109、神シードルの神殿
俺は、シードルの神殿へと繋がる高い塔に、足を踏み入れた。ここに入ったのは初めてだ。
シードルの、神の記憶の中にも、この塔の中の様子の情報はなかった。おそらくシードルも、ここに足を踏み入れたことはないのだろう。
上を見上げると、気が遠くなるような、らせん階段が続いている。信者達は、これを上り下りしているのか。しかも、ここにも重力魔法がかかっている。
採光を取り入れるための窓には、いろいろな色のガラスが使われていて、とても美しい。
(とりあえず、足で上るか)
俺は一段一段、上っていった。かなりの時間がかかりそうだが、近くに人の気配がするのだ。妙な動きをしてシードルに気づかれると、アイツは塔を崩すかもしれん。普通の人間のように振る舞っておく方が賢いだろう。
らせん階段には、ところどころに踊り場が設けられている。その踊り場の横には小部屋があるようだ。街の監視用か。
「うん? どうした?」
小部屋からふいに声をかけられた。この洗脳にかかっていないのか、その男は魔王を殺せとは叫んでいない。
なるほど、神殿教会の者か。耐性があるということは、シードルが作り出した人形か。いや、シードルの分身かもしれんな。
「ええ、ちょっと用事がありまして」
「声がうるさくて、誰だか思い出せない。悪いな」
「いえ」
「もう、この世界は終わる。神殿へ上がっても我々は消えゆく運命だぞ」
「ですが、このまま引き返すと心残りになります」
「そうか、では、行け。もうあまり時間はない」
そう言うと、男は、俺に丸い玉を渡した。転移具か。
「ありがとうございます」
彼は微笑んだ。そして小部屋の中へ戻り、窓から外を眺めている。最後の瞬間まで街を見守りたい、そう、彼の心の声が聞こえてきた。
俺は、彼から受け取った丸い玉を改めて見てみた。あぁ、これは、神の記憶にある。信頼している者達に渡している転移具だ。
シードルは彼を大切にしていたのか。彼の心境は複雑だろうな。もうシードルは、すべてを終わらせようとしている。彼の命も、これまでの記憶も、すべて、シードルは壊そうとしているのだ。
俺は、彼から受け取った転移具を使った。すると、重力魔法の影響もなく、一瞬にして、塔の最上階に移動した。
だが、この場所には、強烈な重力魔法がかかっていた。シードルは、塔から来る配下も排除しようとしているのか?
しかし、神殿への入り口は、閉じられてはいなかった。
扉に触れると、スーっと、開かれた。
(これは……)
目に映る光景に、俺は目を疑った。
「まだ居たのか」
シードルの声だ。だが、姿は見えない。俺は無言で、神殿に足を踏み入れた。
ガランとした石造りの神殿には、見覚えがあった。どこからか風が吹き込むのか、冷たい空気が頬を撫でていく。
少し進むと、左側には教会があった。あの神父はここに勤めていたのだな。
(あぁ、ここは特にひどいな)
神殿に足を踏み入れてから、数え切れないほどの死体が転がっている。すべて、シードルが殺したようだ。あたりには、行き場を迷う魂がオロオロしていた。
この世界を滅ぼし、新たな世界にこの魂を持って行くつもりなのか。神殿内には人の気配はない。シードルの気配さえ、感じない。いったい、どういうことだ?
さらに、進んでいった。シードルの気配は感じない。だが、神殿の構造には鮮明な記憶がある。神の記憶だ。それに従って、いま、シードルがいると考えられる場所に向かった。
(ほう、そういうことか)
シードルの広い私室の扉は開け放されていた。いや、閉じることができないのだろう。たくさんの魂がオロオロと出入りしている。
俺が近づいていくと、魂はサッと道をあけた。俺のことをシードルと勘違いしているらしい。
部屋の中には、シードルがいた。集めた魔力を纏っているのか? 透明な丸いカプセルの中にいる。目で見える場所にいても、シードルの気配は感じない。
あのカプセルがすべてを遮断していたのか。だから、俺の気配にも気づかなかったのだな。
俺が、奴の目の前に立つと、ようやく俺のことに気づいたようだ。シードルは驚き、目を見開いていた。
「カルバドスなのか?」
なんだ? やけに落ち着いた声に、俺は毒気を抜かれた。
「あぁ、見えないのか?」
「見える……姿が妙に若いから驚いただけだ。そうか、何かを見つけたのだな。俺は何を仕掛けたのだったかな」
何を言っている? さっき会ったばかりじゃないか。
だが、シードルが俺を見る目は先程とは違う。何かを懐かしんでいるかのような遠い目をしていた。まるで、神のようではないか。
「おまえ、魔王城を焼き尽くしたときと雰囲気が違うようだが? それに、いま自分が何をやっているのかわかっているのか? すべての住人を洗脳し、大量の人間を雷撃で殺しているのだぞ」
「それは俺の分身だ。リセットのための魔力を集めよと指示をした。だが、最後の手段に出たらしい」
「それが洗脳か」
「あぁ、まさか光の石碑をこんなことに使うとはな……。俺の悪意はどこまでも醜いようだ。我ながら呆れるよ」
「その分身は今、どこにいる?」
「光の石碑を操る神都の指令塔だろう。いや……」
その瞬間、俺はシードルの気配を感じた。振り返ると、もう一人のシードルがいた。奴の目は憎悪に染まっている。
「カルバドス!! なぜ、こんな場所にまで入り込めたのだ? だがちょうど良い、これで魔力は十分まかなえる。わざわざ魔力を返しに来たのだな」
「ちょっと待て。俺はカプセルの中のおまえと話をしている。邪魔をするな。シードルがさらに力を分けた分身なら、おまえに俺を狩ることなどできぬからな」
「ここは、俺の神殿だ。俺に有利に働く。それに、カプセルの中の俺は、身体を持たない思念体だ。神のほとんどの力は俺の手にある。おまえから魔力を回収し、この世界をリセットする!」
奴は剣を抜いた。ジッと俺を睨んでいる。
カプセルの中のシードルを見ると、額に手を当てていた。止める気はないのか。もう、アイツは次の世界のことを考えているのか?
(あぁ、そうだった)
神の記憶を思い出した。リセットをするときは、いつもこれだ。自らの悪意の分身を作り出し、そして世界を破壊する。悪意だけの分身でなければ、世界を壊せないのだ。
自分の悪意だけの分身を作り出すと、本体の神は、静かに、時が来るのを待つのだ。その時間で、たくさんの記憶を整理し、そして反省し、次への手段を考える。
悪意だけの分身は、世界とともに滅び、そして何もない世界が新たに生まれる。神は新たな大地からエネルギーを吸収、いや回収するのだ。
(コイツは、魔王と同じか?)
いや、違うか。俺にはシードルとは別の人格がある。コイツは、シードルそのものだ。ということは、光属性だな。
「こんな場所で剣を抜くか?」
「場所など関係ない!」
「ここはおまえが静かに考える場所だろう。血で汚すのか? 他者の侵入を何より嫌っているのではないか」
「外に出たら、逃げる気だろう? カルバドス」
「は? 逃げたのは、おまえの方だろう」
バリバリバリバリ!
突然、雷撃を放ちやがった。いくら広いとはいえ、この部屋は、おまえが大切にしていたのではないのか?
俺が避けたことで、雷撃は書棚を燃やした。シードルの教典が並んでいる書棚だ。
「おまえ、いい加減にしろ!」
なんだ? 俺はなぜ、教典が燃えたことに腹を立てている? カプセルの中のシードルは、悲しげに書棚を眺めているだけだ。シードルは、なぜ止めない? この部屋のものは、次の世界にも持っていくのではないのか?
バリバリバリバリ!
また、雷撃か。無駄なことを。俺は、剣を抜き、雷撃を叩き斬った。やはり光属性だな。闇を纏う剣で斬れば、雷撃は闇と相殺されて消滅する。
ダン!
キン!
奴は、俺に斬りかかってきた。ふっ、やはりな。シードルの城に居ても、奴の剣は簡単に受け止められる。
「おまえ、なぜそんなチカラが」
「だから言っただろう。無駄なことだ。それに、俺はこの世界を消させるつもりはない」
だが、奴は、諦める気はないらしい。妙だな。カプセルの中のシードルは、何かを達観したような諦めの表情をしているが。
バリバリバリバリ!
キン!
奴は、雷撃を放つと同時に、斬りかかってきた。ふん、無駄だと言ってもわからんか。
俺は、奴は剣を受け流し、そして体勢を崩した奴の腹に闇弾を撃ちこんだ。
「ゲホッ、おのれ、カルバドス! さっさと死ね!」
(何?)
奴は、強烈な光魔法を放った。雷撃ではない。部屋全体が瞬時に真っ白な強い光で、何も見えなくなった。
(くっ、身体が焼ける……)
背後に、動く気配を感じた。俺は、剣を振った。斬った手ごたえがない。外したか。ハァハァ、苦しい……身体が焼ける。
俺は、自己再生魔法を使った。光魔法の威力が強く、なかなか治らない。だが、少しずつ呼吸ができるようになってきた。
妙だな……静かだ。
急に強い光が消え、視界が戻ってきた。奴は、カプセルの前に居た。中のシードルにすがりつくように、カプセルにへばりついている。
奴の背中には、闇の炎が揺れていた。さっき振った剣がかすったらしいな。それで助けを求めているのか?
いや……違う。
奴は、必死にカプセルに魔力を注いでいる。自分の背中の闇の炎にさえ気づかないのか?
パリッ、パキッ
パキパキパキパキ!
シードルのカプセルに亀裂が入っていた。その亀裂はカプセル全体に一気に広がっていった。
パリン!
乾いた破裂音とともに、カプセルは粉々に砕け散った。中にいたシードルは、カプセルと共にその姿が消えた。
それと同時に、カプセルを修復しようとしていたシードルは、闇の炎に包まれ、ボゥオと一気に燃え上がった。
そして、静寂が訪れた……。




