第3話 紫禁城
一体いくらの金を払ったのか、武闘会を盛り上げるための遊女は小雪から十人、半月から五人、そして三人しかいない大華全員が選ばれた。世間知らずのお坊ちゃんかと思いきや、もしかしてとんでもない上役のお役人様だったのかも、と美美が呟いていた。
王城へ赴くとなって、いつも以上に美しく着飾った遊女たちの中に混ざった桃花は、自分だけ場違いじゃなかろうかと不安で仕方なかった。
わざわざ光雅楼まで寄越された馬車に乗り、滅多に花街から出ることのない女たちの甲高い話し声を聞きながら目を瞑る。
同じ馬車に乗っているのは大華の美美と杏杏、半月で古参の鈴鈴だ。五台の馬車が列を成し、王城へと向かう様子はとても目立ち、町民たちはなんだなんだと家から顔を覗かせている。
「にしても、アンタが受けるとは思わなかったわぁ」
「確かに! 何がなんでも行かないって拒否しそうなのにね」
「やっぱ、あの若様がイイ男だったから? 帰ってくとき、頬っぺたに真っ赤な痕つけてたけど何されたのよぉ」
「うるっさいなぁ、なんにもされてないよ」
「何にもされてないなら花つけて帰るわけないじゃない」と姦しくきゃっきゃと声を上げる大華のふたりにうんざりする。だからこのふたりと同じ馬車は嫌だったんだ。人が眠ったふりしてもお構いなしに話しかけてくる。
美美と杏杏はまるで本当の姉妹かのように仲が良い。花のような色香を放つ美美と、歳のわりに幼い顔立ちの愛くるしい杏杏。黒と紫の反物に金の花を散りばめた衣をまとった夜の女王のような美美とは対照的に、城や淡い色合いの衣を着た杏杏は精霊や妖精の類かと勘違いしてしまうほど可愛らしい。
きゃっきゃとはしゃぐふたりを微笑ましく見ているのが鈴鈴だ。落ち着いた色合いの衣は彼女の雰囲気とよく合っていて、低めの声音で紡がれる子守唄は男たちに大人気だ。母性に溢れているというかなんというか、行為で鈴鈴のことを「母上」だとか「母さん」だとか呼ぶお客もいると知ったときはドン引きした。
桃花の一部の熱狂的な愛好者の中には「踏んでほしい!」「罵ってもらいたい!」と願望を抱いているお客様がいるのは当人も知らぬところだ。
「――お城が見えてきたわ」
静かに窓の外を眺めていた鈴鈴に、三人揃って外を見る。後ろに続く馬車からも、はしゃぐ声が聞こえてきた。
高い塀に囲まれた紫禁城。こんな機会じゃなければ、一生足を踏み入れることなどないと思っていた場所だ。
門前には、桃真が官服に身を包んで待っていた。
深い蒼を基調とした衣に、射干玉の髪を半分だけ結い上げて、銀の簪を一本挿している。美美の言った通りだったんだ、とかすかに驚きをあらわにしながら、姐たちに続いて馬車を降りた。
歳若い遊女たちは顔の良い桃真に頬を染めて落ち着かない様子だ。
「お待ちしておりました。ようこそ、紫禁城へ」
深い蒼は、桃花の瞳と同じ蒼だった。
それも、その色を身に着けられる者は限られている。
「あら、まぁ……どこかのお坊ちゃんかと思いきや、お役人様で蒼家のお坊ちゃんだったなんて、若様も人が悪うございまいてよ」
カラカラと笑う美美にふんわりと笑みを形作る桃真。会場までの案内を承ったのだと言う。
蒼家と言えば花街育ちの桃花でも知っている、紫王家に次ぐ由緒正しい古い貴族だ。
華国は紫州王都を中心に、東に碧州、南に紅州、西に黄州、北に蒼州があり、色の名を氏とする一族が州を治めている。碧家、紅家、黄家、蒼家は紫王家から派生した四大彩家と呼ばれ、王族に次いで大きな権力を持っている豪族だ。
まさか桃真が、蒼家の人間だとは思いもせず、面布の下で驚愕する。遊女に混じる桃花の姿を認めた桃真は笑みを深めて視線を送ってくる。なんだか気に入らないので視線を反らしてしっぱな門を視界に収めた。
大きな門を潜り、向かうのは紫禁城南西部にある武英殿。武官たちの詰め所であり、広い訓練場を兼ね備えている。物珍し気に門を潜る遊女たちを厳めしい表情で見やる門兵たちだったが、姐たちがしゃなりと微笑んで手を振れば、頬を緩めてだらしない顔を晒していた。
衛兵だけでなく、すれ違う官吏たちすら色香の集団にぽやんと現を抜かして柱にぶつかっている。
「はぁ、まったく……」
額に手を当てて溜め息を吐く麗しい御人は気苦労が絶えなさそうだ。