21話
飄々と笑いながら現れた人物に、イヅナとヴィネアは瞠目した。
イヅナは以前、その人物に会ったことがある。
「あなたは……ルシオ様の先輩の、ヴィンター寮の監督生!」
そういえば名前を知らないので、こういう呼び方になった。
変な呼び方をされたアズリエルは、なんとも言えない面持ちで自身の長い前髪を弄った。
「長いねぇ。アズリエルでいいよ、イヅナくん」
イヅナは、あれ、と思った。いつの間にかこちらの名前は把握されていたようだ。ルシオが自身の名を呼んだときに耳にしたのかもしれない。
一方で、ヴィネアとは知り合いだったらしい。
「きみとは社交界で何度か会ったことがあるね、ヴィネアちゃん」
「ご無沙汰してますわ、アズリエル公子」
アズリエルの家門であるスフェン家も、またヴィネアの家門であるオパール家も、爵位が同じで『伯爵』である。対等な立ち位置として、社交界では度々顔を合わせていた。
といっても、アズリエルはスフェン家の跡取り。ヴィネアは兄がおり、今のところ自身は男爵であるカイヤナイト家に嫁に行く予定であるために、いずれはアズリエルの方が立場は上になってしまうことだろう。
「公子なんて堅苦しい。アズリエルでいいよ。ルシオくんなんて、僕のこと『貴様』って呼んでるし」
これにはイヅナもヴィネアも失笑するより他なかった。
「それで、わたくしたちの話を聞いてましたの?」
ヴィネアが問うと、アズリエルが「うん」と頷いた。
「ルシオくんが攫われたって聞いて、居ても立っても居られなくてね」
と前置きした上で話し出した。
「それでイヅナくんが父さん……ああ、あの警察署長なんだけど、その人と話してるときから聞き耳を立ててたんだよ」
ヴィネアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「……わたくし、扉の前にいたのに気付きませんでしたわ」
アズリエルはスパイか何かか、と思った。あるいは、東の国に伝わる忍びの者の類かもしれない。
なんにせよ、すでに状況を把握しているならば話は早い。
「きみたちは、ルシオくんを攫ったのは詐欺をする悪徳会社だと思ったんだよね?
そして話しぶりからして、きみたちはその会社の本拠地を探していると」
話を戻されて、イヅナはそうだ、と思い出したように言った。
「アズリエル様。一度も入居者の募集がされていない小さな共同住宅、とおっしゃいましたよね?」
「考えてもみてよ。もし部屋を『ダミー会社』の本拠地として使って、詐欺集団が出入りしてたら、管理人が気付くでしょ」
共同住宅は、家主である管理人が各部屋を居住者に貸し出す。それと同時に、基本的に管理人もまた住み込みをしている。そのため管理人の目を盗んで悪事を、などというのは至難の業だ。
「だから共同住宅の管理人は『ダミー会社』のことを知る人物。つまり社長ないし職員。
それと管理人だけじゃない。他の入居者に勘付かれても面倒。だから他の入居者は入れない。『ダミー会社』の本拠地は、共同住宅まるまる一つ」
アズリエルの説明を聞いて、イヅナは「なるほど」と頷いた。要は『ダミー会社』の本拠地は、共同住宅の顔をしたオフィスビルということだ。
「だけどさ。『ダミー会社』が共同住宅をまるまる全部押さえようとしても、ちょうど管理者の席が空いていて、かつ共同住宅の部屋全部もちょうど空室になってるってことないでしょ」
そもそも、管理者の席が空いている、ということ自体がなかなかない。
経営していく中で管理者の引き継ぎはあるとしても、そのタイミングで入居者が誰もおらず部屋全部が空室になっている、ということはないだろう。
「つまり、管理者の席と、全部屋を押さえるためには、最初から入居者がいない状態……新築である必要がある」
そしてもう一つ。
「入居者の募集は、不動産会社を通して管理者が行う。でも『ダミー会社』の職員である管理者は、募集をかける必要がない」
すでに部屋は埋まっているのだから。
怪しまれないように募集を掛け、審査で落とす可能性もあるかもしれないが、募集を掛ける時に新聞の広告欄なり看板なりに住所が載ることとなる。『ダミー会社』としては、そのようなリスクを犯したくはないはずだ。
それに万一、入居希望者が部屋の見学にでも来ようものなら面倒極まりない。
「つまり『ダミー会社』本拠地で使われてる建物は、一度も入居者募集をしたことがないってこと」
それに、とアズリエルはヴィネアを指差した。
「ヴィネアちゃん、言ってたよね。『大きな家は維持が大変』、『でも使用人を雇うのはリスクがある』って。だから建物は自分たちで管理できるくらいの手狭なもの」
だから、とアズリエルは纏めた。
「ロンデールの不動産会社に連絡して、電報局付近で、治安が悪くない場所にある、不動産登記があるのに一度も入居者募集が掛けられていない、小さめの共同住宅を探せばいい」
そう考えると、結構限定されそうだ。希望が見えてきた気がした。
「では、警察の方に話をしに行きましょう」
ヴィネアはそう言って足を踏み出した。が、アズリエルは待ったをかけた。
「いくら説得しても、警察は信じてくれないよ? 詐欺師は誘拐なんてしないと思ってるんだもん」
そういえばそうだった、と思い出した。既にイヅナが警察署長に伝え、否定されたではないか。
イヅナはダメ元でアズリエルに問い掛ける。
「アズリエル様から、警察署長に話をしていただけませんか?」
しかしアズリエルは首を振った。
「無理無理。父さん、僕と違って頭固いから。それに、僕たちが言ってることももっともらしいけど、机上の空論でしょ。確証がないと警察は動かない」
「ですが……!」
必死に食い下がるイヅナに、アズリエルはふわりと笑った。
「何もしないより、少しでも可能性がある方に賭けた方がいい。そうだよね」
アズリエルは、イヅナとヴィネアとは別の理由でルシオを見つけ出したい理由があった。
イヅナは、ルシオが攫われた理由は『ダミー会社からの報復』だと思っていた。対し、スフェン警察署長はそれに対して『詐欺師はそんな金にならないことはしない』と判断した。
アズリエルは、誘拐犯は『ダミー会社』だと思いつつも、父の警察署長に同意である。詐欺師が報復のために誘拐などしないだろう。
では、『ダミー会社』は何のためにルシオを誘拐したのか。
――『スカウト』である。
『ダミー会社』は気付いたのだ。
ルシオが、並外れた頭脳を持っていることに。
アズリエルはルシオと『ダミー会社』の間に具体的にどのようなトラブルがあったかは知らない。だが、何をしたのかは概ね予想がついた。
ルシオの本性は、知っている。
法で裁けない人間に。
あるいは、裁いたとしても罪が軽くなる人間に。
濡れ衣を着せて成敗する。
ルシオは、そんな義賊気取りの悪人なのだ。
正直なところ、ルシオが詐欺集団の仲間になるとは思えない。
だがルシオが、その詐欺集団を『自分の駒にしようとしていたとしたら』――?
そうなる前に、ルシオを確保せねばなるまい。
だからこそアズリエルはヴィネアたちの様子を窺い、彼らが一生懸命に考えた推理を聞いて、そして声を掛けたのだ。
「警察が動いてくれないならさ……僕たちでルシオくんを見つけ出せばいいじゃない」
□□□
一方、ルシオは。
(……馬車が止まった)
頭に袋を被せられ、周囲の様子を伺えない中で、身じろぎをしてなんとか上半身を起こした。
と、頭の袋が取り外された。
自分は馬車の荷台に、荷物のように転がされていたらしい。もう陽が翳り、光源は荷台の隙間から差し込んでくるガス灯らしき光のみだったが、目隠しをされていたルシオは眩しそうに目を細めた。
「手荒な送迎、申し訳なかった」
袋を取った男が、ルシオを覗き込みながら声を掛けた。
「これから、仲間になってもらおうっていうのに……」
(仲間?)
その一言で、ルシオは察した。
自分が、連れてこられたのは。
(『ダミー会社』に、スカウトするためか……!)




