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13話

 ヴィンター寮、ルシオの部屋。


 ルシオは起き抜けに寝巻きを脱ぎ、制服に着替えた。

 それから鏡に向かい、真っ直ぐな金色の髪にマカッサル油――整髪剤をつけて波打たせる。

 こうして身なりを整え、朝の散歩に繰り返そうとドアに手を掛けたとき、ドアの下から差し込まれている封筒に気が付いた。


 送り主はカイヤナイト男爵夫人――本来の『ルシオ』の母からだった。中には手紙が入っていた。


 ルシオへ、から始まったその手紙は、前半の内容は差し障りのない、要約すれば『学校にはもう慣れた?』という内容であった。

 だが本題は後半だった。


 タウンハウスが火災になった日、ルシオは犠牲になった使用人の葬儀をカイヤナイト夫妻に依頼したのだが、その際に付け加えた頼みがあった。


 ミケイル(自分)の遺品を送ってくれ、という頼みだ。


 ルシオ(ミケイル)はあの日、本物の『ルシオ』の遺体の首に、自身が身に付けていたロケットペンダントをかけた。これで遺体が発見されたときに、遺体がミケイルのものであると判断されると踏んでのことだった。だが。


「ペンダントがなかった、だと?」


 ルシオは、あのペンダントが後で回収できると思っていた。


「あのペンダントはチタン製だ。チタンの溶融点は1668℃。火事の温度は高くとも1200℃程度らしい。チタンが溶けるはずはないのだ」


 もしかしたらペンダントが破損し、建物の残骸と一緒に片付けられてしまったのかもしれない。そうなると少々ショックだ。


「……あのペンダントには、ラファの写真が入っていたのにな」


 もっともペンダントが無事に回収できたとしても、熱にやられて中の写真まで無事だったかどうかは定かではないが。


 ルシオ(ミケイル)には、血の繋がった妹がいる。早くに両親が他界しているため、唯一の血縁者だ。

 ラファは自身と同じくカイヤナイト男爵家で使用人として世話になっている。あの日彼女は領地の邸にいたので、タウンハウスの事件に巻き込まれることなく無事だったのだ。


 ラファは兄が死んだと思っていることだろう。大いに悲しませてしまったに違いない。

 生きていると伝えたいものだが、ミケイルがルシオに成り代わってると知れば、兄が罪を犯したことを察するだろう。ラファを犯罪者の兄妹にするのは酷な話だ。

 せめて天涯孤独の身となったラファがこの先苦労することがないよう、できる限りの便宜は図ろうと思った。


「俺はもう二度と、ミケイルとしてラファと会うことはできないのだな」


 これは罪を犯した罰なのかもしれない。

 ならばせめて、写真だけでも手元に置いておきたかったものだ。

 

「男爵家に連絡すれば、代わりのラファの写真を送ってくれるだろうか」


 何気なく口にして、ルシオは自分の考えぞっとした。

 いまの自分はミケイルではない。

 使用人から大いに恐れられていた、貴族の令息ルシオなのだ。

 そんなルシオが、一介の使用人である年端もいかない少女の写真を送ってくれ、と要求するなどとんでもない。


「変態だと思われかねん」


 耐えるより他ない。

 自身が下した選択の結果とはいえ、残酷なものだと自身の境遇を呪った。


 手紙を閉じかけたときに、『追伸』と書いてあるのが目に留まり、手紙を開き直した。


『学校にはオパール伯爵家の令嬢もいるでしょう? 仲良くしなさい』


「……あ」


 すっかり失念していた。

 社交界に出なかったルシオにとって数少ない、ルシオの顔を知る人物のことを。

 確か彼女はルシオと同い年だったか。


 寮や授業クラスが違うのか、現在のところ学校生活においてまだそれらしい姿を見かけた記憶はない。少なくとも会話を交わしたことはないはずだ。

 幼い頃に会ったきりであるはずのため、いざ鉢合わせたところで余程のことがなければルシオの成り代わりには気付かれぬとは思う。

 ルシオが心配しているのは、そんなことではなかった。


 そして、その日のうちにその心配事に真正面から向き合うことになろうとは、ルシオも思っていなかった。


□□□

「ごきげんよう、ルシオさん」


 昼休憩の時間。

 食堂にて、イヅナと、それから何人かの知り合いと食事をしていたルシオの前に、一人の少女が姿を現した。

 銀に見紛う見事なプラチナブロンドの髪をした彼女は、ルシオたちのテーブル手をついた。


「同じ学校に入学したというのに、挨拶すらしてくださらないなんて」


 ルシオは珍しく少々面食らった。


「……ああ。久しいな、ヴィネア・オパール」


 ルシオの様子には、ルシオの周囲にいた者たちも目を見開いた。

 とりあえず疑問を口にしたのは、隣に腰を下ろしていたイヅナだった。


「あの、ルシオ様。彼女は?」


 ルシオはしばし逡巡していたが、やがて観念したように口を開いた。


「オパール伯爵家息女、ヴィネア嬢。俺の幼馴染、もとい……婚約者だ」


 驚きや好奇による妙な空気がいたたまれなくなって、ルシオは残っていた食事をかっこむと「先に失礼する」と席を立った。


「あ、お待ちなさい!」


 その後をヴィネアが追っていく。


「……まあ」


 口を開いたのは、ルシオの向かいに座っていた茶髪に長身の少年だった。


「ルシオも貴族の家系なんだから、許嫁がいてもおかしくねェか」


 つまりルシオとヴィネアは、政略結婚として婚姻を結ばされた婚約者同士というわけだった。


□□□

 人気の少ない中庭でヴィネアと二人きりになってしまったのは、ルシオにとって誤算だった。

 殺人犯や政治家、そしてこの物語の主人公アズリエルでさえ操ったルシオではあったが、どうも女性の行動は読むことができないらしい。


「何年振りかしら。ルシオさんは相変わらず素っ気ないですわね」


 わざと刺々しい口調で突っかかるヴィネアに、ルシオは溜息を吐いた。正直彼女とは、アズリエルに次いで関わりたくない。


「ヴィネア・オパール。俺に何か用か」


 背を向けたままそう問えば、ヴィネアはつんと澄まして言った。


「貴方、問題児なんですってね」


 ああそのことか、とルシオは二度目の溜息を吐いた。


 ルシオは先日、イヅナが貴族の少年から暴力行為を受けているところを見かけた。そしてその少年を、『気に食わない』という理由でその貴族をぶん殴った。

 その結果ルシオは教師から罰を受け、『問題児』扱いされるに至ってしまったのだった。


「行動には気をつけてくださいまし。将来伴侶になる方が『暴れん坊将軍』とかって呼ばれるようになっていたら嫌ですわよわたくし」


 ヴィネアは言いたいことだけ言うと、自身の髪を撫でつけてそのまま去っていった。

 一人その場に残されたルシオは、その後ろ姿を見送りながら思いを駆け巡らせていた。


 自分の評判は別に気にしないが、周囲の評判まで悪くするのはさすがに忍びない。

 ルシオの心配事。それは、自分のせいで婚約者であるヴィネアを不幸にするということだった。


 ルシオはやがてぽつりと胸中を口に出した。


「『暴れん坊将軍』は俺も嫌だな」


□□□

『悪の帝王ルシオの死刑が決定したとき、一番の被害者は妻ヴィネアだった。


 ヴィネアは悪の帝王の妻ではあったが、悪の女帝だったことは一度たりともない。

 それでもヴィネアは、その罪責感に苛まれ続けることになり、心身を病んだ。


 哀れなヴィネアは、ルシオの死後もその一生涯において、悪の帝王の妻という汚名を背負って生きていかねばならなかった。』


(――思い出した)


 前世で読んだ小説の一節。『ルシオ』のせいで破滅した、あまりにも哀しい一人の人間の結末を。


 ルシオは悪の帝王になるつもりなぞ微塵もない。だが現に、いくつかの罪を犯している。

 ならばヴィネアを救うため、彼女とは縁を切った方がいいのは明白だった。


「……婚約破棄、せねば」

誤字の修正を行いました。

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