20話
イヅナは狼狽した。
目の前で、ルシオが連れ去られた。
イヅナは例え敵わなかったとしても、飛び出すつもりだった。例え自身が手負いになろうとも、ルシオを助け出そうと試みるつもりだった。
しかしそんな彼にルシオは言ったのだ、『来るな』と。
ルシオはわかっていたのだろう、イヅナが無茶をするだろうということが。
イヅナは校舎内に飛び込んだ。
こうなれば、助けを求めるのが最善である。しかし。
「くそッ……教師は誰もいないのか!?」
珍しく悪態が口から漏れ出る。放課後で人もまばらな校内に、学生はいても教師はすぐに見つからなかった。
と、そのとき。
「イヅナさんじゃありませんの。そんなに慌ててどうさなったのです?」
振り返れば、ヴィネアがそこにいた。その隣には女教師が。
一筋の光明。イヅナは堰を切ったように話し出した。
「ルシオ様が! ルシオ様が、誘拐されました!!」
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学校の敷地内での誘拐事件ということで、学校の門が閉められ、敷地内は警官が配備され厳重な警備体制が取られた。
そして生徒も敷地外への外出は禁止となった。
ロンデール警察の署長スフェンから事情を聴取されることになったイヅナは警察署――ではなく、学校内にいた。現場が学校だということで、迅速に動くための措置なのだそうだ。
「犯人に心当たりがあって」
イヅナがスフェン署長に告げると、署長は眉を寄せた。
「顔が見えなかったんじゃなかったのかい?」
「ええ。ですが少し前に、ルシオ様は詐欺をしていると思われる『ダミー会社』とトラブルがあったんです」
詐欺だの『ダミー会社』だのと警察でも把握していないことが飛び出し、スフェン署長はやれやれと首を振った。
「……その件は別途詳しく知りたいところだが」
「後日オパール伯爵家経由で弁護士に相談するそうですので」
しかしどうにも腑に落ちない、と署長は考え込んだ。
「だが詐欺師だったら、誘拐はしないだろう」
「ですが、報復とかケジメとか……」
「知能犯がそんな無意味で金にならんことはせんよ。小説の読みすぎだ、君」
スフェン署長は諭すように言った。
長年警察をやってきて、多くの事件を見てきた。犯人の傾向は読める。スフェン署長は確信を持っていた。
誘拐をやらかすような奴らは、詐欺師のように慎重ではない。金に貪欲な点は変わらぬが、奴らはもっと大胆だ。
「それにルシオ君は裕福な貴族だ。身代金目的の誘拐と見て間違いない。じきに犯人からの要求が来るさ」
ひとしきり話が終わり部屋から出たイヅナは、深く溜息を吐いた。
「あの『ダミー会社』が怪しいですわ」
声がしたかと思うと、ヴィネアがいた。部屋の外でイヅナを待っていたらしい。
「同感です。お伝えはしましたが……」
「信じてもらえなかったのね」
イヅナは力無く肯定した。
「はい。念のため、先日行ったシンドル商団の住所は警察の方にお伝えしたのですが」
「そこにはいないでしょうね」
あそこはあくまでも表向きの本社だ。そんな足がつくようなところに、誘拐した人間を隠すはずがない。
「いるとすれば……」
イヅナはふと、以前シンドル商団の本社を訪れたときにルシオが言っていた、『本拠地はここではない』という言葉を思い出した。
「……本拠地、かもしれませんね」
だが、イヅナもヴィネアも本拠地の場所は知らない。ルシオも言っていた、『誰でも調べられる会社情報に、証拠となるものがたくさんある根城の住所を書くか?』と。調べても本拠地の場所はわからないということだ。
本拠地の場所を知る手立ては、ない。
「ルシオ様なら、どう考えるでしょう」
イヅナの呟きに、ヴィネアはふとルシオの『例えば貴様が悪の会社の親玉だったら』という例え話を思い出した。
「……もしわたくしたちが、悪の会社の親玉だったとしたら?」
――そう、それだ。
犯人の目線に立って考えれば。
「本拠地をどこに置きます?」
ヴィネアが言わんとしていることに気付き、イヅナははっとした。
「……悪の本拠地というと、人目につきにくくアクセスしにくい場所を想像しますが。私であれば、本社と行き来することを考え、本社から遠すぎない、あるいは交通の便が良いところに置きます」
「そうですわね。そうなると、ロンデール周辺かしら」
「それから、本社に向けて電報がすぐ送信できるように、電報局の近くに置きます」
電報の受け取りに関しては、電報局から各々の住居に配達される。
しかし電報を送信するには、電報局に出向いて打つ必要があるのだ。
「あとわたくしでしたら、治安の悪いところには起きませんわ。扱っているであろう多額の金が盗難される恐れがありますから」
ヴィネアの発言にイヅナは納得した。
「ロンデールの裏通りや貧民街は除外ですね。……オフィスを構えていたりするでしょうか。そうだとすればオフィス街なども考えられますが」
イヅナの発言をヴィネアは否定した。
「表向きの本社でない以上は社名を出さないでしょうし、社名を出さないオフィスがあれば怪しまれますわ。
わたくしだったら、個人名義で契約した家を本拠地にしてしまいます。会社らしくないので、カモフラージュしやすいですし」
なるほど、確かに家の方が良いかもしれない。イヅナは『ダミー会社』として利用している家を想像した。
「数人で業務をすることも考えて、それなりの広さがある家でしょうか」
しかしヴィネアは反論した。
「広い家には庭もありますし、管理が大変ですわ。使用人がいないと、すぐに荒れてしまいますのよ」
「確かに、使用人の少ないオパール伯爵家の邸や庭は荒れて……」
「黙らっしゃい。……ですがそういうこと。でも『ダミー会社』が使用人を雇うことは、リスクの面からしてないと思いますわ。だから本拠地は、広い家ではないでしょう。
となると共同住宅かしら」
共同住宅。アパートメント、などと呼ぶ国もある。一戸建てではなく、一つの建物に数世帯の入居者が入る形式だ。規模も、二世帯分程度の小さなものから大きなものまで様々だ。
「なるほど。共同住宅ならば大抵庭がありませんし、使用人も雇わなくていいでしょう」
本拠地が、あらかた推測できた。ヴィネアは纏める。
「つまり。ロンデール周辺で、電報局付近で、治安が悪くない場所にある共同住宅」
その言葉に、イヅナは押し黙ることとなった。
たくさん該当しそうだ。
もう少し絞りたいが、二人に推測できるのはここまでだった。だが。
「それから、一度も入居者の募集がされていない、小さな共同住宅かな」
長い前髪の、赤髪。
頬にそばかすがある。
痩せ型の長身に、私服のインバネスコートを纏っている。
――アズリエルだった。




