10話
ブーリー議員の事務所。
デプト・ブーリーは新聞を広げた。労働者階級向けの新聞『デイリー・ロンド』である。
自身が周囲にどう見られているか。これは政治家たる彼にとって最も重要な問題であり、イメージを死守することは如何しても優先すべきことであった。
『ブーリー議員の法案が可決されれば、平民は上級職に就くこともできるようになり、社会的地位も向上するだろう。
ブーリー議員は平民を大切にする良い政治家である。』
そう記された記事を見て、ブーリーは満足気に分厚い唇の端を上げた。
「愚かだな、貧民は。己の生活が脅かされそうになっていることにも気付かずに、私の政策を応援してくれているのだけら」
その言葉に頷くのは、ブーリーの秘書である。彼は温かな紅茶をポットから注ぎ、カップをブーリーの前に置いた。
「まったくです。あの取るに足らない連中を助ける必要なぞありませんよ」
「もとよりそのつもりだ。貧民などを気にしていれば、国の発展が後手に回るからな」
全人類が皆平等に、などというのは非現実的な絵空事なのだ。
「なあ、スクレテールよ」
ブーリーは自身の秘書に声を掛けた。紅茶を一口啜りカップをソーサーに戻すと、唇に付いた紅茶の水滴をぺろり、と舐めた。そうして口を潤してから話を始めた。
「かつてこの国に理想主義者がいた。その理想主義者は、弱い立場にいる人間に対し心を痛めていた」
差別的な身分に生まれついた者。
貧困に喘ぎ、子供の頃から過酷な労働を虐げられる者。
自身の命を繋ぐ為に已む無く犯罪に手を染めるより他なかった者。
弱い立場にいる人間というのは、沢山いるのだ。
「だから理想主義者は彼らを救うべく他国に渡り、土地を買って村を作った。人々が完全に平等な村だ。そして共同社会を作ろうとしたのだよ。そして――」
ブーリーは秘書を指差した。
「――失敗したのだ」
皆が平等となった世界において、努力は意味を成さない。努力をせずとも、金や食糧が手に入るのだから。
努力をやめた世界は、発展が止まる。経済が回らなくなる。物資が不足する。
そして破綻したのだ。
「国を豊かにする鍵は、競争社会にこそある。完全なる平等など不要。むしろ弱者の存在は足枷ですらある。多少の犠牲はやむを得ん」
ブーリーは先を見据えていた。
いまいる弱者のためではなく、未来に生きる人間のために変革が必要なのだ。
「稚拙なヒューマニズムにこだわり罪責感を抱いていては、大義は成し遂げられん」
――そのために、私は政治家になったのだから。
「私はこの法案を通す。国の発展のためにな。誰にも邪魔はさせん」
「邪魔するぜ」
妙なタイミングで言葉を遮り入室してきた第三者に、ブーリーと秘書は沈黙してそちらに目線をやった。
白髪混じりの赤毛に、カーキ色のコートを身に纏っている中年男性。彼の背後には複数の警官服姿の男たちが控えていた。
「何度もノックしたんだがな。反応がなかったから勝手に入らせてもらったぞ」
男はそう言ってバッジを見せた。警察の身分証明するバッジだった。
「警察だ。あなたには賄賂受領未遂の疑いが掛けられている」
ブーリーは瞠目した。
(賄賂?)
「もっともあなたは議員。不逮捕特権があるから今は逮捕できないが、話を聞きたい。同行してもらおうか――ブーリー議員」
身に覚えがない。理解できずに秘書の方を見ても、彼も首を横に振るばかりだった。
「証拠ならあるんだよねェ」
口を開いたのは、また別の男。先の赤髪の中年男の息子だろうか、彼の背後に控えていた私服の若い少年が、手袋をはめた手で書類を掴んでいた。
「この手紙、見覚えあるんじゃない?」
少年が持ってきた、タイプライターで打たれた書類に目を走らせたブーリーは戦慄した。
『現在、ある政策を進行している。その法案が可決した場合、金を稼げる上手い話がある。あなたは私に端金を送ってくれるだけで良い。三日後、場を設ける。話を聞いていただけまいか。デプト・ブーリー』
「知らん! こんな手紙、送ったことはない」
「こっちはサーペンティ公爵家宛て、こっちはカネイ男爵宛て。こっちは……カイヤナイト男爵宛て? ルシオくんの実家にも送ってたのか」
少年はさらに書類をいくつか取り出しつつ目を通した。
「いずれも門閥貴族や富豪ばかりだね」
「こんなもの、私は知らん!」
しかし物証がある以上、ブーリーの発言に信憑性は皆無だった。
「署で話を聞こう」
そう言われ、ブーリーは事務所を連れ出された。
議員は不逮捕特権により、議会の期間中、逮捕されない。それはブーリーも例外ではない。
だがブーリーのありもしない不正は、明日にでも新聞で報じられる。
そして、収賄の鍵であるブーリーの法案にも注目が集まるだろう。
貧しい平民が排除されることになるということに皆が気付き始める。この法案がそのままの形で認可されることは恐らく無い。
そしてそうなれば、ブーリーは欠点のある政策を立案したということになる。それも、平民を蔑ろにした法案を。
もう平民からの支持は得られまい。
そして、もしかしたら。
自身の政策に反対した者を貴族不敬罪で捕らえたことが明らかにされるかもしれない。
もし、爵位が疑問視されるようなことになれば。
――貴族の座を奪われることになるかもしれない。
引き摺られるようにして出た屋外で、ふと見知った顔を見つけ、ブーリーは横目でそちらを見た。
(あれは……セキエイの息子か?)
先日、セキエイを逮捕したときにいたガキだ。
ブーリーの脳裏に、ある考えが浮かんだ。――もしや。
(そうだ……これはあのガキの策略だッ!)
セキエイの息子が逮捕された父に代わり、自身を妨害しようとしているのだ。
そのために、賄賂受領などというありもしない事件をでっち上げた。ブーリーの法案が『貴族が金儲けをしやすくなる構造になっている』ということを見抜き、それらしい電報を用意して、ブーリーが賄賂を渡すよう要求しているように『見せかけた』。
こうしてブーリーに濡れ衣を着せようとしているのだ。
(――いや、違う)
セキエイの息子は捕縛された父を見て駆け出すような、浅はかで無鉄砲なガキだ。彼の知恵ではない気がした。
逆に、あのときに柔軟な対応をしたガキがいた。いまセキエイの息子の隣にいる、貴族の金髪のガキだ。
彼は抑え込まれたセキエイの息子を、秘書を説き伏せることで解放させ、セキエイと息子が会話できるよう取り計らった。機転が利くガキだった。
(まさか)
金髪のガキはブーリーと目が合うと。
――にい、と笑った。
そしてブーリーにしか見えないよう、一枚のメモを取り出した。
『無能な政治家を裁く法が無いのが残念だ』
その瞬間、ブーリーはすべてを察した。
「おまえの仕業かーーッ!!」
ブーリーの悲痛な叫びはただ虚しく周囲に響いた。
□□□
翌日。新聞に、一人の政治家の収賄を伝える記事が現れた。
そんな中で、その政治家が打ち出した政策の欠点に注目が集まった。彼は自身の立案した法案の穴を突いて、裕福な貴族が更に金儲けできるよう画策していたと報じられたためだ。
これについて多くの民衆からの声で、対応が検討されることとなった。
同時に、政策に異を唱えた者が貴族不敬罪という名目で捕らえていたことが明らかになった。そしてブーリーの爵位を疑問視する声が相次いだ。
ほどなくして、国王は彼から爵位を剥奪する方針を取った。
貴族でなくなったブーリーは、貴族院という政治の世界からも追放され、その結果不逮捕特権も消えた。勿論、即逮捕となった。
汚職が報じられてから二週間と経たなかった。
そして。
ブーリーからの貴族不敬罪の訴えが棄却され、セキエイは釈放された。
□□□
セキエイは、久々に見る太陽に目を細めた。
詳細は把握していない。留置所内では、外の世界の情報は遮断されている。だが。
セキエイは、すべてが解決したのだということを知っていた。なせなら。
「――父上!」
息子と、そして。
「――思ったより元気そうだな」
すべてを解決すると約束してくれた少年に、迎えられたからだ。
誤字の修正を行いました。




