2話
首都郊外。
顔を覗かせたばかりの陽が、走行する機関車を照射していた。
早朝のためか、車内の客は疎だ。そのためルシオが座ると、ボックス席を一つ占領するような格好になってしまった。
ルシオは窓枠に頬杖をつき、物思いに耽る。
――この世界は、小説の中の世界。
自分は前世で、その小説を読んだ。
そして今世、小説の登場人物として転生した。
そう主張する者がいるとすれば、誰もが精神科を勧めるであろう。ルシオだってそうする。
しかしいざ自身の身に起きたとなれば、自分が何らかの精神的疾患を抱えているわけではない限り、その突飛な説以外の説明がつかなかった。
先のタウンハウスの襲撃以降、本の内容を思い出せていない。
だが必要な時が来れば、その時のように記憶が蘇ることだろう。
そう思いつつ、ルシオは窓の外に視線を走らせた。
(学校まではまだかかる……か)
車内販売のワゴンが通り掛かったので、ルシオは「一部くれ」と新聞を購入した。首都ロンデールを中心に、国内外の情報を取り扱う労働者階級向けの大衆紙。『デイリー・ロンド』だ。
開けば早速、『首都郊外で貴族のタウンハウス全焼』というセンセーショナルな記事がお目見えした。
『昨夜、首都郊外にてカイヤナイト男爵のタウンハウスが全焼した。通行人が発見。死者数名。
出火原因はオイル・ランプの転倒とみられる。
なおカイヤナイト領に滞在している男爵夫妻は無事。嫡男は不在だったため難を逃れた』
昨夜の火災は無事に『事故』ということになった。放火の件は誤魔化せたらしい。
ついでに、暴漢による襲撃の件は闇に葬られることになった。暴漢らの遺体も、タウンハウスと共に燃えて消えたことだろう。
(あとは『ルシオが入れ替わった』ということを隠し通せばいい)
『ルシオ』は社交界に顔を出さなかった。横暴で気難しいために、社交界という場に適していなかった――正確には面倒だから出たくないと駄々をこねたためだった。
そして教育に関しても、小学校には通わず家庭教師をつけていた。
そのため幸い社会に『ルシオ』の顔を知る者はいない。それらしく振る舞えば良いだけだ。
(傲慢に振る舞おう。それで『ルシオ』様らしくなるはずだ、多分)
大いに嫌われるだろうが、致し方あるまい。むしろ周囲に人がいない方が、『ルシオ』が成り代わったことに気付かれる可能性が低くなる。
それにルシオは貴族詐称に放火と、複数の悪行を働いた。犯罪に手を染めた以上は誰かと関わらぬ方が良い。
列車が止まった。途中で経過する停車駅だ。
と、ルシオより歳上らしい赤毛の少年が乗車してきた。ルシオと同じ制服を着用していた。
少年もまたルシオの制服に気付き、つかつかと歩み寄ってきた。
「やあ。後輩くんかな?」
少年はボックス席のルシオの正面に座ると、手を差し出した。
「アズリエルだ。これでもスフェン伯爵家の跡取り息子だよ。ちなみに父は警察署長」
ルシオは彼の手を握った。
「ルシオ・カイヤナイトだ」
その名に聞き覚えがあったのか、アズリエルは目を見開き、ルシオの手中の新聞を一瞥した。
「カイヤナイトって……昨夜火災があった?」
「ああ」
「きみ、ちょうど留守だったんだって? 助かってよかったねぇ」
アズリエルはそう言って、ルシオの服と鞄に目を走らせた。
「制服と荷物は燃えなかったんだ」
ルシオは僅かに目を細めた。
(このアズリエルという男。隠しもせず真正面から探りを入れてきた)
まあ、遠回しに詮索されるよりマシだ。
火災の件は『放火』だと思われてはならない。
それは『誰が』『何故そんなことを』という疑問を生む。ひいては『本物のルシオを始末し、第三者がルシオに成りすますため』という真相に辿り着いてしまうかもわからない。
「夜行列車で学校に向かう予定だったのだ。名門校の入学式に遅れてはならぬからな」
ルシオの発言にアズリエルは首を傾げた。
「この列車は夜行列車じゃないよ?」
「結局、夜行列車には乗りそびれてな。だから駅の近くの宿に泊まった。昨夜、火災の連絡もそこで受けた」
ルシオの返答にアズリエルは納得したようで、そばかすのある自身の頬に手を当てて次の質問をした。
「ところでさ、ルシオくん。死者複数って聞いたけど、亡くなったのは使用人たちかな。お葬式はどうするんだい?」
「まるで尋問だな」
ルシオは眉を寄せた。不快感でというより、ボロを出さぬようにという緊張感によるものといえよう。
「葬式は両親に任せるつもりだ。もう電報を送ってある」
というのは建前で、これは事態の収拾にタウンハウスに来るであろう男爵夫妻と顔を合わせないようにするためだ。
いくら外見の特徴が似ているとはいえ、流石に本来の『ルシオ』本人の親を前にすれば、自分が『ルシオ』を騙る偽物だと露呈してしまうと判断してのことだった。
(これから通うことになる学校が全寮制学校だということにも救われたな。しばらくは男爵夫妻と顔を合わせずに済む)
アズリエルは「それにしても」と言いながら、自身の長い前髪を手で弄った。
「使用人はなんで全員死んじゃったんだろう」
その言葉の意味するところを、ルシオは推測した。
(つまるところ、この男が言いたいのはこうだ)
火災の通報をしたのが使用人ではなく通行人だったということは、逃げ延びて消防署に駆け込めた使用人がいなかったということ。
だが数人もいれば、うち一人くらいは火災に気付き逃げ延びていてもいい――という意味だ。
「身動きが取れない理由があったんじゃないかって、僕は思うんだよね」
そう言ったアズリエルは、金色の目を細めて微笑んだ。
ルシオの脳内で警鐘が鳴る。
(――この男、馬鹿じゃない)
実際に、火事のときには既に使用人たちは暴漢に殺害されており、そして暴漢らもまたルシオに倒された後だったため、身動きの取りようがなかった。
使用人たちの死は、別にルシオのせいではない。暴漢については、ルシオが死に追いやったのは事実だが、正当防衛なので許してほしい。
だがこの件が発覚すれば、殺人どうこう以外の重大な問題が表面化する。
それは『全員死んでいたのに、なぜ燭台が転倒したのか』という疑問が生じるということだ。もしアズリエルが『本当は事故ではなく、誰かが火をつけたのではないか』という結論を出せば面倒だ。
だからルシオは、ミスリードする方が得策だと考えた。
「室内に一酸化炭素が充満していたのだろう。そして全員が倒れ、その拍子に燭台が転倒し、タウンハウスに火が回った――といったところか」
換気が適切に行われていない場で炎を扱うと、酸素が不足して一酸化炭素が発生する。もとよりオイル・ランプや暖炉がある室内は発生しやすい環境といえよう。
一酸化炭素は毒素が強く、死に至ることさえある。吸った人間が倒れても不思議はない。
「ふうん」
筋は通っているな、とアズリエルは思った。だが。
(――ブラフだね)
そう、確信していた。
ルシオは夜行列車で学校に向かおうとしたらしいが、そもそもその必要はない。早朝の列車に乗れば、入学式には普通に間に合う。
だからこう思った。
(ルシオくんは、火災の時刻に現場にいないことにする必要があったんだ)
そしてこう結論付けた。
(火災と、それから使用人の死の原因を作ったのは、一人難を免れたルシオくん。彼はアリバイを作りたいがために、外出していたことにしたいんだ)
しかし、ルシオの発言を切り崩すことは不可能だった。これがルシオ一人で考えた言い訳だとすれば、賞賛に値する。ルシオは頭が切れるタチらしい。
アズリエルは、ルシオを初めて目にした時こそ彼を天使のようだと思った。
黄金色に波打つ髪に、比類なき秀麗な顔。特筆すべきは、恒星の如き光を爛々と湛えた瞳。
こんなにも強烈な印象を抱かせる人間が存在し得るのかと感じた。
だが、話をしてわかった。天使などとんでもない。このルシオという男は。
(悪魔にもなれる男だ)
そう、思った。
汽笛が鳴り列車が止まった。
アズリエルは立ち上がり、ルシオの方に顔を向けた。
「着いたよ。ニュージェイド学校だ」
駅は学校に隣接されており、目的地までは歩いてすぐだった。
校門付近で、アズリエルは大きな建物を指差した。寮らしい。
「荷物を置いてくるから待ってて。それと、その荷物も預かるよ。まだ時間があるし、その辺を案内しよう」
実際のところ入学式までは時間があった。断りたいところではあったが、その口実がない。ルシオは渋々頷いた。
荷物を預かったアズリエルは、ルシオに背を向けた。そして浮かべていた柔和な笑みを深くした。
もしもだ。もし、ルシオに何らかの隠し事があるとすれば。
「必ず暴いてやるさ」
□□□
『アズリエル・スフェンは、よく頭の切れる男だった。
癖の強いこの変人は、探偵役としてはこれ以上ないほどに適任であった。
この男の宿敵が務まるのは、黒幕ルシオ・カイヤナイトただ一人である。』
――という、前世で読んだ小説の一節が頭に浮かんだ。
(……思い出した)
この記憶が呼び起こされたのは、恐らくアズリエルの姿を目にしたためと、そして。
(あの男。俺が放火犯だと確信してやがる)
そう、感じたためだろう。
さらに言えば、やってもいない使用人の殺害についても疑っているかもしれない。
こうなった以上、先の一件を無理矢理『事故』とする方がリスキーだ。どうするか考えねば。




