お星さまになったぬいぐるみ
やぁ、チェロヴェーク。
今日も元気かい?
ボクはすこぶる元気だよ。
永久にくるくる回れるぐらいにはね!
<□≡
「60年代の終わりまでに月に人間を送り込む」と。
アメリカの大統領って人が言ったのはいいことだと思う。
何しろ当時は冷戦って言われた時代の真っ只中さ。
彼がそう言ってなかったらたぶん“ロケット”は“ミサイル”って名前になって、月や宇宙を目指すこともなく、どっぼんドッボン海に、もしくは無人島に落ちてたはずさ。
とはいえ、いいことばかりでもない。
なんと言ったかもう一度確認して欲しい。
人間を送り込む、彼はそう言ったのさ。
人間。人形じゃないよ? 人間だよ?
いや、まあいいんだけどね。
ボクはぬいぐるみだし。
なんて思っていたのも、ソビエトの第一書記がとんでもないことを言い出すまで、・・・よりちょっと後ぐらいまでさ。
「革命記念日までに何か目立つものを打ち上げたい」
いやいや?! 目立つものってなんだよ!
≡□>
・・・結局、打ち上げられた(事になった)のは犬だった。
犬。
目立つって理由で選ぶにしてはあんまりな選択。
だって生き物だよ?!
しかも飛行は片道切符。
そう、ロケットで打ち上げられたが最後、彼女(うん。メスの犬)は二度と地球に帰れない。
あんまりだよ!
ねぇ! そう思わない?
そう思うよね?!
って当時のボクは思ってなかった。
いやいや、冷たいって思わないでよ。
いくら飾られていたのが宇宙関連の人の家だって、ただのぬいぐるみにそんな事情、わかるわけないじゃないか。
ボクがそれを知ったのは彼女の代わりにロケットに詰められた時だった。
えーと。どういう事なんですかね? これ。
「だってかわいそうじゃない!」
「いや、しかしバレたら・・・」
「大丈夫よ。カメラはないから」
なら別にぬいぐるみを乗せる必要もないような・・・。
「重さもぴったりに合わせてあるわ」
なるほど。
ボクに砂をつめたのはそのためだったんですね。
「あとは脈拍と呼吸と血圧か・・・」
「それは無線で送られるわ」
「到着時間さえきちんと計算しとけばいいってわけか」
一縷=ほっそい今にも切れそうな糸のような希望を見いだした二人の視線が小型犬の上に落ちました。
ふるふるふる。
いいでしょう。
この無邪気に尻尾を振る彼女の代わりに、このぬいぐるみが宇宙にいこうではありませんか!
<□≡
トゥリー ドゥヴァ アジン。
ノーリを過ぎたカウントダウンが再び数を増やしていますが、こちらとしてはそれどころじゃあありません。
足元から聞こえるロケットエンジンの轟音。
普通の乗り物では味わえない振動。
ボクにはありませんが、もし胸のうちに心臓が収まっていたとしたらドキドキの数は三倍になりそうな迫力です。
・・・あの二人、うまくやってますかね?
「ほら、打ち上げよ! 走って! 脈を上げて」
「はい! え? いつまで~」
地上ではなんかこうぺったりと丸い測定用の電極を着けた男の人がひたすら走り、その後をロケットに乗っているはずの巻き毛の犬が追いかけていますが、ボクには知る術がありません。
ボクにわかるのはグググっと押し潰されるような圧力で、上へ上へと上っている事だけです。
あ、収まりましたね。
なんだか体がふわふわする・・・っていうか、熱いな?!
あっ! 壁が壊れてる。
もう、ぬいぐるみじゃなかったら耐えられない温度ですよ。
あれ? 他にも・・・?
「朗報よ!」
「も、もう走らなくていいの?」
「耐熱壁が壊れたみたいで後数時間の命ってみんな言ってるわ!」
「数時間は走るんだね・・・」
いえ。打ち上げが終わったいま、脈を上げる必要がないのに二人が気づくまで後少し。
力つきてぜぇぜぇと荒い息を吐く男の人の顔を、小さなワンちゃんがいつまでもペロペロとなめている夜空に。
ちかっと。何かが爆発したような光が瞬きました。
≡□>
やあ、チェロヴェーク。
今日も元気かい?
ボクはすこぶる元気だよ。
壊れたラキエータから放り出されてもね!
一つ問題を出そう。
地球の回りを回る物の名前を知ってるかい?
そう、人工衛星さ!
星になったぬいぐるみ。
犬を助けたぬいぐるみ。
ちょっと格好、いいだろう?
<□≡P.S.≡□>
「地球から月へは時間がかかるけど話す相手がいるのは助かるよ」
「四日間座りっぱなしは腰にくるだろ?」
「いや無重力、無重力」
HA、HA、HAと笑い声が起こるのはアポロ十一号の内部であり、このまま順調にいけば初めて月に着陸する船でもあった。
「船長、もう決めたんですか?」
「決めてるよ。でも教えなーい」
再び怒る笑い声。
初めて月面に降り立つ人類。
その最初の一言は歴史に刻まれるはずだ。
息をするのも忘れるような引き伸ばされた一瞬。
着陸船の足は、この日初めて地球以外の星に触れた。
「・・・行こう」
「はい」
すー、ぱー。
宇宙服のマイクが呼吸音だけを拾っていく。
すー。
これから発せられる言葉はたった今、真空の月面につけられた足跡のように───
「うっわ! おい! 犬?! 犬がいるぞ! ほらそこ!」
「え? どこ? 」
───残らなかった。
言い忘れていたがボクの名前はライカ'。
地球を回る人工衛星になったのち。
月に先回りしたぬいぐるみである。