93、魔王カルバドスへの伝言
「驚いた……完全に人間だが?」
酒臭い男イストは、まだ信じられないらしい。まぁ、そうだろうな。シードルの分身であっても、彼は魔族ではない。ほぼ人間だ。
「ワシにもわからんから、西の翁にもわかるわけがない。我が主人は、魔力も隠されているから、捕まえるのに苦労したぞ」
「プハハハ、自分の主人を捕まえるだと? そんなことを言って、よく無事でいられるものだ」
イストは、俺の顔をチラッと見た。俺が怒っていないかを確認したのか?
「我が主人は、意味なく処分などなさらぬ。そのせいで、堕天使のマルル様は、もう手がつけられんほどのわがまま三昧だ」
「魔王マルル様だな。ふふふ、楽しそうだな。魔王軍には頻繁に接触しているが、みな、イキイキとしている。神の周辺とは大違いだ」
目の前に、店の者が、飲み物を置いた。この二人は、内情を知っているらしいな。近くで見ても、性別が不明だ。人間のようで人間ではない。
「この二人は、西の翁の子孫ですよ。ワシらには、魔力はあまりありませんが、子をつくる能力が備わっていますからな」
「爺には子は居るのか?」
「子はいましたが、ただの人間でしたからな。はるか昔に亡くしましたよ。その子孫は、いるかいないかは定かではありません」
「そうか」
「東の国は、魔物や魔族の襲撃が激しかったからな。その点、西は神都があるから、そこまでは荒れなかった」
ふむ、西と東では、その状況に大きな差があったということか。なるほどな。
「それで、話というのはなんですか、イストさん」
俺がそう尋ねると、酒臭い男は少し驚いた顔をした。なぜだ?
「驚きましたね……俺にそんな丁寧な言葉を使われるとは」
「先程の話では、僕も貴方も、同じ立場でしょう? シードルが切り捨てたゴミだ。むしろ、貴方の方が先に地上に落とされたのだから、先輩では?」
「フォッホッホ、これはまた面白い方だ。俺達は、人間として作られた粘土細工のようなものです。だが魔王は違う。半分は神なのですから」
(は? 意味不明な奴だな)
「西の翁、意味がわからんぞ。我が主人は、この地に降りたときのことをほとんど覚えておられない」
「あのときの約束もか?」
「そうじゃ。記憶の鏡から得た情報しか、ご存知ない」
あのときの? ということは、俺が切り捨てられたときに、この二人は天空の神殿にいたということか?
いや、違うか。この二人が統治に失敗したから、俺が生み出されたのだ。アイツが悪しき心を切り捨てようとしたときには、すでに地上に落とされていたはずだからな。
だが、妙だな。この男に初めて会ったときに、俺は念入りにサーチをした。シードルの人形ではないかと疑ったからな。だが、全くその痕跡はなかった。それなのに、シードルの分身だというのか?
「それで、話というのは?」
「あはは、ガラにもなく、緊張していましてな。頭の中で整理ができていないのですわ」
ふむ、イストは、俺に何かを依頼したいようだな。しかし、それを俺に断られることを怖れているのか。やはり、妙だな……その部分が見えない。そういえば、爺も、シードルとの繋がりは見えない。
二人が嘘をついていないことはわかる。だが、なぜただの人間の頭の中が、その部分だけ見えぬのだ?
「カルバドス様、至近距離でのサーチはおやめください。爺といえども、不快ですぞ」
「シードルとの繋がりはサーチできなかった。一体どういうことだ? おまえ達の言葉に、偽りがないことはわかっている。それ以外のことも見える。爺が、マルルから俺を捕まえる方法を聞いたこともな」
「あー、あはは、マルル様には内緒でお願いします。それは、ワシらの役目に関することだからです。シードル様にも見えませんよ」
「おまえらの役目とは、何だ?」
俺がそう尋ねると、爺は黙った。そして、酒臭い男の方に視線を移した。ふむ、何かわからんが、爺からは言えないということか?
「魔王カルバドス様、俺の言葉を聞き入れてくださいますか」
「内容を聞かずに決められるわけないですよ、イストさん」
「そう、ですよね。はぁ、緊張します」
(もどかしい。一体、何だ?)
俺は、少しイライラしてきた。だが、目の前の男は、何かを必死に考えているように見える。
神から与えられた役目と言っていたか。それが、俺に何かの依頼をすることなのか。
俺を切り捨てた後のシードルは、最も神らしい考えを持っていたはずだ。そんなアイツが、人間二人にどんな役目を与えたというのだ?
大きく息を吐いたあと、酒臭い男イストは、俺をまっすぐに見つめた。その目は不安なのか、少し揺れている。だが、焦点が定まった。覚悟を決めたか?
「魔王カルバドス、おまえが神になりなさい」
一瞬、俺は耳を疑った。酒臭い男イストが発した言葉……いや、発した声はーーーー神シードルの声だ。
頭を何かの電流が流れたかのような、妙なしびれを感じた。何かの呪術かと思ったが、違うらしい。
俺の記憶だ。
消え去っていた記憶だ。
あのとき、アイツが俺に言った言葉だ。天空の神殿の景色がよみがえった。西の翁の役目は、これか。
アイツが何かを言っていたとは覚えていた。だが、内容は全く覚えていなかった。そうか、アイツは、俺の記憶を……あの言葉の記憶を封じていたのか。
あのとき……アイツはーー。
『酷い顔だな。同じ姿のはずなんだがな。俺の悪意はこんなにも醜いのか、あはは、困ったものだ』
(なぜか楽しそうに笑っていやがる。俺はこんな顔をしているのか?)
『俺がシードルだから、おまえはカルバドスと名付けよう。名前の由来はわかるな? あはは、今のおまえに言っても無理だな。ただのバケモノだからな』
(名前の由来だと? 興味はない)
『カルバドス、おまえは魔王となり、この世界を制圧せよ。その仕事が終わったら自由に暮らせばいい。そのときには不用となった能力は回収する』
(魔王だと? なんだ? それは)
『いつもなら、制圧できる程度の魔力を与えるんだけどね……今回は変えてみるよ。こんなことを繰り返すことには飽きてしまった。半分与える。いや、違うな、俺自身を二つに分けるんだ』
(何を言っている?)
『今度こそ終わらせよう。本当の平穏な世界を、俺は創りたいんだ。皆が笑って楽しく暮らせる、そんな世界を。もう、やり直したくはない。これで最後にするよ、カルバドス。約束だ』
(約束だと? 何を言っている?)
『今回は第三者を用意した。二人だから衝突して潰したくなるんだ。これは前回も用意したんだ。でも、前回は上手くいかなかった。だから、おまえを地上に落とすと同時に、記憶は封じるよ。おまえも俺も』
(何の記憶だ? 第三者って……アイツらか? ただの人間に何ができるんだ)
『そろそろ時間かな。カルバドス、もし俺がまた狂ったら…………魔王カルバドス、おまえが神になりなさい』
そこで俺の記憶は途切れている。次に見たのは、混沌とした地上だった。
俺が、黙っているためか、屋台の中は静寂に包まれていた。緊張した表情で、イストがジッと俺の顔を見ている。
「イストさんの役目は、封印の解除でしたか」
俺がそう言うと、彼はホッとしたのか、ガタリと椅子から転げ落ちた。身体中のチカラが抜けたようなふぬけた顔をしている。
「言葉が聞こえたんですね。よかった〜。どの部分の封印かは知らないから、失敗したらどうしようかと心配でした」
「あの場所にいた人間は……」
「はい、俺達です。神が悪しき心を分離した後、俺達は神殿に呼ばれました。というか強制転移でしたね。黒くうごめく何かの側で、頭の中に警笛が鳴り響きましたよ」
「その黒くうごめく何かが魔王ですか」
「はい、だんだん人型になっていきましたよ。怖ろしかった。そして神は、俺達に役目を告げられたのです。俺達は伝達者としての使命を与えられました」
「第三者なはずが、爺は俺の配下だが?」
「はい、俺はシードル様の神殿にいました。東の翁は魔王城にいましたよね。魔王が狂えば、東の翁が神シードル様の封印を解く役目でした。俺達は常に自分が仕える主人に異変がないかを監視し続けていました」
「なるほど、相手に引き合わせやすいようにそれぞれの配下となったのか。そして、情がわいたり、逆に近くにいて洗脳されることを危惧して、相手の主人の封印を解くことにしたか」
「はい、神がそうすれば安心だと……」
「イストさん、俺の封印を解く判断をしたのはなぜですか。神の配下であれば、情もわくでしょう? あの場にいたのだから、内容も知っているはずですよね」
「はい……それが、俺達の使命ですから。条件も決められていました。その条件が揃ったときは、即座に役目を果たさねばならない」
「それなのに、我が主人が家出して行方知れずだったんですから、本当に大変でしたよ。他言できませんし」
「条件というのは、アイツが再び戦乱を起こそうとしているということか」
「いえ、条件は二つです。伝達者の意見を聞かずに、遠ざけようとすること。そして、分身を殺害しようとすることです」
(それは……俺もだが?)
「西の翁、それでは、カルバドス様も当てはまりますよ。爺をうるさがって逃げ回り、さらに神を消すべきだと考えておられる」
「ふははは、表現を間違えたか」
「カルバドス様、伝達者を殺し、分身を殺す命令を下すことですよ。カルバドス様は、自ら殺す気でいらっしゃる。大違いです。それに、ワシは命の危険を感じたことなどありませんからな」
「うん? ということはイストさんは……」
「はい、50年ほど前に、神に斬り殺されました。と言っても、すぐに復活しますけどね」
「それで、見た目が爺より若いんだな。爺は、ジジイだが」
「カルバドス様っ!」
次回は、4月20日(月)に投稿予定です。




