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18話

 社内の玄関口で、コンコン、と音が響く。何者かがドア・ノッカーを使用したらしい。

 それから玄関が開き、同時にカラカラと来客を告げるベルが鳴った。


 今日は一件、顧客との打ち合わせが入っていた。贔屓にしてもらっているオパール伯爵である。

 シンドル商団の社長は急いで駆け付けると頭を下げた。


「ようこそお越しくださいました」


 しかし顔を上げてみればその場にいるのは、十を少し越えたばかりの少年少女のみ。オパール伯爵ではない。

 これから大切な打ち合わせがあるというのに子供なぞに邪魔されてはいかん、追い払わねばと、柔かな笑みを浮かべたまま首を傾げた。


「あの、失礼ながら、アポイントが無いようでしたらお帰りいただいても……」


 と、少女がその言葉を遮った。


「失礼ですわね。アポイントならばオパール伯爵の名で取ってありますわ。ヴィネア・オパールと申します」


 これは少々予想外であった。慌てて「失礼いたしました」と頭を下げた。確かに、オパール伯爵を調べたときに娘がいるという情報があった。


「それで、その……オパール伯爵は」


「わたくしが代理ですわ」


「そうでしたか!」


 ヴィネアと名乗るこのオパール家の令嬢は、後方に控えている二人の少年を示して付け加えた。


「それと、彼らはわたくしの……しもべです」


 うち片方、金髪の少年は、しもべ、とよくわからないことを言われたことに複雑な気分になったらしい。


「あんまり付き添いのことを『しもべ』とは言わんよな、侍従とかならともかくだが」


 隣の黒髪の少年にそう囁いていた。

 社長は最初こそ子供じゃないか、と思った。だが、逆に好都合だ。


(子供というものは、疑うことすら知らない。私のペースでやらせてもらおう)


「ご挨拶が遅れました。私、このシンドル商団の社長、アナク・シンドルと申します」


 ――まあ偽名だがな、と心の中で付け加えた。

 もっとも、彼らがそれを知ることなど一生ないだろう。なにせ仮に不審に思われ調べられたとしても、この偽名にはちゃんと戸籍があるのだから。まあ、それはまた別の話だ。


 シンドルは三人を応接室まで通すと、腰を落ち着けた。


 早速、ヴィネアは切り出した。


「要件は父から伺っています。出資のことでご相談があって参りましたの」


 ――出資。

 カモが、さらに金を出してくれるということだろうか。

 シンドルは大袈裟に驚いてみせ、感激を装った。


「出資してくださるんですか!?」


「ええ」


 ヴィネアはにこりと微笑んだ。こてん、と首を傾げたときに、銀色に見える白金の髪が無垢な顔にふわりとかかった。


 ――ああ、なんて最高の。

 カモの、雛だ。


 それもそのはずだ。あの人が良く、騙されやすいオパール伯爵の血を継いでいるのだ。

 オパール伯爵はたくさんの金を出資してくれた。今もまだ騙されていることにすら気付かず、いつか配当金がもらえるものと信じて疑わない。

 その上に、さらに出資をしてくれようとするとは。


「感謝しても、しきれません!」


 これは、本心だ。

 名優ばりの演技で感情を装ったとしても、結局のところ本心による反応ほどそれらしく見えるものはないのだ。

 シンドルの反応にヴィネアはすっかりと気を許し、声のトーンを落として囁いた。


「……ここだけの話なのですが、我がオパール家は家計が火の車なのです。どのみち崩れるのならば、最後にあなたの会社にすべてを賭けたいと思いまして」


(オパール伯爵家の家計が火の車となった原因は、我がシンドル商団なのだがな)


 その元凶に愚かにも希望を抱き、悪を悪だと気付かずに。

 オパール伯爵家は、最後の最後まで金を出してくれるらしい。

 疑うことを知らぬとは、なんとも恐ろしいものだ。


 ヴィネアは封筒から書類を取り出した。


「我が伯爵家がロンデール銀行に預けてある、全財産をお譲りしましょう」


『金銭贈与契約書』


 ヴィネアが取り出した書類には、こう書かれていた。


『第1条(贈与)

甲は乙に対し、金5000万ロンドを贈与し、乙はこれを受領する。


第2条(方法・期限)

本贈与金は、ロンデール銀行を通じてやりとりするものとし、甲は25日までに乙への送金を完了する。


第3条(契約の不可撤回性)

本契約は、いかなる理由があっても破棄または撤回することはできない。


以上、本契約締結の証として、本書2通を作成し、甲乙それぞれ署名押印の上、各1通を保有する。』


 シンドルは、目を見開いた。

 書類には、5000万モンドという文字が踊っている。これがオパール伯爵家の全財産。


(5000万!?)


 それだけあれば、平民一個人が20年暮らすのに充分な額である。それなりに良い家だって建てられる。

 だというのにオパール伯爵家は、これで家計が危ういと言うのだ。


(こんなにあって火の車だってのか!? やっぱり貴族ってのは規模が違うぜ)


 まあ、オパール伯爵家はこれにて一文無しとなるわけなのだが。


「よろしいのですね?」


 この金を逃すわけにはいかないと気が急いでいるが、はやる気持ちを抑えてシンドルはヴィネアに確認を取った。

 ヴィネアは「ええ」と笑い掛け、書類の署名欄をとんとんと指で叩いた。


「では、こちらの契約書にサインを」


 シンドルはいそいそとサインをした。

 それから書類を受け取ると、ヴィネアはひとしきり目を通して確認してから、控えていた金髪の少年に書類を渡した。少年も確認を終え「問題ない」と書類をヴィネアに返す。

 二重チェックを終えた書類は、ヴィネアが封筒に戻した。


「確かにいただきましたわ。では後日、楽しみにお待ちください」


 シンドルはにこにこと人の良い笑みを浮かべながら少年少女らを見送った。


 玄関口から彼らの姿がなくなったところで。

 シンドルは耐えきれなくなり、「ぶはっ」と下品に噴き出した。


「こいつは傑作だ!」


 オパール伯爵家は、最後の一滴までシンドル商団が――この私が、吸い尽くした。

 シンドルは悦に浸り、品のない笑いを浮かべた。


 そしてシンドルは、金が入金されるその日を心待ちにした。


□□□

 数日後。

 いつぞやかのように、シンドル商団の本社の玄関口でコンコンとドアが叩かれ、そして来客を伝えるドアベルが鳴った。


「ロンデール銀行の者です」


 シンドル商団の本社を訪ねてきたのは、ロンデール銀行の職員であった。

 となれば考えられるのは、先日のオパール伯爵家の一件しかあるまい。


 オパール伯爵家の令嬢ヴィネアは、『伯爵家がロンデール銀行に預けてある全財産を譲る』と、そう言って、契約書にサインを求めたのだ。


 振り込みではなく、直接金を持ってきたとでもいうのだろうか?

 もしくは大金なだけに、他にも手続きがあっただろうか。


 銀行員は書類を取り出した。


「5000万モンド、お支払いください」


(――なんだ、取り立てか? 借金なんてあったか?)


 それも、大金。

 シンドルは身に覚えのない借金の知らせに首を捻った。


「すぐには用意できん! 今日は帰れ!」


 シンドルは銀行員を追い返した。扉が閉まるときにドアのベルがカランカランと鳴るのが耳障りで、余計に怒りと混乱が募る。

 それが鳴り止んだとき――はっ、とした。


(5000万? 待てよ、この金額、どこかで)


 あのオパール伯爵家の令嬢ヴィネアが提案してきた件。彼女が提示した金額がこの額だったではないか?


「――書類はよく確認した方が良い」


「!」


 不意に聞こえてきた声に、シンドルはびくりと肩を震わせ振り返った。――銀行員を追い返すために扉を開けたときに入ってきたのだろうか、いつの間にか部屋の中に子供がいた。

 癖のある金髪の、少年。

 見覚えがある。


「……お、おまえは、オパール伯爵家の娘の……ッ」


 少年は書類を取り出した。

 そして、とある一点を指差す。


『甲(シンドル商団)と乙(オパール伯爵家)は、以下のとおり金銭贈与契約を締結する。』


 ――そう。


『第1条(贈与)

甲は乙に対し、金5000万ロンドを贈与し、乙はこれを受領する。』


 ということは、つまり。


 ――『シンドル商団がオパール伯爵家に贈与する』ことになっているのだ。


 事態を飲み込めたシンドルは、拳を握りしめた。そして。

 事の深刻さに気付き。


 その場で、絶叫した。

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