なんて言い出したのかしら」
イヅナは、言おうか言うまいか、しばし思案した。言うことが果たしてルシオのためになるかと言われれば、それはわからない。
自分が言うことによって、ルシオが望まぬ結果になるやもしれぬということは、イヅナも承知していた。だが。
かといって、言わずに黙っていることが正しいとは、どうしても思えなかった。
ならば真実を知り、整理した上で蟠りなく和解したほうが良いのではないか、と思った。
だから、イヅナは口を開いた。
「罪の意識があったのかと。ルシオ様、仰っていました。あなたはカイヤナイト家に『買われた』のだと。望まぬ結婚を強いるつもりはないのだと」
ヴィネアは。
――ああ、と思った。
そうだとすれば。
ルシオは本当に善意で、オパール伯爵家の財政状況の回復に尽力してくれたのだ。
ヴィネアが、望んでいないであろう結婚に苦しめられることのないように。
だというのに、自分は何と言っただろう?
『わたくしと、おさらばしたかったからですのね』
と。
そう言った。
自己中心的な人間だと言って、非難した。
(自己中心的なのは、わたくしの方じゃないの)
そして、さらに――。
「……わたくし。わたくし、ルシオさんに手を上げてしまいました」
最低、と。
そう言って、思い切りルシオの頬を平手打ちした。
ヴィネアは、自分の震える手のひらを見つめた。心なしか、じんじんと、痛むような気がする。
その痛みを忘れぬようにと。
ヴィネアは拳を握りしめた。
「これじゃあ、わたくしも『問題児』じゃないですの」
イヅナはふと笑みを浮かべた。
ルシオとヴィネアは、もしかしたら似ているのかもしれない。
そう思った。
不動産会社からアズリエルが出てくるのが、馬車の窓から窺えた。
ほどなくしてアズリエルが御者に行き先を指示し、馬車の扉を開いて乗ってきた。
「それっぽい場所が見つかったよ。じゃあ、行こうか」
――ルシオの、ところへ。




