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第16話 燕珠姫


 春桜宮の東屋に、桜の景色に似合わないピリピリとした空気が張り詰めていた。


「この度は、わたくしの侍女が無礼を働き、大変申し訳ございませんでした」


 卓子についているのは桃花、桜妃、そして六夫人のひとりである燕珠エンジュ姫。桜妃の後ろには珀怜と玲香が控えており、燕珠姫の後ろにもふたりの侍女が控えている。


「謝る相手が違うのではなくって?」

「ッ……桃花様、不快な思いをさせたこと、心からお詫び申し上げます。桃花様に危害を加えようとした三人は、すでに後宮から追及いたしました」

「追放、って……なにもそこまでしなくても」

「いいえ! わたくしの監督不届きでこのような事態を引き起こしてしまったのです。本当に申し訳ありませんでした」


 燕珠姫は、桜妃のふたつ年下の可愛らしい面立ちの姫君である。入宮したのは半年前で、新参でありながら六夫人の位を与えられている。高官官吏の孫娘らしく、四妃が四大彩家の姫君でなければ四妃入りしていただろうと言われている。


 桜妃の毅然とした態度に、可哀そうに顔色は白く、握りしめた拳が震えている。

 燕珠姫とは、顔を合わせれば話をするくらいには仲が良かった。初めに声をかけてきたのは燕珠姫から。武闘会での舞が素晴らしかった、と興奮気味にお褒めの言葉をいただいたのだ。散歩をすると高確率で出くわすので、気まぐれに会話をしているうちに仲良くなって、燕珠姫の暮らす棟に招かれてお茶会をすることも少なくなかった。


「わたくし、桃花様とお話するのがとても楽しみなんです、後宮にいれば、毎日同じことの繰り返し。でも、こんなことが起こってしまった以上、わたくしと桃花様が会うことを桜妃様はお許しになられないでしょう」


 大きな瞳に溜まった涙が、ぽろりと零れ落ち、スカートにシミを作っていく。

 気まずい雰囲気に口を噤み、桜妃を見やった。


「貴女が桃花さんを害さないと言うのであれば、私からは何も言いませんわ」

「も、もちろんです! わたくしは桃花様と仲良くなりたいだけで……! まさか害を成すだなんてあるわけがありません!」

「桃花さんはどうかしら?」

「わたしも、燕珠姫とお話するのは楽しいので、よろしければこのまま仲良くしていただけると嬉しゅうございます」


 小さく息を飲みこんで、頭を下げる。

 桜妃がかすかに嘆息して、肩をすくめた。被害者の桃花が良いと言うのなら、これ以上桜妃の出る幕はない。


 これが最善であったのか、桃花にはわからない。けれど不要な争いやいざこざは避けたかった。

 燕珠姫は素直で、とても良い娘だ。天真爛漫な桜妃とも、妓楼の女子供とも違う。無垢であどけない少女だった。


「私は部屋へ戻るけれど、お二人はどうなさるのかしら?」

「……桃花様がよろしければ、もう少しだけお話がしとうございます」

「桃花さんは?」

「そう、ですね。まだ時間も早いので、燕珠姫とお話をしてから戻ります」


「そう」と桜妃はどこかつまらなさそうな表情で「どうぞごゆっくり」と告げて東屋を後にした。


 桜妃の姿が見えなくなり、深く息を吐きだした燕珠姫は相当緊張していたのだろう。頬に赤みが戻り、体の強張りがほぐれていた。

 四妃の中でも人好きのする性格の桜妃だが、今日はずっと厳しい顔つきで、眉間にシワが刻まれていた。声音も常より低く、口調も厳しくて、まさに王の御妃様という姿だった。


「――桃花様、ほんとうに、このたびは申し訳ありませんでした。まさか、わたくしの侍女がこのようなことをするだなんて思いもせず」

「怪我もなかったので、大丈夫ですよ」

「けれど! もし、桃花様のお美しいお顔に傷がついたら、手足を怪我していたらと思うと、わたくしは夜も眠れず……!」


 わぁっ、と我慢していた涙が溢れ出し、ぎょっとする。控えた侍女たちは「お可哀そうに」と姫につられて目元を袖で押さえていた。

 桜妃は天真爛漫だが、燕珠姫は感情豊かというか情緒不安定というか、とにかく感情の振れ幅が大きい少女だった。


「け、怪我もなにもなくピンピンしているので、本当に大丈夫ですから!」


 このままでは姫を泣かせたと、打ち首になるかもしれない。何かあってからでは遅いのだ。とにかく泣き止ませようと必死になる。


「……本当に?」

「えぇ、本当です」

「……では、舞ってくださいませんか?」


 脈絡のない言葉に目を丸くした。二の句が告げず、戸惑う桃花をよそに燕珠姫は言葉を重ねる。


「桜妃様ばっかり、ずるいではありませんか。わたくしだって、桃花様の舞が見とうございます。力強く一閃する剣に、わたくしの心も切り裂かれたのです。繊細な指先からは蜘蛛の糸が垂らされているようで、思わず手を伸ばしてしまいます。軽やかに飛ぶ足は、まるで天女の如く身軽で、――何より、蒼く美しい瞳にわたくしを映してくださいませ」

「え、燕珠姫?」

「どうか、どうか、桃花様、わたくしのためだけに舞ってくださいまし」


 卓子を乗り越えて、手を捕まえられて、祈るように胸元に引き寄せられる。


「桃花様、わたくしの舞姫様、どうか、どうかお願いでございます」


 とろり、と甘さを含み、熱をはらんだ瞳は花街でよく見かけた目だ。――恋をする盲目の目だった。



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