30 僕が僕であるために
「もう、性格悪いな。幸は」
「ふふ、ごめんね亘くん」
彼女の僕を馬鹿にするような笑い方が何かをくすぐる。決して僕にはそんな性癖はないが、何か引っかかる。
「幸はさ」
「うん、何かな?」
「なんで僕と仲良くしてくれるのかな?」
単純だけど、重要な疑問だった。そもそも、裕也は医者からも紹介されてしっかりとした記憶を失う前の友達であると証明はされていた。
しかし、幸は違った。突然現れたと思ったら僕の名前を知っていた。そして、必ず裕也の前では姿を表さない。
幸本人から会っていることを他言しないようにと言われているから約束は守っているが、そろそろ気になる頃でもあった。
そして、何より幸も裕也と同じ······いや、それ以上に初めて会った時の顔に悲しみと憎悪などの感情がこもっていた。
「亘くんは私が亘くんに仲良くするのは迷惑だったのかな?」
「いや、そんなことはないんだ! ただ、僕自身こんな状態だろ? 記憶がない分、僕は君との以前の関係すら分からない。もしかしたら、その関係で知らず知らずのうちに傷つけているかもしれない······だから」
「そっか、本当に何もかも忘れちゃったんだね」
「え、なんて······」
「ううん、なんでもない」
——まただ。
今、彼女が言った言葉の大きさがあまりにも小さくて何と言ってるのか理解できなかった。しかし、確信もって言えるのはまたあの顔だったことだ。
彼女は再び笑顔を戻ると、もう行くねという言葉を残して部屋を出てしまった。
僕の胸は何故か心臓を抉られた程に痛みが増し、自然と目から1・2滴の雫が頬を伝って流れていった。
恐らく、これは僕の感情であっても、僕の感情ではない。
これ以上彼女に気をかける必要はあるのか。彼女と関わる度に自分のことが分からなくなる。この手も爪も心も。
その翌日。医者から退院が告げられた。
取り敢えず、自分の住んでいる所や学校などを把握した。覚えると言うよりは身に染みていると言うべきか、ある程度のことはこなすことができた。自分でも心配はしていたのだが、どうやら僕は前から自炊をしない人らしい。
リビングに置かれた箱の中に消費期限のきれた菓子パンがいくつもあった。
部屋は割と片付いていたが、机にはいくつかの本が無造作に重ねられていた。
「記憶喪失の本?」
まるで自分がいかにも記憶喪失になることを前提に置いたかのように積まれた本は全て同じジャンルの物だった。
付箋が何枚か貼られているページを目を通すくらいに読んでみたが、これは僕のためのものではない。そんな気もする。
記憶喪失といって全てが同じなわけではない。色んな原因があって記憶喪失になる。
僕の場合だと頭を強打したことへのショック。簡単に言ったけど、後遺症が残らなかったことを本当に嬉しく思う。
とまぁ、こういうのを考えるのは一旦置いておこう。抗ったところで情報量が少ない今は何も出来ない。
その日は大人しく寝ることにした。
翌日、消費期限のきれた菓子パンを食べるわけにもいかないが、焼いたらなんとかなる気がしたので焼いて食べることにした。
特に不味いことはなかったが、気分はそれほどまで良くはなかった。
学校に着けば、裕也がいた。病院ではない場所で裕也を見ることはなかったので、新鮮だった。
「あ、亘さん退院できたんだね、お見舞い行けなくてごめんね!」
「えっと······」
金髪ロングの知らない女子にいきなり話しかけられて僕は困惑する。
「遥ちゃん、こいつ記憶喪失だから覚えてないに決まってんじゃん」
裕也がすかさずサポートをいれてくれたため、僕は一応会釈だけしておいた。
「あ、そっか。ごめんね忘れてた」
「あ、いえ」
「それにしても······なんで私たちだけこんな思いばかりしないとなんだろね」
「遥ちゃん!」
「あ······ごめん」
「ごめん、それはどういうこと?」
「そっか。亘は琴音ちゃんのことも忘れているもんな。これについてはまた話すよ」
「分かった」
裕也の言葉に取り敢えず頷いておいたが、僕は本当に忘れてしまったことが多い。
どうやら、忘れてしまってはいけないことも忘れてしまったのだろう。
二人の表情からそれが伺える。
本当に今自分がどんな状況下にいるのかさえ分からない。どんな顔で、どんな声で、どんな口調で話せば僕は僕になれるのか。
情報量は無限なのかもしれない。
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