序
「お願いでち、人間さん、あたしたちを助けてくださいでち!」
「「でち!!」」
現在、俺に向かって三人の少女が必死に訴えていた。
少女といっても身体は子猫くらいの大きさで、とんでもなく可愛い。
なんというか、ぬいぐるみのような可愛さだ。
そして全員、裸で、股間には性器らしき部分がない。
そんな明らかに人間ではない少女(?)たちが、屋台のカウンターの上で、俺に助けを求めている。
「どうだい、可哀想だとは思わないかい? 異世界では、こんな愛らしい妖精たちが人間に狩られ、殺されてるんだ。人間らしい心が一欠けらでもあれば、誰だって助けたいと思うだろう?」
カウンター越しに、のっぺらぼうのお面を着けた浴衣姿の女がいう。
「思いますでち!」
「「でち!!」」
「烈さんは助けてくれたでち!」
「裏返ったァッッて喜んでくれたでち!」
「優しい人間さんでち!」
少女、否、妖精さんたちが手を上げて叫ぶ。
「そ、そりゃそうかもしれないけど……」
「はい、認めましたでち!」
「仕事をするっていいましたでち!」
「ああ、たしかにいったねぇ」
女がお面の下でニヤリと笑みを浮かべた。
「いや、いってないよ!」
「だったらいわせてやるでち。人間さん、ここに顎を乗せろでち」
妖精さんが足下のカウンターを指し示した。
「ここに?」
俺は戸惑いつつ、前に屈んで顎を載せた。
俺の顔の左右に、妖精さんがふたり近づいてきた。
そして――。
「でちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでちでち……アリーヴェでち」
「でちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちちち、おぅでっちぃ!!」
俺の頬に、左右から正拳突きラッシュを打ちこんできた。
といっても、妖精さんはちからが弱いので、全然痛くない。
むしろ子猫の手の肉球で優しくぽむぽむされたみたいで、可愛気持ちよかった。
「あの……もういいですか?」
「反省したでちか?」
「はい」
「じゃあ許してやるでち」
「ありがとうございます」
俺は身体を起こした。
(なんでこんなことに……)
俺はただただ困惑するしかなかった。
*
ほんの十数分前まで、俺はのんびり山道を散歩していた。
ここは過疎化の進んだ田舎の村外れにある山の中腹――。
ただでさえこの辺はひとが少ない上に、ここへ来るのに麓から三〇分はかかる。
時刻は夜七時過ぎ。
祭りなんかやってるはずがないのだ。
なのに、広場には夜店が立ち並び、ひとでいっぱいだった。
(ここにこんな広い場所あったっけ?)
ポカーンと見ていると、ふいに、
「お兄さん?」
「俺?」
「そうだよ。ちょっとあたしの話を聞いていかないかい?」
こんな感じで女が声をかけてきた。
「話?」
「そうさ、ほら、まずはここにすわって茶でも飲んだらどうだい」
「あ、ありがとうございます」
いきなりのことで俺はまだ戸惑ったまま、差し出された紙コップに入った冷たい麦茶を飲んだ。
「早速だけど、仕事をしないかい?」
「仕事!?」
唐突になにをいいだすんだ、この女のひとは。
「そうさ。あんたには適性がある」
「適正って仕事の? なんで会ったばかりなのにわかるんですか?」
「ここに来たってことは、適性があるってことなのさ」
やだ、この女のひと、綺麗っぽいけどちょっと怖い……。
「あんた、会社勤めにうんざりして辞めたんだろう?」
「どうしてそれを!?」
「節約するために、空き家になっている祖父母の家に引っ越してきた。だろう?」
「…………」
女のいうとおりだった。
将来のことを考えるより、仕事や人間関係に対する嫌気が勝り、勢いで辞めたのだ。
「雪宮和也、あんたは仕事にやりがいを感じたことがなかっただろう?」
「!?」
なんで俺の名前を知ってるんだ!?
もーこの女のひと、ホント怖いわー。
「そういうひとは少なくないと思いますけど」
「そのとおりさ。けど、どうせやるならやりがいがあった方が良いだろう?」
「はい」
「だったら、この仕事を請けなよ。やりがいがあるというより、やりがいしかない仕事だからね」
むむ……。
やりがいといわれたら、確かに惹かれるものはある。
それが本当であれば、だけど。
世の中、やりがい搾取を平気でやっている会社だらけなのだ。
やりがいといわれたら、逆にやばいと思ってしまう。
ましてや、怖くて怪しすぎる女のいうことだし……。
「とにかく、仕事の内容を聞いてくれないかい? 請けるかどうかはそれから決めりゃいい」
「……」
俺は無言のまま反射的に小さく頷いていた。
聞くだけなら別にいいだろう。
「簡単にいうと、異世界で妖精を助ける仕事さ」
「異世界!? 妖精!?」
「そうさ。この娘たちの仲間だよ」
女がそういうと、呆気にとられた俺の前に、いきなり妖精さん三人があらわれたのだった。
*
「あんたが今、観ているとおりだ。妖精は愛らしいだろう? 傍にいてくれるだけで、自然と心が暖かくなっていくのを感じないかい?」
俺は妖精さんたちを見た。
背中に羽がないから、たぶん飛べないだろう。
三人とも肌と髪の色がそれぞれ違う。
が、皆とても愛らしいのは同じだ。
さっきの正拳突きラッシュも子猫がじゃれているような可愛さがあって、内心、もっとやってほしいと思ってしまったくらいだった。
「……たしかに」
「妖精ってのは愛を具現化したような生き物だ。それが人間の手によってどんどん殺されていくんだ。酷い話だろう?」
「でも、どうしてこんな可愛い妖精さんが殺されるんですか? 俺にはちょっと想像つかないんですけど」
「それにはちゃんと理由があるのさ……」
「「「でち……」」」
妖精さんたちがしんみりする中、女が説明をはじめた。
*****
妖精とは人間が孤独に喘いだり絶望に陥った時に慰め励ましてくれ、それによって愛というものを知って霊的成長の助けになるようにと、その世界の神的存在が『恩寵の光』を用いて創造した。
そして、神的存在の意図したとおり、人間は妖精と交流することで孤独と絶望から逃れて愛を知り、霊的成長を遂げていった。
そんな時、人間たちの間で、ある病が流行りはじめた。
その病にかかると、まず始めに身体の一部が闇のように黒くなる。
それが時とともに拡がっていき、やがて全身が闇に染まり、魔物同様の瘴気を帯びるようになる。
最後には狂死するか、まともな意思を持たない魔物に成り果てる。
いつしか、その病は『妖魔憑き』と呼ばれ、恐れられるようになった。
だが、それも錬金術の秘儀によって妖精から『恩寵の光』を抽出することで、『妖魔憑き』を癒す薬を創りだせることが判明した時に終わった。
人間は妖精を狩り集め、次々に殺して薬へと変えていくようになった。
*****
「でも、なんで俺に? その異世界にもっと頼りになりそうな人材がいくらでもいるでしょう?」
「いろいろとやっかいなルールがあってね。あっちの人間には授けられない能力もあるんだ。けど、異世界の人間にならルールは適用されないからね」
「能力?」
「向こうに行けばわかるさ。あんたには特別な能力を与えた上で十五年若返った二十歳の状態で向こうへ行ってもらう。それから十五年、つまり現在の年齢になるまでに、あんたがいなくなった後でもすべての妖精が安心して暮らせる場所を造るんだ。そして再び三十五歳になった時、こちらの世界へ帰ってくるって寸法だ」
「帰った時には五十歳の身体になってるってわけですか」
「いや、三十五歳のまま、異世界へ行った同時刻、同じ場所へ戻ってくる。いってみれば、夢の中で仕事をするようなもんだ。あんたはなにも失うものはない。ただし、向こうで死んだらそれまでだけどね」
「簡単にいってますけど、妖精さんが安心して暮らせる場所って、具体的になにをどうすればいいんですか?」
「それを考えるのも仕事のうちさ。で、請けてくれるのかい?」
「はい、請けますでち!」
「いや、あたしが請けるでち!」
「いや、あたしがやるでち!」
妖精さんたちがいっせいに手を上げていったかと思うと、ちらっとこっちを見た。
うん、可愛いけど、その手には乗りませんです。
「いや、まだ請けると決めたわけじゃ……」
「ああ、そういえば報酬についていってなかったね。そうだねえ……百億円くらいでどうだい?」
「はあ? 百億?」
「おや、少なかったかい? それじゃ二百億でどうだい?」
「い、いや、ちょっと待って。百億とか二百億って、冗談でしょう?」
「冗談なものか。一人の人間を異世界へ送れるんだ。金くらいいくらでも用意できるさ」
「うーん……」
もうこのひとが嘘をいっているとは思わない。
実際に妖精さんを見せられているのだから信じるしかない。
けど……。
「異世界ってことは、魔法とか魔物とか龍とか、危ないのがいっぱいいらっしゃるんでしょう?」
「いるねぇ」
やっぱり……。
小説やなんかで楽しむ分にはいいけど、実際に体験するとなったら、
こっわーい!
しかない。
「さっき特別な能力を与えるっていっただろう? だから大丈夫さ」
「それって、チート?」
「そんなもんさね」
俺Tueeeeeeができるのか……。
だったらやってみてもいいかも。
――――などと安易に思ってしまったのは、俺が異世界へ行くということを、まだ現実として受け止めることができていなかったせいだろう。
「じゃあ、二百億円ってことで。それで、いつからですか?」
深く考えないまま、そう訊いた。
訊いてしまった。
「いつでもいいさ。なんなら、今すぐ向こうへ行くかい?」
「別にいいですけど、俺はどうすれば……」
「よし、契約成立だ」
「「「人間さん、頼んだでち!」」」
次の瞬間、
「………………………………ここはどこだ?」
俺は木々の生い茂る森の中にいた。
至らない点が多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。