12話
ヴィンター寮、給湯室。
欠伸をしながら入室したのは、赤髪にそばかすのある男。アズリエルである。
「すっかり遅くなっちゃったなぁ」
ブーリーの件が片付き、昨日ブーリーに不当に捕らえられていた男が釈放され、いま警察署内は後始末に追われていた。
警察署長の父により手伝いに駆り出されていたアズリエルが寮に帰ることができたのは、夜更けだった。
既に夕食の時刻を過ぎているために、寮内に人影はない。今日は休日ではあるものの、夜更かしをしたがる学生はいないようだ。
せめて温かいものを腹に入れたいと、湯を沸かし紅茶を淹れ、その中にチョコレートの欠片を投入した。先日ルシオと行った茶店のチョコレートティーと同じ味とはいかぬが、甘党のアズリエルにとってこれはこれで好きな味だった。
給湯室に置かれたテーブルに座り、帰り道で適当に買ったスコーンを皿に並べ齧り付いた。
少し落ち着くと、アズリエルは改めて証拠品である手紙の複製品に目を落とした。
「……」
ルシオからブーリー議員に収賄の疑いがあると聞いたのは、警察がブーリー議員を訪れた日の前夜、夕食の時間のことだった。
ルシオはあの性格にあの言動だというのに、見目が良いためか目立ちがちだ。
当のルシオはそれをあまり快く思っていないらしく、食事くらいは落ち着いて食べさせてくれと言わんばかりに人目を避けるように隅っこで食べている。
ルシオに興味があるアズリエルとしては、こんな好機を逃す手は無い。彼には悪いが迷わず突撃するのが、ルシオが入学してきてからこの数日の、アズリエルの日課になっていた。
ルシオはいつも煩わしそうに適当にアズリエルの相手をしている。だが昨夜に限っては珍しく自分から話題を振ってきた。
「以前貴様が言っていた議員、デプト・ブーリーについて、気になる事がある」
ルシオはそう言うと、傍に置いてあったファイルを隣に座ったアズリエルに寄越した。ファイルに挟んであったのは新聞のスクラップだった。
アズリエルはそのスクラップにざっと目を通した。
「身分にとらわれない、自由な職業選択をできるようにする法案? ふうん、なるほど。確かに気になるね」
アズリエルはスクラップをファイルに挟んでルシオに返した。
「それって、貴族が平民の仕事をすることにも偏見がなくなるってわけでしょ。金持ちの貴族が平民の職業に就くようなことがあれば、同業者は追いやられることになるだろうね」
「話が早いな」
ルシオは返されたファイルを受け取り傍に戻すと、アズリエルを見上げた。
「ブーリーの奴は、この問題を策も講じず放置している。このことについて、貴様はどう思う?」
「めんどくさかったんじゃないの?」
ルシオの整った顔が一気に歪み、嫌悪感丸出しになった。
ルシオは意外にも表情をよく変えるタイプである。といっても、大抵は人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべているか、しかめ面をしているかであるが。
貴族は感情を表に出すなと躾けられる。どこまでルシオの本心が反映されているかは計りかねるが、こういうところは貴族らしからぬ言動であった。
アズリエルは吹き出しながら「冗談」と弁明した。
「多少の犠牲に目を瞑ってでも国を発展させたい、みたいなことを考えているのかもしれないね」
「そうだな」
淡々とした返答が返ってきた。ルシオも同じことを考えたのだろう。
意外性が無い意見を述べて終わりでは、議論を始めた意味が薄い上に面白みに欠ける。ならばと、アズリエルは別の説を唱えてみることにした。
「あるいはさ。親戚とか協力関係にある貴族とかに金稼ぎをさせるためかもね」
「ほう」
ルシオの声に愉快そうな音が含まれた。興味を持ったらしい。アズリエルはもう少し詳細に説明する。
「ブーリー議員はこの法案を発表し、可決させる。そうしたら貴族たちは、貧しい平民を蹴散らしながらお金を稼げるようになるわけでしょ?」
「そうだな」
「貴族たちはそうやって稼いだお金を、ブーリー議員に法案を通した見返りとして……あるいは稼ぐ方法を教えてくれたお礼として、一定金額納める。これで、ブーリーと貴族、互いに利益があるってわけで」
「つまりブーリーは賄賂を受け取っているということか」
「そういうこと」
ルシオはしばし思案する仕草を見せた。それから、ふと思い付いてアズリエルを横目で見た。
「仮にその説が合っているとすれば、ブーリーの奴が動くのは法案が可決されそうな今かもしれないな。手紙なり電報なりを見張っていれば、怪しいものが引っ掛かるかもわからん」
「確かにねぇ」
この時の会話はこれで終わった。
なんとなく蟠りに似た感覚を覚えたアズリエルは翌朝、首都中央部にいる警察署長である父にそれとなく伝えた。そして警察は、ブーリーが門閥貴族や富豪に連絡を取ろうとしていないかと郵便物や電報を見張った。
そしてその日のうちに、不審な郵便物が引っ掛かったのだ。
検閲してみると、ビンゴだった。タイプライターで作成されたその文書は、貴族に取引を持ち掛け金をせびる内容だったのだ。
だが。砂糖入りの紅茶のつもりで飲んだらストレートティーだったときのような、言語化できない違和感は何だろう。
この手紙が、証拠としては弱いと感じるためか。
本文はタイプライターで作成されただけあり活字。筆跡で本人確認できる類ではない。それに正式な文書ではないため、封筒に蝋封が押されていたわけでも無い。
つまり、この手紙の出し主がブーリーである確証が得られないのだ。
だがブーリーの収賄はアズリエルの予想だ。アズリエルは自分の推論に基づいて行動したのだ。この手紙はその裏付けで――。
――いや、違う。自分の考えなどではない。
この予想は、ルシオの言動や表情といった反応に釣られ『ルシオに誘導されるように』出した予想だ。
そもそも、すべての始まりは。
「――ルシオくんだ」
ルシオがアズリエルにブーリー議員のことを切り出した、それが始まりだ。
アズリエルは誘導されるままに、『ブーリーには収賄の疑いがある』という考えを持った。
自然な流れで、アズリエルは警察署長の父に相談した。
ルシオはアズリエルの身内が警察署長だということを知っている。出会ったとき、アズリエルが話したからだ。
それから郵便物を見張った。ルシオが「手紙なり電報なりを見張っていれば」と言ったからだ。
案の定というべきか、タイミングよくというべきか。不審な手紙を発見した。『ブーリーが書いた確証が無い手紙』を。
ブーリー議員は貴族の座を失った。
そして。
ルシオの友人・イヅナの父が解放された。
つまり、政界を震撼させるこの大事件において、一番得をしたのは。
――ルシオと、その友人。
すべてはルシオの計画通り。
アズリエルはルシオの手のひらで転がされていたのだとすれば――。
「……ルシオ・カイヤナイトォ!」
ルシオがやったことは最悪だ。
確かに法で裁けぬ悪はある。道徳心の欠片もないあのブーリーという人間もその一人だ。
だがブーリーはただの間抜けな政治家に過ぎなかった。ルシオはそんな男を悪徳政治家に仕立て上げ、貴族の座から蹴落としたのだ。
法治国家では最悪の解決方法だ。
ふと、思い出したことがある。
ルシオと出会ったあの日、ロンデールの街中に路上生活者を襲う男がいた。ルシオはその男を、自身のタウンハウスを襲撃した男だと主張した。そして男は、放火と殺人の罪で捕まった。
――それが、虚偽だったとしたら?
アズリエルは、ふふ、と笑った。
笑い出したら止まらなかった。
あはは、と笑い声が漏れて、誰もいない給湯室に響いた。
興味を唆られる。そう思っていた。
その感情は消え失せるどころか、いまや更に膨れ上がっていた。
ルシオは悪だ。
警察を志し、曲がりなりにも正義心を持つアズリエルにとって、倒さねばならない敵だ。
ルシオ・カイヤナイト。
いつか全部。
「全部、暴いてあげるよ」
□□□
「ああ、やってみろ。できるものならな」
給湯室の扉の向こうで、ルシオは楽しそうに笑った。
この推理小説の主人公が、この程度のことに気付かないわけがあるまい。
アズリエルは必ずルシオを敵と認める。わかりきっていたことだった。
「だが俺は、間違ったことはしていない。俺のおかげで救われた人間が、もう何人いると思っている」
ルシオは、悪者になるつもりなどない。
あくまで正義のために動いている。
だが異なる正義というものは、ときに共存できないものなのだ。
いまこの瞬間。
悪役と主人公は、明確に敵同士となった。
ルシオは自室に続く廊下を歩きながら、それはそれは楽しそうに笑った。
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