第3章-6
その笑顔に、ロウバイがほっとしたようにひそかにため息をつく。アサノハの両親の訃報が届いてからずっと、アサノハはふさぎ込んだままで言葉数も少なく、笑顔を見せることもなかった。だが今は。守護精に向ける自然で嬉しそうな笑顔を見て、ロウバイは心から安堵した。
ロウバイたちが朝食の支度にわらわらと散っていくと、アサノハは首を上げ見上げるように守護精を見やった。
「いかがなさいましたか、アーシャ」
「ううん、なんでも」
そう言ってから、アサノハは守護精の名前を聞いていないことに気づいた。
「そういえば、守護精さまのお名前をお聞きしていなかったわ。なんとお呼びすればよいのかしら」
守護精はやさしく笑むと、すっと片手を上げた。その瞬間、周りの空気がキラキラと光ったようだった。それと同時に周りの音が聞こえなくなる。周囲はまったく変わっていないが、二人の周りの音が一切なくなってしまったかのようで、周囲と遮断されたとわかる。守護精が波動を使ったのだろう。
守護精の名前は秘さなければならないものなのだろうか。だが、ムラクモ王は公然と守護精の名前、イザヨイの名前を呼んでいたはずだ。だから、秘密にしなければならない、ということはないだろう。
不思議そうに見上げてくるアサノハに、守護精は膝をついて視線を合わせた。
「次代さま?」
「いかようにも、あなたがお好きな名前でお呼びください、アーシャ」
「どういうことでしょう」
「あなたが呼んだ名が、私の名前です」
守護精はそっとアサノハの手を取った。
「私にも名前はあります。精霊としての名前です。ですが、まだお教えできません。まだ早いのです。当代さまもまだおられる。故に、私に名をください。それが契約の一つになります。時至れば我が名をあなたに捧げましょう」
「時が至れば?」
「はい。あなたはまだ幼い。幼すぎるのです」
その言葉に、アサノハは少し気分を害したようだった。
「私は幼くなどないわ。もう十になったのだもの」
「十分幼いですよ。どうか私に名をつけてください。あなたが呼ばれる名が、ただ一つの私の名になります。アーシャ、お願いです」
まっすぐに、鋼色のまなざしがアサノハを射抜く。
「いつか、本当に名前を教えてくれる?」
「ええ、アーシャ。お約束いたします。時至り、あなたが大人になった時には必ず。私はあなたのためにあるのです。あなたと共に生きていきます。これからずっと共にあるために、どうか私に名を」
アサノハは目を閉じた。守護精の名を考えようとしたとき、ふっとある一言が浮かんだ。それは、古語で『永遠』を意味すると習った。その言葉が、するりとアサノハの口からこぼれ出る。
「……クオン」
その一言を守護精は受け止めた。大きく一つ頷くと、立ち上がって主たる少女を見つめる。
「我が名は、クオン。あなたがつけてくださった、この名が私の名です」
そして若き守護精はこうべを下げ、少女の手に口づけた。




