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16話

 ――シンドル商団など知らない。

 そう言ったグリーンに、オパール伯爵は驚いて聞き返した。


「なに? いったいどういうことだ? 社員が自分の所属している会社を知らない、なんてことがあり得るのか?」


「その、私、農業を営んでいますので、どこかの会社の社員ではありません」


「なんだって?」


 オパール伯爵はますます混乱した。しかし彼女の反応から見るに、その言葉は嘘偽りないものであろう。

 ルシオはグリーンに訊ねた。


「住所や氏名、生年月日……そういった個人情報を、家族以外の誰かに伝えたことはあるか?」


 藪から棒だ、と言わんばかりの言葉に、グリーンだけでなくオパール伯爵もイヅナも首を傾げた。

 質問の意図は理解できなかったが、とりあえずグリーンは答える。


「数年前、ある会社に出資をしたときに、書類に記載して……結局うまくいかず、もう関わってはいないのですが」


「その会社はわかるか?」


「フラドレン商会という会社です」


 オパール伯爵は「あ」と声を上げた。その商会に聞き覚えがあるようだ。


「フラドレン商会……確か、シンドル商団の事業実績を調べているときに見かけたな。偶然なのか?」


 怪しげな商団。

 商団の存在を知らないが、書類上はその会社の社員である女性。

 そして女性の個人情報を知っている、商団と取引歴がある商会。


 ルシオの中でピースが合わさったようだった。


「俺の考えを言わせてください」


 ルシオはオパール伯爵に向けて口を開いた。


「彼女は会社が勝手に社員に仕立て上げた、書類上の社員……いわば『ダミー社員』です」


「『ダミー社員』?」


 その場にいる全員が再び一斉に首を傾げた。


「シンドル商団は、フラドレン商会経由でグリーンさんの情報を得て、社員として登録したと考えてまず間違いないでしょう」


 伯爵は理解が追いつかない、というように首を振った。


「何のために?」


 可能性は色々と考えられる。

 社員を水増しして、大規模な会社を装いたいとか。

 王国から補助金をもらうためだとか。

 だが、一番に考えられるのは。


「何のために『ダミー社員』を作ったか――それは、あなたのような慎重な人を騙せるようにです」


 オパール伯爵は目を見開いた。

 ルシオはそんな伯爵を指差した。この考えの根拠は、他でもない伯爵である。


「伯爵。あなたは、社員は戸籍がある実在する人間だと知り、シンドル商団を信頼したのでしょう」


 伯爵は、なるほど、と頷いた。


「こうなっては、シンドル商団の実態を疑わなくてはならんな」


 ルシオはもう一つ、考えを付け加えた。


「これはまだ予想に過ぎませんが。俺はシンドル商団が『ダミー会社』だと思っています」


 『ダミー会社』。

 外見上は普通の会社だが、実際は詐欺などの隠れ蓑として使われている会社を俗に言う言葉だ。

 オパール伯爵は心配そうに首を振った。


「では、シンドル商団に事業実績があるというのも虚偽なのか」


「そうでしょうね」


「だが『ダミー社員』と違って、業務実績のでっち上げはできないのではないか?」


「可能です。身内同士での取引をして、データ上で実績があるように見せかけたのでしょう。『循環取引』というやつです」


 循環取引とは、複数の会社が共謀して取引を仮装することだ。一般的には売上の水増しや税の調整を図るために行われる行為だが。


「今回のケースは、取引そのものの存在を仮装するために行っていた。こうすることで、データ上は事業実績があると見せかけられる」


「不正をしている会社ということは、十中八九配当金を貰えるなんて話も嘘。投資を謳い金を集める詐欺集団だったというわけか……」


 オパール伯爵はへなり、とくずおれた。そんな伯爵に、ルシオは声を掛ける。


「ですが『ダミー会社』も『循環取引』も、まだ可能性がある段階に過ぎません」


 『ダミー社員』の件はともかくですが、という一言は声には出さず飲み込んだ。言っても伯爵を不安にさせるだけである。


「それに仮に事実だったとしても、訴えればこちらが勝ちますよ」


 ルシオの言葉に勇気付けられたのか、それとも憂慮が怒りに変わったのか。伯爵は「よし」と立ち上がった。


「社長を直接問い詰めよう」


 ルシオは冷静に制止した。


「駄目です。もし本当にやましいことがある会社だったとして、実態が疑われていると知れば、会社を畳み痕跡を消して逃げるかもしれない」


 そうなれば、この怪しげな会社を詐欺罪で訴えることはできなくなる。そして、もう投資したお金は確実に戻ってこないだろう。


「まずは逃げられぬよう証拠を集めましょう」


□□□

 オパール伯爵領からロンデールへの帰り際。

 イヅナを引き連れてオパール伯爵の書斎を訪れたルシオは、伯爵に次に取るべきアクションを指示した。


「オパール伯爵。シンドル商団を調べたときのように、シンドル商団と取引があった会社について詳しく調べてください。そして社員に『ダミー社員』がいるかどうかを確かめてください」


 『ダミー社員』がいれば、その会社はシンドル商団と同じ不正をしている会社ということになる。身内だと考えていい。

 身内同士の取引だと確認できれば、『循環取引』をしている疑いが濃厚になる、というわけだ。

 それからもう一つ、付け加えた。


「ひとつお願いがあります。この件を解決するために、オパール伯爵の名を貸していただけませんか」


 貸してくれるかどうかは賭けだった。

 これを安易に承諾した場合、オパール伯爵家には相当な危険が伴う。

 たとえばルシオが伯爵家の名を使い、悪事を働くことだってできるわけだ。


「結果はお約束します。万が一にもオパール家の名誉や財産を損なうようなことがあれば、カイヤナイト家が充分な補償をします」


 ルシオ確かな口ぶりに、オパール伯爵はゆっくりと口を開いた。


「……ルシオ君。どうして、我が家のためにここまで?」


 オパール伯爵は。


 ――ルシオの、記憶にある姿とはあまりにもかけ離れていた姿に、目を見張っていた。

 手がつけられない暴れん坊。

 そして、カイヤナイト男爵邸の使用人が出所のルシオの噂でも、横暴だの頭が悪いの何だのとロクなものがなかった。


 だが、いま目の前にいるこの少年は、聡明で自信に満ちた秀才、いや天才であった。

 これを成長として片付けるには、あまりに。


 ――そう、別人のようだった。


「将来起こり得る悲劇を書き換えるためですよ」


 ルシオはただ一言、そう言った。


 一つ、オパール伯爵に心当たりがあるとすれば、一ヶ月近く前に起きたカイヤナイト家のタウンハウスの火災である。

 使用人を亡くしたことに蟠りを抱えているのかもしれない。或いは、恐怖のようなものを感じたのかもしれない。


 ルシオが発したその一言に込められた意味の大きさは、頭の回転が遅いオパール伯爵には計り知れなかった。


 ただ、これだけはわかった。


 ――ルシオが『変わった』のだということは。


「……成長したな、ルシオ君。小さい頃の君は本当に……」


「暴れん坊だった?」


 ルシオは微笑んだ。


「今でも変わってませんよ。学校でも……」


「問題児扱いされてるらしいな」


「なんだ、知っているではでありませんか」


 オパール伯爵はひとしきり笑うと、ルシオに蝋印鑑シーリング・スタンプを差し出した。


「私の名を貸してほしい、だったな。好きなように使うがいい」


 ルシオはそれを丁寧に受け取ると、頭を下げた。


「感謝します」


「いや。頭を下げるべきはこちらの方だ」


 オパール伯爵は立ち上がると、頭を下げた。

 高貴な者は、決して軽々しく頭を下げてはならぬ。だが伯爵は、この聡明な少年に敬意を示した。

 執事に案内され執務室から出るルシオとイヅナは、すれ違った。

 ――ヴィネアと。


(帰ってきていたのか)


 不自然に身体を硬直させているのを見るに、盗み聞きしていたらしい。

 ヴィネアは何も言わず、気まずそうな顔でその場から二人を見送ったあと、執務室に駆け込んでいった。


□□□

「良い婿殿じゃないか。あんなに聡明な子は、私は他に知らないよ」


 ヴィネアが執務室に入るなり、オパール伯爵は笑って開口一番にそう発した。これにはヴィネアは首を振る他なかった。


「冗談じゃありませんわ。言いましたでしょう、ルシオさんは問題児だと」


「問題児扱いされている理由を知っているのか?」


「存じてますわ。ルシオさんが同級生の方に手を上げたのだと」


 オパール伯爵は、ふむ、と穏やかに頷き、ヴィネアを諭すように口を開いた。


「それには、なにか理由があったのではないか?」


「だからといって、暴力を正当化することはできませんわ」


「時と場合によるだろう。例えば……誰かを守るためだったら?」


 ヴィネアはもう一度首を横に振った。


「まさか。あの横暴なルシオさんに限ってありえませんわ」


「本人からそう聞いたのか?」


「それは……」


 言い淀んだ。この件に関して、ルシオ本人に直接尋ねたわけではないからだ。

 言葉に詰まったヴィネアに、オパール伯爵は言い含めるようにこう口にした。


「『一方聞いて沙汰するな』。片方だけの言い分だけを鵜呑みにするのではなく、必ず両方の言い分を聞かねばならんよ、ヴィネア」


 オパール伯爵は机上の出納帳を手に取ると、ヴィネアに差し出した。


「どうだ? 今回の件、私から引き継いでみては」

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