第23話 花見
当日は天気に恵まれ、絶好の花見日和となった。
青い空とは裏腹に、憂鬱な気分の桃花は侍女たちによって好き勝手に着飾られていた。
「簪は蒼様からいただいたひとつだけにしましょう。髪は編み込んで、そうね、少し垂らしてお団子にしましょう」
「肌が白いから、白粉はいらないわねぇ。頬紅を少しだけつけましょうか」
「紅はこっちのほうがいいかしら」
「あら、そっちよりなら、赤みの少ないこれのほうがいいんじゃない?」
もはや抵抗は諦めた。化粧は自分でやると言ったのに、妙に気分の上がった彼女たちが聞かなかったのだ。
薄藍の反物で仕立てられた裳は、陽の光にあたるときらきらと銀の花を咲かせ、白い上衣の胸元には小さな青い花が刺繍されている。袖口には非常に珍しい、透かし模様を布状にした、蒼と白い糸で編み込まれた装飾が施されている。落ち着いた全体像だがよくよく見ると妃と同じくらい手のかかった装束となっていた。
舞い衣装で、ひらひらしゃらしゃらした服を着ることが多い桃花でも、刺繍ひとつで家が建ってしまいそうな服に頬が引き攣った。どこかに引っ掛けてほつれさせたたどうしよう。不安が胸をよぎる。
後宮での生活は快適であると同時に、とても気を遣うことが多かった。日常で使う茶器ですら、金一両はくだらないのだ。
着飾られる様子を、すでに準備万端な桜妃が微笑まし気に眺めている。
椅子に腰かけ、金糸梅の綻ぶ扇子を扇ぐ桜妃は珍しく髪をすべて結い上げて、細かく編み込み簪や櫛を挿していた。金糸梅の花言葉「太陽の輝き」は彼女にぴったりだ。
裳には五弁花の宝相華が描かれ、涼やかなさらさらと水の流れる音を奏でる鈴簪は、黄州原産の琥珀がふんだんに使われている。胸のすぐ下で結ばれた帯には佩玉や珠飾りが提げられて、鶯の鳥飾りは黄家の家紋鳥だ。
彼女を着飾るすべての装飾品が気高い身分を表していた。
「はい、これで終わりです」
唇に筆で紅を乗せられたのを最後に侍女たちが離れていく。花見以前に準備だけで疲れてしまった。
姿見の前へ促され、げんなりしつつ鏡の前に立つと――普段とは違うわたしが映っていた。
薄化粧した少女の顔は、月明かりにひっそりと咲く花のように美しかった。
しっとりと濡れた瞳は蒼く冴え渡り、薄紅の唇はみずみずしい果実のよう。額には赤い花弁が描かれて、目元を彩る色彩は形の良い瞳を際立たせ、つい目で追ってしまう色香があった。
自分でする化粧とは違う、派手過ぎず、けれど主張することを忘れない化粧にぱちくりと目を瞬かせる。
ほぅ、と息を吐いて自分自身に見惚れる桃花に、桜妃は笑みを湛えて声をかけた。
「さぁ、準備ができたことですし、御花園へ向かいましょうか」
春桜宮を出ると、宮のある東南区画に住まいがある姫たちがそれぞれめかし込み、侍女を引き連れて桜妃のことを待っていた。
六夫人の世羅姫と、九嬪の英咲姫と雲緋姫だ。
「御機嫌よう、桜妃様」
「天気にも恵まれた、とても良き日ですね。さぁ、皆さん、御花園に行きましょう」
先頭を桜妃が行き、桃花を含めた四人の侍女が後ろに続く。春桜宮に仕える侍女でもやり手の侍女たちだ。
桜妃の後ろに世羅姫が続き、英咲姫と雲緋姫が粛々とついてくる。
黒い衣装の英咲姫と白い衣装の雲緋姫は対照的で、世羅緋は落ち着いた若草色の装束を身にまとっていた。
春桜宮で過ごしているからには、関わらざるを得ない姫君たちである。すでに数回お茶会やお食事会で顔合わせを済ませており、優しい姫君たちであることを知ってるので改めて緊張することもない。
御花園は西門から出て向かう。後宮を出たところで護衛の衛士たちが数人合流し、遠目から見てもわかる豪奢な造りの楼閣を目指して歩いた。
紫禁城最大の花園にある楼閣・姫華宮には亡くなった姫の魂が宿るとされ、皇后の許可なく立ち入ることを禁じられている。皇后が不在の今は、許可する者が居らず、開かずの間となっている。
姫華宮の最上階から御花園を見渡せたなら、最高の景色が望めるだろう。
後宮の花園なんて目じゃない、比べ物にならない美しい花園は、絵師に描かせた風景画の中でも貴族の間で人気が高く、紫禁城を訪れたなら一度は見てみたい場所でもある。
季節によって色を変える御花園は、春が過ぎようとしている中でも桜が咲き誇り、夏の訪れを待ち望んでいる。
官吏たちが姫君の列に頭を垂れ、麗しい女人たちに頬を染めた。
「――お待ちしておりました。桜妃様、世羅姫、英咲姫、雲緋姫」
普段は半分だけ結い上げた髪を、後頭部でひとつにまとめ、冠を被った姿に瞠目する。
一瞬だけ目が合い、微笑まれた。
ハリのある蒼い衣は普段よりも装飾が多く、佩玉や珠飾りがしゃらりと揺れた。
贈った簪を挿しているのを認めて笑みを深める。これで桃花にちょっかいをかける者は段違いに減るだろう。高官が多く出席するこの宴で、蒼家を表す簪を身に着けた少女は目立つだろうが、蒼家にちょっかいをかけるような馬鹿もいない。
それだけ、蒼家とは大きな一族なのである。