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第4話 武闘会


 春の風は冷たく、石畳の広い訓練場にいくつも絹屋テントが張られている。


「ようこそいらっしゃった! お美しいお嬢さん方! こんなにたくさんの美人に応援されちゃあ武闘会も盛り上がること間違いねぇ! 今日くらいはテメェを褒めてやってもいいぜ、お坊ちゃん」


 出迎えたのは、鍛え上げられた立派な筋肉に、大口を開けて笑う大柄な男。名を竜朴りゅうぼくと言い、精鋭兵んお集まりである羽林軍の総大将だ。


「貴方に褒められても嬉しくないですね。ほら、さっさとそこをどいてください。彼女たちをいつまでも日差しの下にいさせるわけにもいかないでしょう」

「相変わらずクソ生意気な坊ちゃんだぜ……。お嬢さん方には特等席で応援してもらわなきゃならねぇからな。主上の真正面の絹屋に案内してやってくれ」


 主上――王様の真正面!?

 浮足経つ遊女たちとは反対に、美美や鈴鈴は眉根を寄せ合わせた。


「場所はどこでもいいんだけど、王様の真正面って緊張して酒も注げやしないよ」

「安心していい。主上はとてもお優しい方だから。それに真正面とは言っても五間(約十五メートル)は離れているから、目が合う距離ではないよ。まぁ、もしかしたら大華の方には主上の元へ向かってもらうかもしれないが」

「その分お金が弾むなら、わたくしたちはなぁんにも言わないわぁ」


 うふ、と甘い声音に苦笑いだ。

 わたしだったら断固拒否するけど、と胸中で呟いた。

 きっと大華や半月の一部は内儀から金づるを捕まえて来いと仰せつかっているに違いない。光雅楼にも官吏のお客様はいらっしゃるが、総じて金払いが良い。それなりに高官だというのもあるが、お役人様というのは見栄っ張りな御方が多いのだ。

 気に入りの遊女のためにちょっとばかし奮発して、それが続いた末に金に困っているのを何度も目にしたことがある。何度でも言うが、金が払えないなら石ころ以下だ。金が払えなくなったと分かれば、遊女は男を袖にして、新しい男を見つける。花街とは、そういうところだ。金がなければ遊べない。――蒼家のお坊ちゃんらしい、桃真のように。


「どうかな、城へ来た感想は?」


 いつの間にか隣に来た桃真に内心ゲッとする。彼が隣にいると視線が集まって落ち着かないのだ。


「別に、これといった感想はありませんが」

「城へ来るのは初めてだろう? 大体、初めて来た人は煌びやかで驚いた! とか言うんだけど」

「しいて言うなら、貴方が蒼家のお坊ちゃんということに驚きました」


 桃花の知っている貴族のお坊ちゃんは、偉そうに胸を張って、女をあたかも自身の装飾品かのように扱うのだ。大した恋愛経験もなく、春画(エロ本)の情報を鵜呑みにして、抱いた女に後から「下手くそだった」と笑われているとはまさか思うまい。

 みんながみんなそうではないが、遊女たちの話を聞いていればそう思わざるを得なかった。

 だから、あの蒼家の人間だと知って驚いたのだ。同時に、頬を引っ叩いてしまったことを後悔した。私刑に処されてもおかしくないことをしたのに、桃真は変わらぬ笑みを浮かべて桃花に話しかける。


「あの時はわりとお忍びだったのでね」

「そのわりには、毎週来ていらっしゃったじゃないですか」

「君の舞が見たかったんだ。はじめの一回目以外は全て自腹だよ」

「遊女の間で噂になってますよ。わたしの剣舞だけ見て、酒も飲まず女も抱かずに帰る色男がいるって」

「だって、君、座敷には上がらないんだろう? 僕は君の舞を見に行っているのだから。君が座敷に上がらないのであれば、君の舞だけを見て帰ったほうが時間も有効的に使えるだろ」


 つまり、酒を飲んで女を抱くことは有効的な時間の使い方ではない、と。妓楼に来て何を言っているんだこの男。至極真面目な顔で言うのだからことさらにおかしい。遊女の在り方を否定するようなことを言う男に、桃花は気に入られたのだ。

 色恋沙汰に興味はないが、顔の良い男に好かれて嬉しくない女はいない。それに、この男は桃花の剣舞を気に入り、率直に褒めてくれるのだ。嬉しくないはずがなかった。言葉はぶっきらぼうだし、態度もそっけないが、毎週最前列で見てくれる男の顔を覚えない桃花ではない。


 あと一刻もせずに武闘会が開始される。

 王様や御妃たちが観覧席へやってくる。開会挨拶のあと、桃花の出番だ。

 会場内は徐々にざわめきを増し、観覧する官吏や出場する武官が集まり始めていた。艶めかしい遊女を見て、頬を紅潮させる女慣れしていない武官もいれば、舌なめずりをして遊女を見やる官吏もいた。


「――御妃様たちの登場だよ」


 緩やかに、おしとやかに登場したのは黄色の衣をまとった妃だった。四人いる妃の中で一番歳若く、今年十七になるという桜妃オウヒ

 現在、四妃すべての席が埋まっており、その四妃とも四大彩家の姫君であった。

 桜妃、葵妃キヒ蘭妃ランヒ椿妃チュンヒと花の名を冠した妃たちが侍女を伴って登場し、ほどなくして、王様が現れた。

 紫の衣に、王族であることを表す銀の髪を靡かせ、切れ長の瞳が会場を見渡す。……思っていたよりずっと若かった王様に、もっと髭を蓄えた厳格な男性を想像していた桃花は思わず「若っ!?」と小声で漏らしてしまった。静まり返った会場内に響いていたかもしれない声に面布の上から口元を覆い隠す。


「ふふっ……主上は今年で十九にならせられる。僕と同じ歳だ」

「誰もあなたの歳なんて聞いてないです」

「そういえば、君は何歳なんだ?」


 ム、と口を噤んだ。

 桃花は物心つく前から光雅楼にいた。親の顔がわからなければ、正確な年齢もわからない。どうして光雅楼で育てられることになったのかも、桃花は知らなかった。店主の大旦那は何か知っているのだろうが、聞こうとも思わなかった。聞いたところで、どうにかするつもりもなかったからだ。

 親を探して、感動的な再会を望むわけでもなければ、どうして捨てたのと罵るわけでもない。一切の無関心であった。

 今の今まで育ててくれたのは光雅楼の女たちで、桃花はそれに満足しいている。桃花にとって、光雅楼が家で、家族だからだ。

 あえてそれを桃真に言う必要も感じず、「十六くらいです」とだけ答えた。


「くらい? 自分の年齢なのにわからないのか?」

「むしろ、花街にいて自分のちゃんとした年齢を知っているほうが珍しいですよ。女も男も、売られて花街にやってくるんですから」


 大切に育てられたお坊ちゃんにはわからないかもしれないが、花街とはそういう世界だ。生きるも死ぬも、今日しだい。

 バツが悪そうに、「すまない」と小さく謝った彼に、それ以上何か言うこともなく、桃花も口を噤んで黙り込んだ。


 広い石畳の上で総大将が開催の口上を述べている。長々しい巻物を手に、若干棒読みのところもあって、本人も飽き飽きしているのが見てわかった。


「茶総大将」

「は、」


 夏の夜の冷たさを詰め込んだような声音だった。


「長々とした口上はよい。陽にも恵まれた良き日だ。ハメを外し過ぎぬよう、皆楽しめばよかろう」

「――お言葉、頂戴いたします」


 にんまりと口角を上げて笑い、巻物を仕えの宦官へと手渡した総大将は、声高々に武闘会の開会を宣言する。


「開催するに先立ち、花街一の妓楼・光雅楼からお嬢さん方をお招きしております! 並びに、光雅楼の舞い手による、剣舞にて鼓舞していただきましょう!」


 さぁ、いってらしゃい、と囁かれる。

 姐たちに無駄に着飾られた桃花の耳もとで、しゃらしゃらと耳飾りが揺れて音を立てる。

 共に演奏を奏でてくれるのは光雅楼でも腕利きの二胡の奏者だ。


 愛剣を片手にからんころんと下駄を鳴らして、背中に桃真の視線を感じながら会場の中心へと向かう。会場内は静けさを保ちながらも熱気に包まれていた。

 陛下と絹屋のちょうど間で立ち止まり、両手で剣を掲げて一礼をする。ピンと糸が張ったように空気が張りつめる中、ゆっくりと片足を振り上げ、カンッと下駄で石畳を踏み鳴らす。同時に二胡がッ奏でられ始めた。

 晴天の下、軽やかな旋律が響き渡る。


「まぁ、志雄英伝しゆうえいでんね。この曲好きよ、私」

「どのような曲なのでございましょうか?」

「遥か昔、世界が闇に覆われたとき、ひとりの男が剣を振るい、闇を断ち切ったという伝説から、彼の男の武勇を讃えて作られた曲よ。序盤は闇を表現する静かな始まり、中盤にかけて剣を振るう男の猛々しさと荒れ狂う闇の激しさを表現し、終わりは闇に打ち勝った穏やかな旋律という序破急で奏で方も旋律も全く違う難易度の高い曲よ。私は特に、激しさを増す中盤が好きだわ」


 わくわくを抑えきれない表情で、桜妃は舞い踊る少女を見た。



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