8、勇者じゃないのに
「カール、そんな怖い顔をしてないで……おかわりを食べるかい?」
「はい、食べます」
「そうかい、食欲があってよかったよ。ラザーニャは口に合ったかい?」
「美味しいです」
俺がそう答えると、レイシーは嬉しそうな顔をした。この家の女性は世話好きだな。
できれば、俺としては味はもう少し濃い方がいいが、人間の味覚とは違うかもしれん。下手なことは言えんな。
子供達は、食事を終えると外へ出て行った。テーブルの食器を片付けながら、元気な老婆が、俺を拾ったレイシーの婿に目配せをしていた。
(俺に聞きたいことがあるようだな)
「カール、ちょっといいかな」
「はい」
「俺がカールを見つけたとき、空高くから炎に包まれて落ちてきたんだ。覚えているかい?」
(人間なら死ぬはずだということか)
「はい」
「空を飛んでいたのかい? なぜ、あんなひどい状態でも大丈夫だったんだい?」
俺はどう答えるべきか迷った。何も告げずにこの村から姿を消してもよい。世話になったが、この男達の呪毒を消してやったことで、借りは返した。
だが……ここはアプル村だ。
俺はこの村のリンゴには、強い思い入れがある。俺が好きなリンゴ酒は、この村のリンゴでなければならない。人間のガキの姿で親しくなっておけば、今後も何かの役に立つかもしれない。
(どう言い訳すべきか)
俺が黙っていたためか、彼は言い方を変えた。
「カール、別にとがめようというわけじゃないよ? だが、その年齢で飛翔魔法が使えるなんて、信じられないだけだ。それに、炎に包まれて落ちてきたのに生きている。普通の人間だとは思えない」
俺は全く言い訳が思いつかなかった。そもそも、俺はこんな経験をしたことがない。言い逃れようとする配下はたくさん見てきたが……。
そのとき、彼が、俺の左足首をチラッと見たことに気づいた。変身の呪具だが、ただの二つの輪に見えるはずだ。
「僕は、飛翔魔法は使えます。飛んでいたら、鳥の魔物に追いかけられたんです」
俺がそう話すと、彼はパッと老婆の方を振り返った。すると、老婆が口を開いた。
「カール、一応聞いておきたいだけさね。どう答えても、私達はカールをどこかに突き出したりしないよ。安心しておくれ」
(なんだ?)
俺が、老婆の方を向くと、彼女はうんうんと頷いていた。それにつられるように、俺も頷いた。
「やはり、カールは魔王を討伐する命を受けた勇者だね。この先の魔王軍の酒蔵に向かっていたんだろう? 魔王は、リンゴ酒を好むらしい。だから、酒蔵のリンゴ酒の樽に潜り込んで、魔王城に侵入するつもりだった……図星だろ?」
「えっ!? いえ、違います」
(俺は勇者じゃなくて、魔王だ)
「簡単にそうだとは言えないさね。戦乱は終結しちまったんだからね」
「どうして僕がそんな……」
「この先にある魔王軍の酒蔵から運び出された酒は、魔王城のふもとまで検査などされない。昔、魔王城に攻め込んだ勇者一行が使った手段さね。あの勇者の家系は、その後どこに移り住んだかわからないらしい。カールは、その末裔だろう?」
(突然現れたあの勇者一行は、酒樽を使ったのか)
そういえば、あれは、北部を制圧した祝宴の日だったか。なぜか俺のサーチにかからずに、城下に侵入されたんだったな。
祝宴で浮かれていた隙を狙われたかと思っていたが……なるほど、なかなか知恵のまわる奴だったんだな。
(だが、なぜ老婆が知っているのだ?)
「いえ、でも、なぜそんなことをお婆さんが知っているのですか」
「ふっ、私は子供の頃に、この目で見たからね。というより、私が勇者一行に教えたのさ」
「えっ? そんな大昔から生きているんですか」
老婆はニヤッと笑った。
千年以上生きているということだ。とんだババァじゃねぇか。人間と魔物のハーフなら、そんなに長くは生きられない。それに、勇者に教えただと? 子供がなぜ?
(もしかすると、神の人形か?)
俺は今すぐサーチ魔法を使いたかったが、我慢した。こんな至近距離で使うわけにはいかない。
もし、神シードルが勇者を手引きしようと考えたなら、奴の魔力から人形を作り出して、使い捨ての使者にするのは簡単なことだ。
適当な記憶を植え付けておけば、自分が人形だとは気づかずに役目を終えたあとは、寿命まで普通に暮らすだろう。
いや、今もその役目は続いているのかもしれない。だから、こんな話をするのではないか?
「母さん、カールが怖がっているよ?」
「そうかい? 驚いているだけのようだが、私の予想は当たりだね。もう少し早く会えていれば、魔王城へ侵入できたのに、戦乱は終結しちまったよ」
「母さん、カールは、まだ仲間もいないじゃないか。旅に出たばかりなんだろう? 魔王に挑むのはまだ何年も先のことだったはずだよ」
「あ、あの……僕は……なぜ僕が勇者だと思ったんですか? 名前は……偽名かもしれませんよ」
俺がそう言うと、老婆はブハハと笑い出した。
「カールが勇者じゃない理由がないさね」
(は? 勇者だという理由がないだろうが)
「どういうことですか?」
すると、俺を拾ったレイシーの婿が口を開いた。
「俺達が、村の近くで倒れている人を助けるのは善意もあるが、神命でもあるんだよ」
(シードルの命令だと?)
「えっ?」
「勇者の家系の者が、魔王軍の酒蔵を探してこの辺りで倒れていたら、助けてやるようにってね。勇者が戦乱を終わらせるかもしれない。神様は戦乱の終結を望まれているのは知っているだろう?」
「神様は、勇者の家系の者を助けろと言ったのに、それを整理するという神命を出されたのですか!」
(あっ、この言い方は失敗したか)
だが、二人は、やわらかく微笑んでいた。しまったな、これでは俺が勇者だと認めたようにも聞こえてしまう。勇者の家系、というだけにしておきたい。
「神様は、誰にでも平等なんだよ。魔王軍が勝ったから、もうこれで争いは終わらせたいと考えておられるさね。私達は、これからは魔王軍に戦後処理の指図を受けることになるだろうね」
「勇者を助けていたのに、魔王軍に従うのですか」
「ほらね、やっぱりカールは、魔王を討伐しようとしているんさね」
「いえ、僕は勇者じゃないです。名前だけです」
「カール、心配はいらないよ。俺達はわかっているんだ。カールが勇者じゃない理由がないからね」
(またそれか)
「その理由ってなんですか」
「そうさね、聞かせてやる方がいいかね。家の名を隠していても、勇者だとバレちゃ意味がないさね」
老婆は、また、レイシーの婿に目配せをした。
「カール、俺達の村に伝わることを聞いてもらおうかな」
「はい」
「勇者の家系か否かは名前でわかるけど、偽名を使う者もいるだろう? だから、俺達は、カールのことを名前だけで判断したわけじゃないんだ。俺は、カールを拾ったときから勇者だと思っていたよ」
「えっ?」
(最初からだと? 飛翔魔法か)
「空から炎に包まれて落ちてきたとき、地面に激突してカールは気を失っていたんだ。でもすぐに炎は消えた。そして、カールの足首のリングが鈍く光っているのが見えたんだ」
(呪具だとバレたか)
「そのときは、確かに三本の輪だったんだ。でも、今は二本になっている。それは、身代わりのリングだろう? リングがカールの身代わりとなって砕け散ったんだよね。そんな神具を身につけているのは、勇者しかいない」
「えっ……」
(神具だと? 嫌な誤解だな)
「それに、飛翔魔法も、複雑な魔法を使って呪毒を消し去るチカラも、その年齢で備わっている人間なんて滅多にいない。何より、ほとんど動けない状態だったのに、俺達を助けようとしてくれた強い精神は、勇者の証だよ」
「いえ……」
(スープの借りを返しただけなんだが)
俺は、誤解を解くことを諦めた。まぁ、勇者だと思われている方が、何かと楽かもしれない。
そんなことより、光の柱だ。だが、地上にいると、あれは見えない。なんと表現すればよいのだ?
「まぁ、カールは、戦乱が終結しちまったんだから、いずれは神都に行って、教会の洗礼を受けないといけないさね。ただ、今は危険だから、神都には近づかない方がいいよ」
「教会が危険なんですか?」
「いや、教会は、神様の教えを守る穏やかな人ばかりさね。だけど、勇者の家同士の争いもあるし、魔王軍がそれに乗じて勇者を一掃しようとするかもしれないだろう? いや、魔王軍より、魔王軍に属さない魔族の方がタチが悪いさね」
(俺の配下達は、勇者のことなど気にしておらぬが)
「そうですか」
「とりあえず、元気になるまでは、ここでゆっくりしていればいい。あっ、親元に連絡する方がいいなら、俺が郵便鳥を捕まえてきてやるからな」
「いえ、親はいないですから、気遣いは無用です」
俺が何気なく言った言葉で、二人は顔を見合わせていた。何かマズいことを言ってしまったのか?
「カール、ごめんよ。気配りが足りなかったな。ゆっくり休むんだよ」
二人は、そっと部屋から出て行った。もしかしたら、俺の言い方がキツかったのだろうか。俺が怒ったと感じたらしい。
(人間との会話は難しいな)
だが、多くの収穫があった。光の柱の件はわからぬが、神シードルの動きが少し見えてきた。魔王城にいては知る術のなかった情報も手に入った。
まぁ、急ぐ必要もない。光の柱の場所はだいたいわかる。その付近を調べに行けばよい。それに、いまは動きたくても、性能の良すぎる呪具のせいで、身体が自由にならない。
俺は、ベッドに転がり寝るフリをした。うっかり眠ることがないように、念のため、不眠魔法をかけておいた。