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第1話 桃花という女


 華国カコク州。花街にある光雅楼こうがろう桃花タオファという女がいる。

 絹糸のような射干玉ぬばたまの髪をしゃらりと背中に流し、蒼玉をはめ込んだ瞳を煌めかせ、剣を片手に舞い踊る。細い足首や手首に嵌めた銀の環が、しゃらしゃらと耳ざわりの良い音を奏でた。

 鼻から口元を覆い隠す面布が、彼女の神秘性を高め、隠された素顔を追い求める男たちを虜にする。

 アーモンド型の瞳は目尻がきりっと持ち上がり、毛並みのよい黒猫を連想させた。

 空中に投げられた剣がクルクルと舞い、手のひらに刃を滑らすようにして柄を掴み、ダンッと足を踏み込んで動きを止める。演奏がぴったりと止んで、静寂が場を包み込んだ。――一拍置いて、ワァと歓声と拍手が鳴り響く。


 剣を下げ、緩慢な動作で舞台を降りた桃花は深く息を吐いて呼吸を整えた。

 剣舞は、桃花ができる唯一の特技だ。楽器をかき鳴らせば不協和音を奏で、性格はぶっきらぼうでつっけんどん。ただし見目が良く、密かに人気があるので店側も無碍にはできない。

 桃花を育てたのは光雅楼の女たちだ。遊女に育てられ、遊郭という狭い世界で生きてきた桃花はそれぞれの分野に精通する女の下、楽器、詩歌、絵画や茶などを学び、当たり前のように自身も遊女になるのだと思っていた。


「お疲れさん、桃花。今日も大盛況だったねぇ」

メイ姐さん」


 緋色の衣に金糸で大輪の華が刺繍された着物をまとい、大きく開いた襟元は豊満な胸の谷間を強調していた。結い上げた黒髪には真っ白な花が挿され、匂い立つ美しい女性は、光雅楼で一番人気の遊女・美美メイメイだ。美しい容姿もさることながら、詩歌や文芸に富み、太客を多数持つ光雅楼の稼ぎ頭である。――そして、桃花に剣舞を教えてくれた女性だ。


 美美が光雅楼へやってきたのは十二歳の頃。今から九年前だ。当時の桃花は物心つくかつかないかの童女であり、ほかの禿より頭ひとつ分小さかった。

 遊郭に売られてくるのは大体七、八歳の子供が多く、十二歳で光雅楼に売られてきた美美は異質であり浮いた存在だった。没落した武家の娘であった美美は、文武両道で、見目も悪くなく教えたことの吸収も速かったため、当時一番人気だった遊女の下に禿としてつくことになった。


 禿や新造、たまに非番の遊女に遊び相手になってもらいながら、文芸や()()()()()()()()()()()()()()を学んでいた桃花の遊び相手に、美美が選ばれるのはすぐだった。美美は物知りで、遊郭の女たちとは違った知識を持ち、それを桃花に教えてくれた。

 その中のひとつが剣舞だった。最初はただの剣の握り方や戦い方だったのが、いつしか舞い踊ることに変わっていった。剣を握っている間は無心になれた。風を感じ、日の光を感じ、すべての生命の流れを感じるのだ。

 楽器も詩歌も全然だった桃花がたどたどしいながらも、夢中になって剣を振り、踊る姿に才能を見出した楼主の妻である内儀は、桃花を舞姫として育て上げることに決めた。


「お客さんは?」

「アンタの舞を見ていたわ。これから部屋に行くところ」

「待たせてるんじゃないの?」

「それくらいがちょうどいいのよぉ。それに、今日の旦那様は新規のお客様だから、そんなにすぐ行ってもねぇ……」


 かすかに目を見張った。

 美美は光雅楼イチの人気遊女。彼女に新規客を当てるだなんて、どれだけの金を積まれたのだろうか。よっぽどの金持ちなのだろう。まぁ、自分には関係ないか。


 遊女たちには階級が存在し、下から小雪しょうせつ半月はんげつ大華たいかの三つのくくりに分けられる。客を取らず、舞うことだけが仕事の桃花はこれらには当てはまらないが、美美は最上級遊女の大華にあたる。大華の遊女を新規客に充てるなんてまずないことだが、内儀様の考えることはよくわからない。

 光雅楼の楼主は大旦那だが、実質店の手綱と実権を握っているのはその奥方である内儀だ。遊女にとって、最も逆らってはいけない女性である。


「美美! こんなとこにいたのかい! お客様がお待ちだよ」


 噂をすればだ。

 黒髪を結い上げ、薄く化粧を施した美人。大旦那は五十を超えるオッサンだが、内儀は三十半ばという歳の差婚だ。内儀も元は光雅楼の遊女であったが、大旦那が惚れ込んでしまい、結婚に至ったという。

 切れ長の瞳は眼光鋭く、そこらへんの若い衆にも劣らぬ負けん気である。大旦那曰く、「強気で勝気なところに惚れちまったのさ」と小一時間惚気を聞かされた。


「おや、桃花もいたんだね。ちょうどいい、お前さんをご所望のお客様がいらっしゃるんだ。ついていらっしゃい」

「へっ!? な、内儀様、わたしは客を取らなくてもいいって」

「舞が素晴らしかったと大層褒めていらっしゃったよ。話がしたいそうでね、客を取るわけでもなし、美美もつけているからいいだろう。ほら、しゃんとおし!」


 バチンッ、と背中を強く叩かれて、全身がしびれる感覚に涙目になった。どんだけ力強いんだ、このババア。


「何か言ったかい?」

「イイエ、ナニモ」


 大華の部屋は階上にある。ぐるぐると会談を登ってようやくたどり着く豪華絢爛な部屋。部屋に着くまで三人の間に会話はなかった。

 頭の中を占めるのは「どうして? なぜ?」という疑問ばかり。桃花は今年で推定十六になる。性格な年齢はわからない。花街に売られてくる子供なんてたいていそんなもんだ。十六、七となれば、遊郭では水揚げされる年頃だ。


 剣の舞姫として顔を隠して七日に一度行われる舞台は毎回大盛況に終わる。奇しくも、内儀の思惑通り、桃花は花街で一番の舞い手となったわけだ。

 舞姫としてだけ舞台に上がる桃花は顔を隠していることもあり、神秘性が高く、もっと彼女を見たい、もっと彼女を知りたい――欲望に素直な男たちは桃花の剣舞を見るために金を払い、足繁く光雅楼へと通うのだ。


「旦那様、お待たせいたしました。当店随一の遊女・美美と、舞姫の桃花でございます」


 月夜の描かれた襖を開き、室内へと足を踏み入れる。


「美美でございます」


 はんなりと、花の笑みを浮かべた美美の横に並んだまま、ぼけっと突っ立っていると脇腹に肘鉄を食らわされた。


「いっ……! た、桃花でございます」


 座敷に呼ばれることなんてないから、どんな対応をしたらいいのかわからない。禿の頃は、何度か手伝いやらで座敷に出たこともあるが、それも片手で数えられるほどだ。だって楽器も弾けなければ客を楽しませる冗談も言えないんだもの。仕方ないじゃないか。

 美美の見よう見まねでお辞儀をする。面布をしているから表情を取り繕う必要がなくてよかった。


「それではどうぞ、ごゆるりとお過ごしください」


 内儀が退出して、部屋の中に三人ぼっち。

 新規客は、歳若い、麗しい美貌の色男だった。遊女顔負けの艶やかな黒髪を背中に垂らし、涼やかな目元が桃花を見る。高い鼻梁に、薄い唇。薄蒼の衣を身にまとい、ゆったりと腰かけていた。

 どこかの貴族か、豪商の息子だろうか。そうじゃなければ、美美を指名できる金があるはずがない。お坊ちゃんの豪遊か、とあたりをつけた。


「僕は桃真とうまだ。美美と桃花だったね。楽にしてくれて構わないよ」

「桃真様、本日はご指名いただきありがとうございます。わたくし、驚きましたわ。新しいお客様につくなんて久々ですもの」

「まぁ、君を呼ぶためにそれなりに積んだからね」


 何を、金を、だ。

 ふんわりと笑って事も無げに言う桃真は金を使うことに慣れている御人であるのが見て取れた。

 新規であろうと客は客。金さえ払えば浮浪者でもお客である。金が払えないならそれ以下だ。

 金を払った(美美を指名できるほどの!)桃真は客で、それも上客になりうる客である。たぷん、と豊かな胸を揺らしてそばへ侍る美美に、ギシリと体を固くする。先にも述べた通り、座敷に上がるなんて数年ぶりだ。当時とはまた規則ルールが変わっているだろうし、剣舞しかやってこなかった桃花はどうすればよいのかわからなかった。


「あらあら。桃真様がイイ男だからってそんなに緊張することないわよぉ」

「ち、違う! そうじゃない!」

「おや、僕はお眼鏡には適わなかったのか。これでも顔は良い方だと思っていたのだけれど」

「あ、そういうことじゃなくって……!」


 からかわれている。

 イジワルをする姐を睨めば、「怖や怖や」と肩をすくめて鈴を転がし笑い声をこぼした。


「そうねぇ、酒でも持ってきてちょうだいな。お酌なら、アンタもできるだろう。ついでに剣も置いてきたらいいさ」


 白魚の指先が指し示すまま、足早に部屋を出た。


 桃花がいなくなった途端、香の匂いが強くなった気がした。

 若く麗しい御人の胸にしな垂れかかり、声に甘さを含めて囁く。


「――それで、どのような御用があってわたくしを指名したのでしょうか?」


 甘い毒は密やかに広がりつつあった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 花街の世界観 ストーリー興味湧きました♩
2020/09/14 12:47 退会済み
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