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1話

 ルシオは嬉笑した。

 いま、悪の帝王ルシオ・カイヤナイトが誕生した――。


 ――という小説の一節を思い出したのは、目前の惨状がそれに酷似しているためか。


「男爵の息子は何処だ!」


 暴漢が室内に乗り込んできた。


「殺しはしねえ。誘拐して、領地にいるてめェの両親に身代金を要求するだけだ! 大人しく出てこい!」


 他の使用人はやられた。残るは小部屋に隠れている、自身と主人の二人のみ。

 鍵穴から覗けば、子供である自分たちにはあまりに大きすぎる男たちが視界に飛び込んできた。勝機など無い。


「このまま隠れていましょう、ルシオ様」


 傍にいる同い年の主人にそう言って、自分の言葉に瞠目した。


(『ルシオ』だって?)


 先程思い出した小説の黒幕と同名ではないか。数多の殺人事件を引き起こした、凶悪犯の名と。


 一方、当のルシオは部屋の隅で叫換していた。


「隠れてろ? 冗談じゃない! なんとかしろ、ミケイル!」


 ――ミケイル?


(そうだ、例の小説に『ミケイル』も登場するではないか)


 読んでいるときになぜ何も思わなかったのだろう。ミケイルはそう思った。

 あの小説は、いつ、どこで読んだのだったか。

 ――思い出せない。読んだ日時や場所はおろか、小説の題名も、作者も、主人公の名すらも。

 内容の一部のみが薄らと思い起こされるのみだった。


(きっと、いつぞやかに夢で読んだ本を思い出したのだ。でなければ――前世の記憶、だとでもいうのか?)


 突飛な発想だ。だが、もし今のこの状況が、夢なり前世なりで読んだ小説の通りになるとすれば。


(ミケイルは、俺は。ルシオ様に囮にされ、誘拐されて……偽物だと露呈し殺される)


 混乱するミケイルをよそに、ルシオは捲し立てた。


「貴様! 囮になって、俺が逃げる隙を作れ!」


 間髪入れず、ミケイルはルシオに戸口から突き飛ばされ、ドシャッ、と音を立てて廊下に転がり出た。


「……ッ、ルシオ様!? 開けてください!」


 慌てて小部屋に戻ろうとするが、開かない。中から鍵をかけられたらしい。ドンドン、と戸を叩くが、ミケイルのために扉が開かれることはついぞなかった。

 不意に自身の置かれた現状が見えてきた。


「……ッ!」


 周囲には使用人たちの遺体が転がっている。声にならない悲鳴が溢れ、恐怖と悲痛で腰が抜けた。

 倒れ込んだ音で、男たちが一斉にミケイルの方を向いた。


「いた! 男爵の息子だッ」


 男爵の息子はミケイルではなくルシオなのだが、勘違いされてしまった。

 展開が物語の通りになっている。

 このままでは、物語の通り命を落としてしまう。


 ミケイルは震える四肢に鞭打つと、壁に掛けられた装飾用の剣を取った。


(このまま死にたくない)


 情けなく震える手で、慣れない剣を構え。


「――物語を、変えてやる!」


 喝を入れた。


 飛び掛かってきた男。ミケイルは剣で薙ぎ払った。ザク、と手応えがある。男が倒れた。


「動くんじゃねェ!」

 

 息をつく間も無く別の男が迫ってきた。無我夢中でスパン、と一閃。


「いい加減にしろ小僧!」


 銃を構えた男。ミケイルは闇雲に剣を投げた。ざくり、と男の腹に突き刺さり、男は崩れ落ちた。


 ――終わった。


 ミケイルを除く全員が、その場に倒れていた。


「……人間、死ぬ気になれば何でもできるものだな」


 極度の緊張感から解放され、ミケイルは膝をついた。脱力した手から剣が抜け落ち、からん、と音を立てた。


 不意に不機嫌そうな声がした。


「それだけ強いんだったら、最初から戦えよ。臆病者が」


 振り返れば、気怠そうに腕を組んだルシオがいた。


 自分がどんな思いで戦っていたか、この生粋の貴族は想像も付かぬだろう。

 苦言を呈したいが、雄弁は銀、沈黙は金という。余計なことを言いルシオを刺激せぬよう、ミケイルは口をつぐんだ。

 しかし、ルシオの次の言葉がミケイルの導火線に火をつけた。


「それにしても、他の使用人は役立たずだったな。呆気なくくたばりやがって! 明日から学校だっていうのに、誰が準備するんだ?」


 ミケイルは怒りに震えた。

 皆、想像を絶する苦痛と恐怖の中でルシオを守るために立ちはだかり、壮絶な死を遂げたのだ。

 それを鑑みず『役立たず』の一言で片付けるとは。


「……その言い方はあんまりですよ。彼らはルシオ様をお守りするために命を賭したのです」


 しかしルシオは悪びれる様子さえなかった。


「俺は貴族だ! 下等な平民が俺に命を捧げるのは当然だろう、犬死にだったがな!」


 ――犬死に。

 ミケイルの中で、ぷつん、と何かが切れた。


「散っていった者たちを愚弄することは、上の者がすべきことではありません!」


 一方ルシオはルシオで、ミケイルの発言に怒りを募らせていた。


「平民のくせにッ!」


 ルシオは剣を拾い上げた。


「貴族である俺に歯向かうな!」


 そして怒り任せに振り下ろした。


 剣先が、ミケイルに向かう。

 後悔先に立たず。

 ああやはり何も言わなければよかった、と。そう悔いながら、ミケイルは目を瞑った。


 その瞬間。


 パン、と。

 音がして、火薬の匂いが鼻をついた。


 恐る恐る目を開いたミケイルは見た。

 上半身を起こした暴漢と。


 胸から血を流す、ルシオを。


 自身と仲間を刺した仇ミケイルと間違えて撃ったのか、命を落とす原因を作ったルシオを道連れにしたかったのか。

 男がそのまま倒れた今となっては、知る由はなかった。


 ――物語が、変わった。


 熱されていた頭が冷えていく。

 ミケイルは主人――ルシオの最期を看取った。


「天罰ですよ」


 人は死に際に走馬灯を見るという。いま彼も見ているかもしれない。

 この現象は、助かる方法を脳が記憶から引き出そうとしているという説がある。その一環か、ミケイルは先の窮地で前世の記憶を脳が弾き出したらしい。


「この世界は、前世で読んだ小説の中。そしてルシオ様は、下衆げすな悪党」


 その悪党は死した。

 これであの小説の『ルシオ』が引き起こした数多の事件は、現実のものではなくなった。めでたし、だ。


(――本当に?)


 この世界は推理小説ミステリー。『ルシオ』がおらずとも、起こる事件は山のようにある。

 これから多くの人間が、先程までの自分と同じ恐怖を味わいながら、死を迎えねばならぬのだ。


「だが俺はこの物語を知っている。死の運命にある者を、俺は救うことができるのだ。……しかし」


 自分はただの使用人。その上、本来既に死んでいるべきエキストラだ。


「たかが脇役の俺に一体何ができるというのだ」


 ミケイルは自身と同じ金髪碧眼の容姿を持つルシオを見下ろした。彼は貴族で、かつ黒幕なだけあり物語の核のような存在だ。


「ルシオ様のお立場が羨ましい」


 ふと、とんでもない考えが頭に浮かんできた。


 ルシオは悪役だ。いずれは凶悪犯として成敗される黒幕だ。だが。

 悪に引き込まれなければ、結末を書き換えられるのではなかろうか。


 ――そうだ、そうしよう。


「――俺が、ルシオ様になればいい」


 ミケイルは荷物を纏めた。上質な服に着替え、直毛の髪に整髪剤でルシオのようにウェーブをつけた。

 準備が整うと、オイル・ランプの燭台を倒し、邸に火を放った。


 そして最後に自身の首からロケットペンダントを取ると、ルシオの首にかけた。


「子供の焼死体が発見されても、所持品から俺――ミケイルのものだと思われるだろう」


 炎に照らされながら、ミケイルーー改めルシオは一歩踏み出した。


「これからは俺が、ルシオ・カイヤナイトだ」


 この世界で起こる事件を。

 被害者の運命を。

 書き換えよう。


 ルシオは嬉笑した。

 いま、悪の帝王ルシオ・カイヤナイトが誕生した――。

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