30、アンの思惑
「すぐに出してあげて」
「うん」
レンは麻袋をそっとテーブルの上に置き、縛っていた紐を緩めた。
すると、中から三人の妖精さんが出てきた。
「ふー、やっと外に出れたでち」
「暗いし狭いし臭いし、最悪だったでち」
「えらい目にあったでち」
あたしはその愛らしい姿に、思わず抱きしめたくなるのを必死に堪えた。
「妖精さん、今日からしばらくこの家で暮らしてくれ。アン・シャールーといって、妖精さんたちの味方をしてくれるひとだ」
「よろしくね、妖精さん」
「「「よろしくお願いしますでち」」」
妖精さんたちがぺこりと頭を下げる。
その様子もたまらなく可愛い。
どんなことがあっても守らなきゃと思わずにはいられない。
「アン、いつも悪いな」
「全然かまわないわ。むしろ、妖精さんたちと一緒に過ごせて嬉しいくらいよ」
本音だ。
普段より注意して暮らす必要があるのは確かだが、妖精さんたちと暮らす喜びはどんなものにも代えられない。
「そういってくれると助かるよ。けど、今回はかなりかかるかもしれない」
「なにかあったの?」
「ケンシとライバからの連絡が一カ月以上途絶えてるんだ」
「たしか、ふたりが最近発見したハイレベルの迷宮に挑んでるって話だけど」
「そこからまだ帰ってきてないらしい。あのふたりのことだから死んではいないと思うけど」
あたしはふたりの姿を思い浮かべた。
「たしかに死んでるところは想像できないわね。けど、特等級ってわけじゃないんだから安心はできないかな」
「うん。いろいろ規格外な奴らではあるけど、無敵ってわけじゃないからなあ。とにかくそういうことだから、すまないが負担を掛けてしまうことになると思う」
「いいわよ。妖精さんを助けられるんだもん、全然負担じゃないわ」
「そういってもらえると助かるよ」
あたしたちは志を同じくする者同士だからこそ交し合える笑みを浮かべた。
ケンシとライバは主に妖精さんたちを探し出し、安全な場所へ移す役割を担っている。
どちらも冒険者ギルドに所属していれば、間違いなく第一等級に認定されているであろう、超凄腕の冒険者だ。
レンがあたしに預けていく妖精さんたちは、いつも最後には彼らの手に委ねられている。
「話は終わったでちか?」
妖精さんのひとりがいった。
「ええ」
「それじゃ、ちょっといわせてほしいことがあるでち」
「コホンでち――――おい、そこのヒゲメガネ、ちょっとこっちに来いでち」
「え、俺?」
「ヒゲメガネはおまえしかいねーでち」
妖精さんたちがレンを手招きする
レンが歩み寄ると、
「ここに座れでち」
そういわれて椅子に腰を下ろした。
「よくもあんな狭いところに閉じ込めてくれやがったでちな」
「いや、あれは妖精さんたちがいることを気づかれないようにするために、隠蔽効果のある魔道具の袋に……」
「言い訳はいらねーでち」
「あたしたちがしんどい思いをした分、報いを受けさせてやるでち」
「おまえのむさくるしいヒゲをむしってやるでち」
「そのだせぇメガネに落書きしてやるでち」
「環境利用闘法の怖さを教えてやるでち」
妖精さんたちはいっせいにレンのヒゲをむしり、メガネに落書きし、顔を殴ったり蹴ったりしはじめた。
「妖精さん、やめてー! 許してー!」
レンは叫ぶが、その顔は凄く嬉しそうで、めちゃくちゃ気持ち悪い。
やめてといいつつ、妖精さんたちと触れ合えて喜んでいるのだ。
一方、妖精さんたちもレンが信頼できる相手だとわかっているからこそ、こうやってじゃれ合って遊ぶのである。
――いつもながら楽しそうでいいなあ。
この光景は見慣れたものだった。
レンには不思議な才能がある。
妖精さんを見つけ出す才能だ。
そして、レンはこれまでに五度、妖精さんをあたしの家に連れてきた。
どれも旅の途中、偶然見つけた妖精さんである。
レンが二つの大陸を行き来して調薬の材料を主に売買する商人になったのは、あたしと同じく妖精さんを助けるためだった。
彼はわりと幸せな子供時代を過ごし、あたしのような妖精さんに特別な感情を抱く経験をしたことはない。
ただ単に人間と妖精さんを、否、それだけでなく魔物も含めたすべての生命を、苦しみから救いたいという思いから始めたことらしい。
自分に調薬師か治療術師の才能があれば、そっちの方向に進んでいた――。
レンはそういっていた。
幸か不幸か、魔術の才能がなかったため商人になった。
そして三年前、レンは妖精さんを助けるために日々、研究を重ねているあたしのことを知り、訪ねてきた。
彼は最初から包み隠さず、妖精さんを助けたい、そのために商人になったといった。
だから、あたしも過去を話し、妖精さんを救うためならなんでもするといった。
あたしはレンを、レンはあたしを信頼してくれた。
そして、次にレンがあたしの家を訪ねてきた時、今日と同様に麻袋に隠した妖精さんを連れてきた。
「もし可能なら、しばらく妖精さんたちを匿ってくれないか?」
レンはケンシとライバのことを話し、彼らに引き渡せるようになるまでの間。妖精さんたちを預かってほしいといった。
「そのふたりは妖精さんをどこへ連れて行くの?」
「第一等級レベルのパーティーでもおいそれと近づけないようなやばい所だよ。たとえば『神々に忘れられた森』みたいなね」
つまり超強い魔物の生息地ってこと。
妖精さんにとっては、魔物より人間の方がはるかに危険な存在だから、そういう場所の方が安全なのだ。
「そのひとたちって、特等級の冒険者なの!?」
「いや、さすがにそこまでは強くないよ。奥深く入っていくわけじゃなくて、ギリギリまで行って妖精さんを放すだけだし」
「それでもかなり危険でしょ? そんな凄腕の冒険者だったら、あたしでも名前くらいは聞いたことがありそうなものだけど」
「ギルドに登録していないモグリの冒険者なんだ」
「どうして登録しないの? それだけの腕があればお金も名声も思いのままなのに」
「妖精さんを助けてたら、ギルドの規則に違反してしまうからね。もちろんこっそりやることはできるだろうけど、ふたりはそれを良しとしなかったんだ」
「それは本当なの? 善人過ぎて逆に信用できないんだけど」
「大丈夫だ。ふたりは年に一度、逃がした妖精さんたちの様子を見に行くんだが、その時、俺も一緒に連れて行ってもらって、妖精さんたちの無事を確認してるんだ」
それなら信用できるかもしれない。
あたしはそう思った。
それからしばらくして、レンはケンシとライバをあたしの家へ連れてきた。
そして一晩語り合い、妖精さんを助ける同志に、親友になった。
以来、ずっと互いに助け合ってきた。
アーシュともそんな関係になれれば……。
けれども、まだこのことをアーシュに打ち明けるわけにはいかない。
いくら妖精さんに好意を持っているといっても、実際に妖精さんを匿い、安全な場所へ移しているなどと知られたら、どんな反応を示すかわかったものではない。
下手をしたら、聖教会や街の衛兵に通報されかねない。
自分たちのやっていることは、それくらい危険なことなのだ。
アーシュはあたしの依頼を積極的にこなしていくつもりだといっていたし、現状のままでも問題はないのだけど……。
(アーシュは将来がとても期待できる冒険者だってシュティラがいってたし、仲間にできたら最高なんだけどなあ)
会った時の印象は、シュティラから聞いていたのと変わらない。
ちょっと気が強そうだけど、同時に芯も強そうで、それでいて優しそうで可愛くて、一目で信頼できると思った。
妖精さんのことを、ごく自然にさん付けで呼んでいたことを指摘されて、慌てていた様子も可愛らしかった。
妖精さんのことがなくても、友達になりたいと思わせてくれる女の子だった。
けど……。
妖精さんが絡むと、ひとは変わる。
どんなに善良でも、自分や家族、愛するひとが妖魔憑きになれば妖精薬を得るために、容易に妖精さんを殺してしまう。
アーシュもそれを否定しなかった。
だからこそ、彼女を仲間にしたい。
優しいだけでなく、自分のエゴを否定しない彼女だからこそ。
――そのためにも、慎重に探りを入れていこう。
すべては妖精さんのために。